二年目 四月上旬 会社員・加藤田宏志

「マズい事をしてくれたね。私ぐらいの齢の人間が若い頃だったら、ナアナアで済まされただろうが……」

「い……いや……でも……」

「恋人が居たんじゃなかったかね?」

「そ……その……」

 席が有るのと同じフロアの一番小さい会議室。

 そこに課長と2人っきり。

「ああ……そうか……恋人と……何か有ったのか?」

「は……はい……」

 貴子と巧くいっていた時は……「最近、恋人とはどうだ?」と訊かれても苦痛ではなかった。

 今は逆だ。

 その事を訊かれるのは、完治していない傷口を覆う瘡蓋かさぶたを無理矢理剥がされるような苦痛を感じる。

 自分の「所有物」だった筈のモノは、自分から去っていった。

 人間の形をした「所有物」だと思っていたモノに、何故か、自分の意志が有った。

 人間には誰でも自由意志や他人と違う考えや感情が有る。

 それは理性あたまでは、判っている筈なのに、今の宏志にとっては、その単純な事実が、あまりにも理不尽なモノに思えていた。

 そして……。

「ならさ……風俗か何かで解消する手も有ったんじゃないのか?」

 ああ、そうか……この男は……俺みたいな理不尽で訳の判らない失恋をした事が無いんだ。

 そんな想いが頭を過ったにも関わらず……。

「は……はい。課長のおっしゃる通りかも知れません。今後は……注意します」

 宏志の口からは、心を支配している感情とは正反対の言葉が出る。

「田代君は……君とは……合意の上では無かったと言っている」

「ちょ……ちょっと待って下さい。彼女も悦んでた筈です」

「コンプライアンス部門からは『性加害者は、そういう勘違いをしがちだ』と言われたよ」

「あ……あの……私が……その……」

「君が担当でなきゃ、というお客さんも多いんで大事おおごとにするつもりは無い。田代君には、私からよく言って、わからせておくよ。君も、今後は注意したまえ」

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