第7話 昼休み
昼のチャイムが鳴ると、美以子は急いで片付けを始めた。絵の具が散らばっており、美術部メンバーからは色の並び順を戻すように言われているため、少々やっかいだ。片付け終わると、お弁当を抱えて裏庭に直行した。安定の裏庭は、今日も人の気配はない。ベンチに座ると、初夏の心地よい暑さにうっすらと額に汗がついていることに気がついた。6月に入り、一気に暑さが増した。文化祭は6月30日だ。あと一月もしないうちに、学校が人で溢れかえる。人混みにはぞっとするが、今年は何だか少しだけ楽しみな気持ちがある。美以子は自分の変化に一人、笑顔を浮かべた。
「にやにやしてる。何か良いことあった?」
ふいに多西が登場した。
「多西くん!びっくりした!え、私、笑ってた?」
美以子は恥ずかしくなり、口元を手で押さえた。
「うん、笑ってた!可愛かったけど。」
多西は美以子の方を見ずにベンチに座った。うっすらと耳が赤くなっている。
「看板係りは順調?」
「うん、もう完成しそうだよ。私は言われた通りに色を塗ってるだけだけど。でも完成するとなると、いっちょまえに感動する。綺麗な桜色の看板なんだよ。そっちはどう?」
「衣装とか飾りは順調。問題は具?味付けだね。すっごい、もめてた。女子はたこ焼きをホットケーキで作って、甘めのやつを出したみたいだけど、男子は唐辛子とか入れてロシアンルーレットにしたいみたいでさ。全く意見があってないし、どちらも譲らないしで、険悪だったよ。」
「多西くんはどっち派なの?」
「うーん・・・売れるのは、ホットケーキかなぁとは思う。まあ、どちらでもいいから黙秘したけどね。結局、王道のたこ焼きしか勝たんでしょ。」
「だね。たこ焼きあれば他は目に入らないよね。」
美以子は多西が話してくれるだけで嬉しくて、声を出して笑っていた。自分でも、ちょっと笑いすぎじゃないかと思いながらも、楽しい気持ちは隠せなかった。
「あのさ、吉池さん。」
「なに?」
「文化祭が終わったら、テストじゃん。それが終わったらさ、一緒にどこか出掛けない?」
え?と、美以子は声を出さずに固まった。予想外の展開だった。これは・・・デートに誘われたのか?
「あの、えっと・・・どこに?」
明らかにぎこちない様子で、美以子は問いかけた。
「いや、実はさ、井田に誘われてさ。」
「井田くん?」
「うん、井田とは文化祭準備で仲良くなってさ。そしたら、彼女さんの八千代さん?から声かけられて。」
「八千代・・・」
美以子はこの話の黒幕の正体がわかった。今頃、クラスでニヤニヤしている八千代の姿が浮かぶ。
「夏の思い出に一緒に遊ぼうって、吉池さんも誘って4人でって。吉池さんは八千代さんと仲良しでしょ。俺は夏休みはバイト三昧だから少しは高校生らしい遊びもしたいなぁと思ってさ。吉池さんも来てくれるなら、俺は嬉しいし。行き先、まだ決まってないけど、たぶん江ノ島あたりを考えてるらしいよ。どうかな?」
「江ノ島・・・」
暗い表情で、美以子が答えずに下を向いた。(誘うのが早かったかな)
多西は申し訳ない思いになり、美以子の頭をポンポンと撫でた。
「行っても行かなくてもどっちでもいいんだ。もし行きたくなったら行こう。俺はこうして、二人で裏庭にいられるだけで楽しいからさ。」
優しい笑顔で、多西は語りかけた。その言葉に嘘がないのが、彼の瞳を見ればわかった。
不思議だ、と美以子は思った。多西は今まで出会った男の子たちと全然違う。何も話さない美以子に、それ以上聞いてくることもなく、ただ受け止めてくれる。
(心が深いんだ。この人は。きっと私よりもずっと・・・痛みを知っているのかもしれない。)
多西は美以子の作った卵焼きを食べると、幸せそうな笑顔を見せた。美以子は多西に、笑いすぎだよと言葉をかけながら、いま居る裏庭が江ノ島の海だったら・・・と想像した。二人で海を観れたら、空と海しかない景色の中にいられたら、どんなに素敵だろう。
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