第4話 小さな兆し
多西と美以子は、昼休みに裏庭で会うことが日課になった。多西はとても明るい性格で、美以子に色んな話をしてくれた。今は祖母と暮らしていること、母親と姉は仕事と大学のために都心に暮らしていること。部活はやっていなくて、近所のコンビニでアルバイトをしていること。趣味は以外にも読書で、古本屋巡りが好きなこと。
「お母さんは帰ってくるの?」
ふと美以子は疑問に思い、立ち入ったことのように思えたが聞いてしまった。
「うん、二週間に一回くらいはね。保険の仕事してるから忙しいんだよ。まあ帰ってくると、姉ちゃん共々うるさいから、そのくらいが丁度いいよ。」
多西は美以子が境遇が似てると思ったのか、何でも話してくれているようだ。それがまた美以子にとっては新鮮で、聞いているだけで楽しかった。
そんな時間が一週間、二週間と経っていき、少しづつ美以子の気持ちに何かが芽生え始めていた。美以子達が美術室に向かう時は、1組の先にある渡り廊下を通る。必然的に2組の前を通るのだが、美以子はその時の自分の目線に落ち着かない気持ちを感じていた。
(見ない。見ない、見ない・・・)
心で念じながら歩くと、2組の中から聞きなれた声がする。明るい髪色、優しそうな笑顔。少し小柄で、女子と一緒にいると性別を間違われそうだ。
(あ、居た。)
見たくないと念じながら、瞬間、美以子は見てしまった。後悔の念と、ほんのりとした喜びが胸に湧く。後悔を最小限にするために、
一瞬見るだけですぐに目をそらすが、心は彼を追いかけている。美以子は気づいていないが、2組の前を通る彼女の姿を、多西もまたさりげなく確認し、美術室に向かう後ろ姿を見送っているのだった。
昼休みの後の授業は、一番眠気がピークになる時間帯である。
(・・・多西くんに会いたいのに会いたくない・・・。心の奥では、来てくれることを待ってる自分がいる。これ以上、近づいていいの?)
多西のことを考えながら、うたた寝を始めた美以子の指先に、暗く重い痛みが走った。嬉しい気持ちが増すほどに、必ず襲ってくる痛みだ。
(・・わかってるでしょ。今の私には無理だよ。多西くんに話したところで何がわかるの?話さないで私が誰かと一緒にいられる?八千代は別だ。でも、八千代にさえ言えない。誰にも話したくない。誰も・・・私の中に入ってこないで・・・)
美以子は教室の中、ひどく動揺しながも眠気には勝てなかった。そして、夢を見た。
真っ暗な部屋の中に、美以子は一人、布団にくるまっている。寂しくて悲しくて、誰かに助けてほしいのに、誰もいない。
そこに突然、真っ白な美しいドレスを着たお姫様が現れた。床まで届くほどの、金の髪をなびかせて美以子に手を差し伸べている。
名乗らなくても、それが眠り姫だと美以子はわかっていた。顔はなぜだか見えない。彼女は笑いもせず、淡々と美以子に話しかける。「あなたも私と同じでしょう。」
美以子は答えられず、ただ立ちすくんでいる。お姫様は気にもせず、美以子の手を握った。血の気のない青白い手はひどく冷たい。
(怖い、放して!怖い!!)
しかし、手は離れない。やがて、その手から血が滴り、驚いた美以子はその人の顔を見上げた。血の涙を流している。
「あなたも呪われているのよ。変わりはしない。どうせこのまま呪われて、眠り続けて死んでいくのよ。」
美以子が叫び声を上げたと同時に、目を覚ました。
どうやら、声は出していなかったようだ。冷や汗をかきながら、教室を見渡し、いつもの風景であることに安心した。手はまだ震えている。
[どうせこのまま呪われて、眠り続けて死んでいくのよ。]
美以子はギュッと目をつぶり、震える手を押さえた。早く深い眠りが来ることをひたすらに願いながら。
美以子は夢を見てから、多西を意識しないようにと心がけていた。しかし、裏庭で彼を待っていたり、教室の前を通ると探してしまったり、彼へと向きそうになる気持ちは確かだった。美以子はなんとかそれを打ち消そうと、小さな抵抗を繰り返していたが、これ以上関わりたくないのに、会いたいと反対を向く気持ちは、少しずつ美以子の心のバランスを崩していた。
「あれ、美以子。裏庭に行かないの?」
八千代は美以子が今週、突然、裏庭に行かなくなったことに気づいていた。様子を見ていたが、今日は木曜日。さすがに何かあったのだろうと心配になったのだ。
「う、うん。もうすぐ5月だし、暑くなってきたから・・・」
美以子は動揺しながら、弁当箱を机に出した。
「・・・多西、嫌われたと思うんじゃないの。ちゃんと行かない理由は連絡したの?」
「別に約束してるわけじゃないし、連絡先も知らないから。」
「は?そうなの?あいつも意味不明だな。」
(そんなんじゃ、美以子逃げるに決まってんじゃん!)八千代は小さく舌打ちをした。
「八千代、なんか怒ってる?」
「え、ああ、なんかね。多西にね。もっと美以子を捕まえとけって言いたいわ。」
「え!やめてよ!そういうのじゃないから!多西くんはたまたま裏庭で会って、話しただけだから。たぶん、向こうもそんな感じだと思うし。今週は行かなかったけど、特に何も無いでしょ。ちょっと良かったかも。」
もくもくと、箸を進める美以子の顔は無表情だ。八千代はちょっと触れすぎたかな、と反省しながら美以子の肩に手を置いた。
「まあね。でも、たぶんもうすぐ裏庭じゃなくても会うようになるよ。」
「え、なんで?」
「6月の有橋祭、2組とうちのクラスが合同で店出すんだってさ。」
美以子は思わず、掴んだ卵焼きを落とした。
「他のクラスと交流とか面倒だけど、私も美以子の親友として、多西とは話したかったからね。悪いけど、美以子も付き合ってもらうからね!」
八千代はニヤッと笑うと、イチゴオレを買いに購買へと向かっていった。置いていかれた美以子は、ぼーっとしたままお弁当を見つめた。
「文化祭・・・忘れてた・・・・」
カンッカンッと、木の板を打ち付けて、正門に立てる看板の土台が出来上がりつつあった。美以子はこの巨大な看板に、何をどう描いて文化祭の入り口にするのか、予想もできない。
(クラスに居たくないからと、看板係りになったけど・・・私、間違えた?)
「こんな大きな板に、好きに描けるなんて嬉しいねー!」
「ねえ、薔薇とかどう?裏でもいいから、やっぱ描きたいんだよね。」
2年生の各クラスから代表で集まった看板係りだが、美術部が圧倒的に多く、かつ個性豊かであった。一人は短い前髪に、おかっぱ黒髪の薄い眉毛のおしゃれ女子、もう一人は黒髪に紫の色が入り、耳に安全ピン風のピアスをしたビジュアル系女子。美以子とはあまり縁がない、名前も知らない2人が看板係りのリーダーになった。薔薇だろうが、桜だろうが、何でもいいので、文化祭に関わってる感を演出するために美以子は皆の意見に相槌を打つのだった。幸い、美術は少し得意なので、作画作業では迷惑をかけることは無さそうだ。
美以子がなぜ突然看板係りになったかというと、八千代のお節介から逃げるためだった。
文化祭が多西のクラスと合同だとわかり、やたらと嬉しそうな八千代に、嫌な予感がしたのだ。
「美以子、多西とは私、話すからね。仲良くなっておきたいし。」
そう宣言され、美以子の勘が働いた。
(絶対に仲を取り持とうとしている。)
そのため、クラスにいなくても怪しまれない看板係りに立候補することになった。今頃、クラスでは合同で話し合いが行われており、何の出し物にするか決まっている頃だろう。
多西も来ていて、八千代と話しただろうか。美以子は看板の前で話し合うメンバーの輪にいながら、上の空で頷いていた。
「ちょっと美以子!」
文化祭準備の時間が終わり、クラスに戻ると八千代が怒気を含んで話しかけてきた。
「看板係り、話し合いが長くないか?2組帰っちゃったよ。せっかく多西もいたのにー!私、美以子の代わりに声かけたからね。いつも美以子がお世話になってるって!」
「いや、お世話になってはいないけど・・・」
予感的中、美以子はクラスにいなかったことに安堵した。
「はいっ」
八千代が急に美以子の机に絵本を出した。多西が持っていた、眠り姫の絵本だ。しかし、少し古びている。
「多西がね、美以子が貸して欲しいと言ってたから、渡してって。古本屋で、図書館にあるのと同じ本を見つけたんだってさ。」
「貸してなんて言ってない!」
「読み終わったら返しに来てね、裏庭にいるよ、って伝言も預かりました。」
美以子は多西の作戦に口を開けたが、何も言えなかった。
「美以子に会いたいんだよ。行ってあげたら?文化祭の出し物は、たこ焼きに決まったけど、多西は結局あんまり準備手伝えないらしいよ。バイトが忙しいんだって。」
「なんで私に絡むんだろう・・・」
美以子は絵本を手にして、机に打つ伏した。距離をとろうとすれば、これまでは相手から自然に離れてくれた。でも多西は恐らく美以子が避けていることに気づいているのに、近づこうとしている。
「なんか・・・似てるよ、多西と美以子。」
「え?」
「笑ってるけど、ちょっとだけ距離を置く感じ?悪い意味じゃないよ!雰囲気とか、うまく言えないけど・・・うん、私は2人はありだと思う。」
「本当にそういうのじゃないから!」
美以子は苦笑いをして、絵本を見つめた。焦げ茶色の表紙の真ん中に、金色の髪のお姫様が眠っている。レトロなデザインがどこか恐さを感じる。
多西はどうして、自分に話しかけるのだろうか。好意があるから?―・・・それにしては、一緒に居た時間に連絡先も聞いてこなかった。恥ずかしいから聞かないのか?―・・・そんなタイプには見えない。ただ美以子に興味を持って、謎なぞでも解いている気持ちになっているのだろうか。眠り姫と噂になっている美以子に特別な秘密があるように思って―・・・。
「はぁ」
深い溜め息をつき、美以子は束の間の仮眠をはじめた。
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