第1話 03
「たかが夏ねえのオリエンテーリング飛行に、どうして殿堂会が口挟んでくるの……」
殿堂会の老人たちが今回の件に首を突っ込んできたと聞いて、秋穂は心底げっそりしてしまう。
「でんどーかい、って何だっけ? 何でもかんでもモーターと乾電池で動かそうとする人たちのこと?」
「この場合はお殿様の『殿』にお堂の『堂』で殿堂会、ね。甲斐賊のお仕事を引退した元パイロットのお爺ちゃんたちが、たまに飲み会とかしてる集まりのことよ」
そんな大人しい集まりだったらどんなにいいか。
二人の姉のアホなやり取りを聞き流しながら、秋穂は思う。
確かに、彼らは決して組合や甲斐賊たちの普段の業務に口を出すことはない。
ひたすら風の向くまま自由に生きてきたツケだと思っているのか、いつもはターミナルビルにある殿堂会の事務室で茶飲み話をしているか、貯め込んだ会費を使って月に一度ほど近所の飲み屋で宴会を開く程度の、いうなれば老人たちの親睦会のような集まりだ。
だが、一度盛り上がりそうなネタを見つけると、途端にその性格が豹変する。
現役時代に
かつて甲斐賊として世界中の空を我が物顔に飛び回ったパワーを呼び覚まし、老いてなお盛んにイタズラを仕掛けまくり、ハタ迷惑な騒動を巻き起こすジジイたちなのだ。
「たぶん殿堂会のお爺ちゃんたちも、なっちゃんに目をかけてくれてるからって思うけどね。誰にでもそういうこと仕掛けるんじゃなく、ちゃんと分別つけて相手を選んでるみたいだから」
「夏ねえはこないだ商業パイロットとして飛びはじめたばっかだよ? どこに殿堂会が目をかけてくれるような要素があるっていうのよ」
「そこはほら、こないだの山岳救助の話をつかって、いま隣の部屋で野球見てる人が上手く繋いでくれたっていうか、みんなを丸め込んだっていうか?」
「よ、余計なことを……!!」
隣室につながる襖戸を、恨みのこもった目で睨む。
向こうにいる衣笠がどうとか愚痴り続けている老人が、いらぬことを殿堂会にバラさなければ、今回の意味の判らない特別ルールなどおくびにも出なかったはずなのだ。
それともう何年前に引退して鬼籍に入った選手なのか衣笠。鉄人幻想にひたるのもいい加減にして欲しい。
「──そうだ! 別に夏ねえのオリエンテーリングにわたしが付き合わなくてもいいんじゃないの? ほら、
「え~? でも八〇リッターくらい増えても
「そこまでわたしは重くないっ!!」
横からお気楽な声でチャチャを入れてきた次姉に、秋穂は毛を逆立てた猫のように唸る。
まったく失礼な話である。
どこを擦っても匂い立つような花の女子中学生の体重が、一〇〇オクタン
「ね~、いいでしょ春ねえ、わたしがわざわざ乗ってかなくても。大体、これって夏ねえが一人前になるためのイベントでしょ。夏ねえが一人でこなさなきゃ意味ないんじゃないの?」
「そうは言われてもね……」
袖をつまんで駄々をこねる秋穂に、美春は困ったように頬に手を当てた。
「実は、今回のオリエンテーリングは必ず二人でこなすように組合から言われてるのよ。なっちゃんのサポート役として、必ずあーちゃんも乗せていくこと、って」
「何で、どうして!?」
「心配してくれてるのよ、きっと。なっちゃんの〝風読み〟はまだまだ発展途上だし、初めての空域を飛んでいくにはちょっと不安があるって思ったんじゃないかしら」
「いやー、すまんこってす。これからセーシンセーイ頑張るっす」
頭を掻きながらへらへら笑う次姉に、秋穂は無性に苛立ちを覚える。そのニヤけたツラを引っ掻いてやりたい。
南アルプスの稜線上、標高2900メートルにある山小屋から無着陸で郵便袋を回収してくるという仕事は、それまで夏海本人も知らなかった彼女の致命的弱点───『そのときの気象条件や地形から、風向きやその強さを事前に予測することができない』ことをさらけ出した。
つづく
あれからずっと甲府盆地とその周辺の簡単な仕事をコマネズミのようにくり返してきた夏海だったが、風を意識的に読もうと思っていても自らの感覚が邪魔をしてしまい、その予測はいまいち正確性に欠けるきらいがあった。
こりゃあ色んなとこに行ってみて様々な地形や風を体感してみるべきか……そう考えていた矢先に降ってきたオリエンテーリング飛行の話は、夏海にとって一人前の甲斐賊に巣立つためのハードルであるのと同時に、弱点克服のための得がたいチャンスなのは間違いなかった。
両手を頭の後ろで組み、夏海は軽く背伸びをしながら言った。
「でもさー、それってよく考えたらサポート役はアキじゃなくてもいいわけよね。どうしてアキをご指名なんだろ」
次姉の言葉に、美春の眼がすっと細くなる。
……いやな予感がした。
「そりゃあ、あーちゃんほど玉幡で上手にサポートできる人がいないからよ。何たって、あーちゃんは〝
「わ────わ────わ────わ────!!」
あわてて美春の口を両手で塞ぐ。
いきなり発狂したと思ったか、夏海は「な、何なに?」と目を丸くしてこちらを見ていた。
こちらを楽しそうに見返してくる長姉を睨みつけながら、ボソボソと声を潜めて言う。
「……ちょっと春ねえ! 夏ねえにはその事は内緒だって!!」
「あら、どうして? 私もお爺ちゃんも知ってるんだから今更だと思うけど」
「自家用の訓練の時からずっと無線に出てたのがわたしだって夏ねえに知れたら、絶対に面倒臭いことになるでしょ! それにわたしが恥ずかしい!!」
地形図を一目見るだけで頭の中にその立体図を描き、そこにあらゆる情報をリアルタイムで可視化することができるという類い稀な空間把握力を持つ秋穂は、玉幡飛行場の管制課で臨時の管制官をやっている。
もちろん、就業年齢に達していない中学二年生の秋穂が管制官の資格を持っているわけもなく、それは完全な違法行為だ。
玉幡ではパイロットのみならず管制官までもが、甲斐賊としてのいい加減さにどっぷり染まりきっていて、そんな彼らがちょっとした遊びのつもりで提案してきた簡単な管制業務に、興味半分から挑戦してみたのが運の尽き。
それからは、秋穂の中に管制官としての才能を見出した彼らによって月に一、二度ほど呼び出され、万年人手不足の管制業務を手伝わされているのだ。
そして、どれほど困難な気象条件下でも正確無比な誘導をしてみせる正体不明の女性管制官として、全国の飛行士たちから尊敬と畏怖を込めて贈られた渾名は『甲州ウィッチ』である。
勘弁して下さい。わたしはただの中学二年生なんです。
そんな〝
そう、何度思ったか判らない。
しかし頼み込まれたら嫌とは言えない秋穂の詰めの甘さと、顔に似合わず商機に
秋穂の手を取り、まるで壊れ物でも扱うかのように美春はそっと握り返す。
「でもね、お姉ちゃんはこう思うの……」
まるで邪気が感じられない笑顔。
──これだ。
今まで多くの人間がその笑顔に騙されてきたが、いい加減十五年もの付き合いになるとこの人の正体も薄々は判ってくる。
この人は、何処までも純真無垢な笑顔を浮かべながら、その裏で悪どいことを平気で思い付ける人なのだ。
「中間試験を放っておいてまでなっちゃんがオリエンテーリングに行くって決まったのに、そこであーちゃんが参加しなきゃ、みんなから『お姉さんに行かせて自分はお勉強か』って噂になっちゃうじゃない? だから嘘つくようで何だけど、ここはみんなの前で『いえ、その日は管制官としてのお仕事があるんです』って言っておくべきだと」
「判りました行きます。是非行かせて下さいだから黙ってて下さい」
額を畳にこすりつけるように平身低頭する。
正座三つ指の教科書に載りそうなほど完璧な土下座であった。
「よかったわね、あーちゃん一緒に行ってくれるって」
「え、マジ? いやー助かるわ、ありがとうねーアキ」
二人の姉のお気楽なやり取りを聞きながら、もしかしてこれからもずっとこんな調子で面倒事につき合わされることになるんだろうか、と秋穂は思う。
マズい、それはマズい。そんな事態は絶対に避けなければ。
この二人に、特に二番目の姉にひたすら振り回される事なんかになれば、どこまでも普通を旨とし目立たず平凡な毎日を求める自分のスタイルが致命的におびやかされてしまう。
しかし手っ取り早くそんな事態を回避するには、ニセ管制官という最大の弱点をどこかで公にしなければならないわけで、その板挟みをどう解決すればいいか未だに秋穂は答えを見出せなかった。
「……ちなみに春ねえ。もし夏ねえのサイコロ運が悪くて日曜の夜までに帰って来れなかったら、その場合は中間テスト受けられなくて補習授業組になっても見逃して貰えるんだよね?」
「もちろん。あーちゃんのことだから、なっちゃんを上手くサポートしてくれるって信じてるわよ。もし補習授業を受けるなんてなったら、それ以外の日は一日も欠かさずウチの会社で手伝ってもらうようにしてあげる」
「鬼ですかアンタは!!」
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