第2話

 チカのことを話そう。

 

 チカと出会ったのは、高校生のときだ。

 小中学校は近くに住んでいる子供の大半が同じ学校に通っていた。だから周囲に知らない人間がいるということはなかった。それが高校に入ると逆転して、周囲に知っている人間がほとんどいない状況になった。

 

 ひと学年に生徒が約三百名、全校生徒が九百名ほどが在籍する学校だった。同じ中学校からの進学者も多数いたのだが、うまい具合にクラスがわかれてしまった。

 

 入学式の次の日だった。

 

 私は授業が始まるまで、自分の席で本を読んでいた。

 何時に家を出れば、ちょうど良い時間帯に到着できるのかわからなくて、随分と早く登校してしまっていた。

 

 中央の列の一番前。

 

 教卓の前が私の席だった。

 それまでの数ヶ月、読書の時間を削って勉強していた私は、久しぶりに集中して本が読めることが嬉しかった。次第に大きくなる室内のざわめきも、妙に心地よい。

 

 時間を確認しようと、顔を上げたときだった。チカが私の前を通り過ぎたのは。

 もちろん、そのとき私はチカのことは名前も知らなかったのだが、ふと興味をもってその姿を目で追ってしまった。

 

 進学校にしては珍しく、日に焼けた肌をしていたからかもしれない。背筋がすっと伸びていて、筋肉のついた引き締まった身体であるのが、制服の上からでもわかった。茶色の髪が無造作に肩口まで伸びている。

 チカは迷うことなく窓際の席につくと、バッグを机の脇にかけた。

 

 そこまでの一連の動作を眺めているうちにチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。私は正面を向き、読んでいた本に指を挟んだままだったので、慌ててしおりを挟み机の中にしまった。

 

 これがチカとの出会いだった。

 

 この瞬間に私が一目惚れしたのだと、馴れ初めを聞かれた際には話しているのだが、実際にのところ、そこまで劇的ではなかったと自分では思っている。

 それでもこうして、初めて会ったときのことを鮮明に覚えているのだから、一目惚れだったと言っても、そう間違いではないのかもしれない。

 

 最初の数週間、私はただ学校に行き授業を受けて帰るだけの生活をしていた。特別入りたい部活があったわけではないし、中学の頃のように、全校生徒が何かしらの部活に入らなければならないルールもなかった。

 

 放課後、図書館で本を借りて、自転車置き場までとろとろと歩いているときだった。ジャージ姿のチカを見かけた。

 チカは体育で使うジャージを着ていたが、一緒に歩いていた生徒は背中に校名と蹴球部と書かれたジャージを着ていた。

 私たちの高校は、田舎の進学校にしては珍しく男子も女子もサッカー部があった。だから、それなりにサッカーに力を入れていたのだと思う。

 もちろん上手い生徒は他の有名校に入るだろうから、私が入学した時点では、目立った成績は残していなかった。

 

 そのときは、ああ、サッカー部に入ったんだな、としか思わなかった。

 親しく喋る友人もできたし、クラスメイトのことも少しずつわかってきた時期だった。チカに対しては無口、もしくはクールという印象が強かった。

 

 チカが誰かと喋っているところを、あまり見たことがなかったのだ。話しかけられれば応えていたし、周囲を拒絶して孤立しているふうでもなかった。もちろん、いじめられていたり、無視されているわけでもなかった。

 

 休み時間は勉強をしていて、昼休みになるとどこかへいなくなっていた。チカの近くに座っている生徒が何人か、チカを昼食に誘っているのを見たことがあるのだが、チカはなにかしら事情を彼らに説明し、一人教室を出ていってしまった。

 それを彼らは見送ると、特別不快そうな顔もせずに、彼らだけでご飯を食べ始めていた。

 

 今ならわかるのだが、私も含め、周囲の生徒たちは、チカが自分たちよりも大人であることに、無意識に気づいてしまっていたのかもしれない。

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