第2話 01

 土曜日、午前八時。


 夏海と秋穂の二人が乗ったステラは、朝の定期便でごった返す玉幡飛行場を発って北の方角へと針路を取った。

 最初の目的地は、群馬にある堤ヶ岡つつみがおか飛行場だった。前橋市街地の西にある中規模の飛行場で、北関東における空の物流拠点となっている飛行場である。


「ふんふーんふんふんふーん、ふんふーんふんふんふーん♪」


 ひさしぶりにステラで甲府盆地の外を飛べるということで、夏海は離陸してからずっと上機嫌に鼻歌をうたっている。

 しかも『加藤隼戦闘隊』である。

 何故この人は気分がノってくると軍歌を歌うのだろうか。そろそろ女子高生の看板は下ろした方がいいんじゃないか。


 エンジンの音が轟々と響くステラの機内で、秋穂は早くもうんざりしながら同乗席に収まっている。

 この先二日間、こんな調子っ外れの軍歌をひたすら聴き続けながらあちこちを飛び回るのかと思うと、もう気が滅入ること仕方ない。


「……にしても夏ねえ、この一番後ろに乗ってるのって何なの?」


 肩越しに背後を振り返りながら、秋穂は尋ねた。

 ステラの縦に三つ並んだタンデムシート、その最後尾の席には二人の着替えが入ったバッグと共に、秋穂がまるまる収まりそうなほど大きな麻袋がどっかりと鎮座している。

 出発直前になって積み込まれたこの袋の中身を、秋穂はまだ知らされてはいなかった。


「あ、それ? 特別ルールの中に〝わらしべ長者〟しろってのあったじゃん。そのための交換する物だよ」

「こんなに大きいの、いったい何を選んだのよ……」

「そんなにでっかくないよ? 一つ一つはあたしの握り拳よりチョイ大きいくらいだから」

「…………は?」


 次姉の不穏な言葉に、秋穂は小さく息を呑んだ。


「……ちょっと待って。一つ一つって、まさかこの袋の中身って一つきりの物じゃなくて──」

「そう。炒め物にしておいしいキュウリにつけてもおいしい、山梨名産・信玄味噌だ!」

「これ全部!? バッッッッッカじゃないの!?」


 道理で出発直前というタイミングになって、重量計算のやり直しをさせられたわけだ。


 信玄味噌は、味噌にニンニクや唐辛子などの香辛料を混ぜ込んだ瓶詰めの調味料で、山梨の土産品としても知られている。

 ラーメンのスープにちょっと落としてみたり、野菜炒めに使うとおいしいので、夏海や秋穂たち甲斐っ子には見慣れた調味料だった。


 いや、それにしても。それにしても、だ。

 たとえ夏海の大好物だからといって、この量はいくらなんでもやりすぎだろう。

 当初申告していた重量よりも人間一人ぶん、ちょうど秋穂の体重と同じくらいの重量が上乗せされることになって、てっきり次姉は秋穂の体重を計算に入れていなかったのかと呆れていたのだが。


 それがまさか、自分ではなく大量の味噌の重量だったとは。これならまだ航空ガソリンのほうがマシだった気がする。


「夏ねえ、ホントにルール判ってる? ここから物々交換していって、最後に残った物で評価が決まるんだよ? なのに、最初からこんなに沢山の味噌を持ってったところで何かと交換してくれる人なんかいるわけないでしょーが!」

「えー。もしかしたら、たまたま味噌炒めがしたくなったけど味噌がなくて困ってる人がいるかも知れないじゃん」

「たまたまって、何でいきなり運任せなの……それにしたって一個で充分でしょ……」


 呆れ返る妹に、信玄味噌をこよなく愛する女・夏海は口を尖らせながら、


「むっ。なに、アキってば信玄味噌のおいしさを信じてないの? みんな一口舐めれば『うおー全部寄越せー!』ってなるに決まってるよ」

「そーゆー具体性皆無なこと聞きたいんじゃなくてね! どこをどう間違ったら、こんな量の味噌を捌けるって思ったのかってこと!!」

「だぁーいじょぶだって。余ったら家に持って帰ればいいんだから」

「こんな量、一ヶ月毎日味噌炒めしたって使い切れるわけないでしょうが……」


 だめだ。この姉は今回の仕事がいかに大変なことなのか、まるで判ってない。

 前後をお気楽な次姉と大量の味噌に挟まれて座る秋穂は、胸の奥底から長々と溜息をついた。これはいよいよ補習授業を覚悟しておいたほうがいいかも知れない。


 ──勘弁してよね、夏休み中ずっと会社の手伝いなんて絶対嫌なんだから!


 自分の能力をフルに使ってでも、そんな事態だけは絶対に避けなければ。

 そう密かに決意する秋穂を乗せて、ステラは日々夏色を濃くしていく秩父山地の上空を飛んでいく。

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