第12話

 二人は明日また来ると言って帰っていった。

 

 二人を見送ったあとも、私はそのまま玄関でドアを見つめたまま立っていた。

 先程までの会話が、ずっと頭の中を巡っていた。

 

 到底信じられない事柄だった。

 宗教の勧誘だとか、そういったことなのかもしれない。

 最近の私の生活を心配した母が、騙されて、お金を払って、そして二人がここに来たのかもしれない。

 

 廊下の冷たさが、素足からどんどん体温を奪って、私は冷静になっていった。

 

 しばらくすると母が帰ってきた。

 男性が言う通り、本当に買い物に行っていたようで、両手に買い物袋を下げている。

 私が「おかえり」と言うと、母は少し驚いた顔をして、私の表情をうかがい、「おかえり」といった。

 私が不思議そうな顔をしたからだろうか、母は慌てて「ただいま」といい直して笑った。

 

 母が何も聞かなかったから、私も何も言わなかった。



「我々はあなたのご家族に依頼されてきました」

 

 男性はそう言って、一呼吸おいた。


「チカさんに会いたいですか?」

 

 チカに会いたい? そんな当たり前のことを聞かれるなんて。

 会いたいに決まっているではないか。

 一瞬だけでも、一目だけでも、会いたかった。そんな短い時間で何ができるわけでもない。それでも、会いたかった。

 でも、会える? 会えるとは?


「会えるとは、いったいどういうことでしょうか」


 思ったことをそのまま口に出した。

 男性は女性の顔を見た。女性は軽く首をかしげる。男性は少し思案すると、私の顔を見て頷いた。

 男性はどこからか小瓶を取り出した。実験室にでもありそうな形で、中には何も入っていないように見えた。

 彼はその瓶の蓋を開ける。

 すんと鼻を鳴らしたように聞こえた。中の香りを確かめたのかもしれない。そして手にした扇子でゆっくりと扇ぐ。

 

 何の香りもしなかった。

 何も起こらなかった。


 私が口を開こうとしたのを見て、男性は人差し指を唇に当てた。


 すると、玄関の扉が開く音がした。

 母だろうか。

 シューズボックスの上に鍵を置く音がした。


 そんなはずはない。母はそこに鍵を置くことを知らないはずだ。


 静かな足音がして、目の前の扉が開く音がした。だが、音がしただけで実際には扉は閉じたままだ。

 足音は私たちを通り過ぎ、ベランダの前で止まる。カーテンを開ける音、掃き出し窓を開ける音がした。

 そして微かな声。


「チカ?」


 これはチカが家に帰ってきたときの音だ。帰宅するといつも真っ先に窓を開けるのだ。これは寒い日も暑い日もかわらずやっていた日課だ。


 私は立ち上がった。けれど声を探すために動くこともできず、息を潜めた。


 耳を澄まし懸命にちかの音を探すが、換気扇とエアコンの室外機の音が、やけに大きく聞こえるだけだった。


 急に体温が上がった気がした。

 指先がじんじんとする。

 私はソファに座りなおすと、あらためて来訪者の顔を見た。


「これは、あの、チカの・・・・・・幽霊ですか?」


 幽霊だと言葉にするのが躊躇われた。

 言葉にした瞬間に、ありえないことだと思ったからだ。そんなはずはない。幽霊なんて存在しない。今のだって何かのトリックに決まっている。


「私には本当のところ、あれが何なのかわかりませんが、幽霊だとおっしゃる方もおられます」


 それはまるで脚本と役者のようだった。

 その二つが揃うことは稀だが、今回はかろうじて揃ったのだと男性は言った。

 脚本も役者も人の記憶だという。

 その二つは常に人体から漏れ出ている。

 普通なら誰にも気づかれず、すぐに消えてしまうそれらは、何かしらの強い感情をともなった際、その場や物に焼きつく。

 それが時として、人の目に幽霊として映ることがあるようなのだ。

 さっきの現象は、私にも見えるように、男性が細工をしたのだそうだ。


 それから、何度も自殺を繰り返す幽霊の話などの例え話を聞かせてくれた。

 有名なホラー作品の冒頭のようだ。

 チカは別に怨みを抱きながら亡くなったわけではない。おそらく。

 私がそう言うと、蓄積されるのは怨みだけではないと彼は返した。

 幸福な記憶だって残るのだそうだ。怨みの感情のほうが強く残りやすくはあるそうだが。


 動悸がなかなか治まらない。

 私は胸を押さえた。

 だが、頭の中の霧は晴れた。


「すみません」


 これで終わることなんて、できない。


「チカの記憶を集めれば、チカの姿を見ることはできますか?」

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