第1話 02



「──というわけで、今週末の土日はこの課題を頑張ってもらおうと思っています。二人とも予定は大丈夫よね?」


 玉幡飛行場から釜無川をはさんだ向こう側、大きなけやきの木が見下ろす古い日本家屋。

 夕食の残り香がただようリビングで、天羽美春あもうみはるがちゃぶ台を拭きながら告げた言葉に、二人の妹はそれぞれ異なる反応を示した。



「やる! 絶対やるに決まってる!!」


 ふくれた腹を抱えて畳の上に寝っ転がっていた次女・夏海なつみは、床から飛び上がらんばかりに勢い込んだ。


「え、嫌です。勉強があるので遠慮したいです」


 食後のデザートとして出されたウサギさん林檎をつつきながら、三女・秋穂あきほは感情のこもらない声音で返した。


 途端に、秋穂の背後から次姉が首筋にまとわりついてくる。

 両手両足で絡みつかれた上に、せっかく二つに分けた髪をかいぐりかいぐりされてしまう。鬱陶うっとうしいことこの上ない。


「え~~~何でよう、いっしょにやろうよ~~~」

「嫌に決まってるでしょ。何でわたしが二日間も夏ねえにくっついてなきゃいけないの。絶対に面倒な事が起こるって判ってるもん」

「なによー、アキってば姉ちゃんと旅行に行きたくないの? あたし、アキに面倒かけたことあったっけ?」

「あんたが言うかあんたが! あーもう、鬱陶しい!!」


 まるで子啼きジジイのようにのし掛かってくる次姉を全力で払いのける。

 夏海の体重が背中から消え、同時に両肩にかかっていた柔らかくてずっしり重い二つの感触も魔法のようにかき消えた。

 悲しい。例えようもなく悲しい。


「で、でっかいからって偉い訳じゃないんだからね!? 肩凝りになったり歳食ったらみっともなく垂れ下がってきたり!!」

「? 何の話よ?」

「とにかく! わたしは夏ねえと二人で全国巡るオリエンテーリング飛行なんて、ぜーったいに嫌! 夏ねえのことだから行く先々で面倒臭いことひっぱってきて、わたしが二日間ずっときりきり舞いさせられるのが判りきってるんだから!」


 県営玉幡飛行場を根城とする自営航空業者たち、人呼んで〝甲斐賊かいぞく〟。

 国内でも名うての荒くれ航空団として知られる彼らが、新人パイロットに課す最後のハードル───それは、玉幡を起点に全国の空港をめぐるオリエンテーリング飛行である。


 一言でいうと簡単そうに思えるが、実はここに大きな落とし穴がある。

 玉幡を出発する時に伝えられるのは最初の目的地だけで、全ての行程がどのようになっているのかは伏せられているのがミソだった。

 しかも、飛行申請は玉幡から最初の目的地までしか出されておらず、この課題に挑戦するパイロットは行く先々で次の目的地を伝えられ、そこに至る最適な経路を自ら選択して飛行申請を出していかなければならない。

 時々刻々と移り変わる天候や様々な地形を考えに入れながら、事前情報無しにもっとも効率が良く、安全で、しかも素早く移動できる経路を、天気図と航空地図から割り出していかなければならないのだ。


 いまだ日本の空にも慣れておらず、さらには自分の操る機体にすら慣れていない新人パイロットにとっては難しい作業だが、これをこなせなければ一人で空輸仕事などできるわけがない。

 玉幡飛行場のオリエンテーリング飛行とは、甲斐賊の雛鳥ひなどりたちに与える最後のスパルタ教育でもあるのだった。


「それに何なのよ、この〝今回は特別ルールとして、以下の内容を追加する〟ってのは。こんなの夏ねえだって上手くいく訳がないって分かってるでしょ!?」


 そうなのである。

 今回の夏海のオリエンテーリング飛行では、二つの特別ルールが追加されていたのだ。


 一つ。次の目的地の選択は六面体ダイスを振り、出た目の番号で示される場所に向かうこと。これを五回繰り返せば任務完了とする。


 二つ。交換用の物品を持参し、目的地の空港に到着したら物々交換で物産を手に入れること。玉幡帰還後、持ち帰ったもので最終評価を決定する。


 特別ルールが書かれた紙に目を落としながら、夏海は首を傾げた。


「そんなに大変なことかな、これ?」

「本気で言ってるの、夏ねえ……」


 まるで分かっていない次姉に、秋穂は深々と溜息をついた。


「いい? 普通のオリエンテーリング飛行は玉幡を発って、あちこちの空港をまわってから、最後は必ず玉幡へ戻ってくるように経路を設定されてるもんなの。それがサイコロの出た目で目的地が決められるってことになったら……」

「……どうなんの?」


 しかし、夏海はどこまでもアホの子なんである。

 想像力のカケラもない鳥頭の次姉に、秋穂はもどかしさを感じながら怒鳴った。


「夏ねえのサイコロ運が悪くて遠くの目的地ばかりまわることになったら、日曜を過ぎても玉幡まで戻って来れないってことでしょうが! わたしたち今は中間試験の真っ最中なんだよ? 土日の二日間がこれで潰れるってだけでも痛いのに、もし土日だけじゃ終わらずに週明けまでもつれ込むことになったら、わたしたち二人とも試験が受けられずに落第確実ってことになるでしょ!!」

「あー、そりゃまずい。あたし一学期の前半は出席ギリギリだったから、もし中間試験落としたら補習授業組に回されちゃうな」


 そのわりに、まったく緊張感や焦りというものが感じられない声音で言う。


 ──駄目だこの人。

 秋穂は傍らで苦笑しながら見守っている長女に助けを求めた。


「春ねえ~~~! やめようよこんな特別ルール。絶対、上手くいく訳ないったら!」

「ごめんね、それって私が考えたんじゃなくて、組合のほうから言ってきたことなの」


 ちゃぶ台を拭いていた布巾を畳みながら、美春は申し訳なさそうに言った。


「なっちゃんもそろそろオリエンテーリングの時期かなってお爺ちゃんと話してたんだけど、それを聞いた甲斐賊殿堂会けいろうかいの人たちが乗り気になっちゃってね。なっちゃんだけのルールを決めて、これに従わせるよう組合に働きかけてきたのよ」


 ちなみに三人の祖父・冬次郎とうじろうは今、隣の部屋でビール片手にプロ野球観戦の真っ最中である。

 かすかに聞こえてくる解説者の声にかぶさるように「バカヤロウ衣笠きぬがさを連れて来い衣笠を!」だの「テメェこら球審どこ見てやがんだ今のはボールだろうが!」と一人なのにやたら騒々しい。この老人、甲斐生まれ甲斐育ちのくせして熱狂的鯉党なのだった。

 なお、冬次郎を含めても二人しかいない玉幡飛行場の鯉党のもう一人は、何とあの初代しょだいさんである。

 今では玉幡飛行場ターミナルビルにあるカフェ〈エアポケット〉で置物と化している初代さんだが、若い頃には冬次郎と二人して巨人ファンと血で血を洗う抗争を繰り広げていたらしい。


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