決戦間近

 しかし、ムサシとアミナにとっても驚くべきは、月の上にいるというのに、まるで空気の吸える事だったりもする。すると、「古代帝国時代……」とリーファインは語り始めた。

「皇帝の威光は月にまで及んだ、などという伝説も聞いた事はあるが……」

「それよりなにより! ワタクシたち、あんなまん丸いところに住んでるなんて! あれでは滑って転んでしまいますわ!」

「……ココちゃん? それはダイジョブなんだな。星には引力、って力があってね」

「インリョク?」


 旅の仲間である女性陣が、驚いていたり、その疑問に答えていたりする中、ムサシは改めて、頭上の空に一筋のようにして覆うものを見た。そして、「遠目……」とフォーカスを間近に調節してみると、成程、それは、どうやら緻密に作られた、何がしかの機械の形状をしていて、この月の上をぐるりと360度、覆っているようだ。この月の輪っかは、今、自分たちが放射能や無重力状態に苦しまずにいられる事のできる、言わば、古代帝国の遺跡の類なのだろう。


 古代帝国とは、想像以上に随分と進んだ文明であったようだ。思わずムサシは、

「……ここ、実は異世界でもなんでもなくて、地球から離れた、どっか遠い星なんじゃねーか」

 なんて呟いてみたりもしていたが、

「あの場所から……すごい、闇の気配がしてるかも……!」

 グランドキャニオンのようにしてところどころにある巨大な岩山の一つを指さし、顔すらしかめていたのは、聖騎士の特性を活かしたアミナなのであった。四人は顔を見合わすと頷きあい、アミナの指し示した方角へと向け、月の砂漠の中を歩きはじめた。


 ただ、それはアミナに言われるまでもなく、いずれ全ての者が解る事だったのかもしれない。歩を進めていくうちに、かすかに騒々しい声すら彼らの耳元には聞こえてくれば、それは間違いなく魔物たちの声である事も確信めいたものとなっていき、ムサシが、今日、何度目かの「遠目」を行えば、岩山の周辺には、ゴブリンやオークたちがテントなどを張った集落のようにしているようではないか。

「……竜も、いるな……」

 そして、リーファインは竜騎士らしく呟いた。


 既に四人は近くの岩肌の影に隠れるようにして偵察を続けていたが、成程、尚、「遠目」を続ける侍の少年の視界には、山の遥か上空を舞うようにしている竜たちの中には黒い竜などもその上空に確認でき、その一匹の背の上には、かつての日々を思い起こす、黒いローブ姿なども丁度、垣間見えたではないか。

「魔王だ……!」

 感づかれてはまずいと、即座に術を解いたムサシは、旅の一行の者たちの方を向いた。

「……これは、カリーヌ様に伝えねば!」

「とりあえず、裏付けとれたし……」

「……そうだネ。一度、戻った方がいいカモ……急ごうっ」

「こーわーいーですわー」

 こうして少年少女の一行は、一時撤退する事としたのだが、ふと、ムサシは、目の前をいくハーフアップの長い髪の後ろ姿に、かつて、こんな状況でも、まるでイキっているかのように、ぐいぐいと前にでようとする旅の仲間がいて、そんな仲間と共に、連れ添うようにして剣を抜いて立ち向かっていったのがアミナであれば、自分が練った策すら聞いてくれない事に肩をすくめては苦笑し、その後に続いたような事もあったような気がしたのだが、それが誰かは思い出せなかったのだ。


 グリターニャにムサシたちが帰国後、状況報告を聞き、途端に表情を変えたのはカリーヌであった。

「なんということでしょう……あの、ゼーメル殿が……」

 聖殿の湖は、今日も懇々としてのどかである。だが、水面のきらめきを肌に照らしながら、主の顔は深刻だ。

「すぐにでも、御前会議を開きたいところですが……ゼーメル教皇猊下は、現神聖王国女王陛下の兄であられた方です。先ずはルナアンヌに伝えましょう」

 そして、彼女のもつ白魔法使いの杖の先が優しく光れば、どこからともなく白い鳩は飛んできて、やがて飛び立っていくそれは、ルナアンヌへの伝書鳩となるのであった。

 「尚、魔王、有り」という現実、そして、そこにイシュガールの元首が関係していたという事実を前に、一際にひどく心をいためた女王からの返書が届くのは、それから間もなくしてである。


そして、ムサシたちの来訪を待ち望んでいるという一文さえあれば、彼らに断る理由などあるわけないだろう。ただ、グリターニャからの今回の旅路には、カリーヌも供の者を引き連れて馬車に乗り込み、やがて、ノルヴライト一の巨大都市である、ルナアンヌ神聖王国が王都、ルナヴァールに辿り着く頃には、人混みでなかなか進まぬ馬車の窓から覗くと、あの日の凱旋パレードとはまた違った、生活に追われる人々の日常の街並みを、ムサシとアミナは目にする事になるのだった。


 かつて、彼らが魔王討伐の勲章を授かった、女王の居城、ノルヴライトの雄である国を象徴するかのような、リールガー城の荘厳な姿も通り抜けると、カリーヌ、ムサシ、アミナ、リーファイン、ココといった主だった者が通されたのは城内の一室の客間で、従者に勧められたテーブルと椅子すら装飾の美しい金銀の織り込まれた豪華絢爛さに、やがて紅茶など運ばれ、早速、ムサシとココが手をつけようとすれば、互いのパートナーにたしなめられたりしている中、間もなくして、

「神聖王国女王、セーラー三世陛下のおなーりー」

 従者の一声と共に、物々しい扉の音は開かれると、ムサシたちが通された箇所とは違う方角からゆっくりと現れたのは、長い金髪を、ほとんど床まで伸ばすようにした、睫毛長き黒い瞳の、王冠かぶりし、美しき女王が、豊満でスタイル抜群あろう体の線や肌などはすっかり全て隠れていながらも、まるで透明色であるドレスを着込んだ姿で、

「(……いや。相変わらず、年齢不詳に美人だな。この人)」

「(……コラっ!)」

 皆が立ち上がり立礼をする中、ムサシとアミナの夫婦漫才が聞こえたのだろうか。その睫毛長き瞳は、彼らの方を見、一瞬、眩しくするようにすれば、微笑みすら浮かべた後、

「……ようこそ、おいでくださいました」


 その声の気品は、カリーヌに劣らずに落ち着いた口調であり、「セーラー女王陛下、ごきげんよう」「カリーヌ聖殿主殿、ごきげんよう」などと国家元首同士が交わす挨拶には、可憐な姿同士であるのに重厚さすら空気に醸し出している。


そして、ムサシとココ以外の騎士の女性陣がもっともらしい立礼をやめない中、この王都で自らの冒険者としての腕を磨いたアミナなどは、思わず、「我らが女王陛下……お久しぶりでございます」などと添えてしまえば、それは、かつてのカリーヌがそうであったように、女王の顔に、少し残念そうな八の字眉毛を作らせてしまったかもしれないが、

「……さぁ、楽になさって。遠路はるばる、ようこそ、ルナアンヌへ」

 と、女王は表情を変えると、皆に着席を促すのだった。


「皆様、この度は我が兄弟国であるイシュガールへの遠征、本当にご苦労様でした」

 やがてテーブルを囲むようにすると、かつて、魔王討伐後のリールガー城の大広間にて、そうであったように、セーラー女王は先ずはムサシたちの旅路を労い、そこに深々と頭を下げて謝意を表す態度などは、カリーヌがそうであるように、実力者ゆえの奥深さすら感じる。そして、

「既に、彼の地には食糧と、聖騎士も派遣しております。カリーヌ聖殿主殿の文通り、教皇謁見の間に建設されていた転送石による恐ろしい装置も発見致しました……現在、聖騎士たちには神殿騎士と連携をし、厳重な見張り、偵察を怠らないよう、令を発したところです」

 ただ、女王の表情はそこで曇ったものとなった。

「ただ、兄……ゼーメル教皇が、魔王と通じていたとは……ましてや、それが以前の『魔災』から、というならば、尚更の事、私は、これを重く受け止めなければなりません」

 そして、更に曇り、悲しげとすらなれば、

「ましてや、その魔王が、尚、健在であり、兄……教皇は甘言にそそのかされ、愚行に手を染めるとは……兄妹の死別である悲しみの前に、共に国を背負う身として、なんと残念な事でしょう。既に、今回の件で、私どもは、国境を幾重にもまたいだ動きをはじめています。そして国教は、今や、私たちの国だけのものではありません。今は彼の地の聖職者たちに政を託していますが、いづれ、次の教皇が選出されるまでは、その代理をも、私がつとめる所存。各国からの責めは、この私が全て引き受けましょう」


 ただ、そこで、一呼吸置くようにすると、睫毛長き瞳は、ムサシとアミナの方をじっと見、

「この者たちなのですね……」

「はい。セーラー様。かつて私たちの世界を救ってくれた、『光の戦士たち』です」

 答えたのは、カリーヌなのであった。

 

 アミナは、それらしく会釈をし、ムサシが「えっ……オレ?」などとすっとぼけていると、今度はリーファインが、「こちらからアミナ・ユウキ、そして、ムサシ・コノエ であります」と変わりに紹介などをし、

「……そうですか。本当に聖殿主殿の神託通り、なのですね……」

 その瞳は、感慨深げに少年と少女を見つめている。ただ、そこで女王は申し訳なさそうに、

「……ですが、残念です。私は、あなたがたの事を強い日差しの中の影のようでしか、思い出せません」

 などと言った後、アミナの聖騎士である姿などには一際に暖かい眼差しを向け、「あなたたちは、さぞかし、私たちのために尽力をしてくれた事なのでしょう」と付け加える、その人柄は、兄妹で随分と違いがありそうだ。

「セーラー様、致し方のない事です。本来ならば『魔災』の後の彼らは、まるで風のようとなるのが、これまででした」

「……そうですね」


 気品のある女性同士の声が響き合う。カリーヌの説明にはセーラーは頷くほかない、といった様子であったが、「……ただ、この度の『魔災』は終わっていなかった……」と、カリーヌが続ければ、「……そのようですね」と、途端に表情を厳しくしたのはセーラーなのであった。そして、「調査結果を皆さんにもお教えします」という一声と共に、直近にいた供の者は、その手にあった書簡などを、女王の前に差し出すと、

「既に、『光の戦士たち』が赴いた月の地の件ですが、私たちも装置の発見次第、彼の地には渡りました。そして、調査結果として、『魔王、尚、健在』という事実は、飲み込まなければなりません」

 王宮の窓の外からは優しい陽射しが舞い込むのどかさでありながら、テーブルの空気は途端に変わった。女王は語り続ける。

「ただ、把握できた事は、彼らの規模自体は、魔王領があった時のそれよりかははるかに小規模であったとの事」

「そのようですね。こちらのリーファインとの報告とも合致します」

 セーラーの言葉に続けるようにしてカリーヌが答えれば、リーファインが恭しく頷き、

「我が陛下っ。恐れながら、私たちも同じ印象を受けました」

 今度は「光の戦士たち」の代表であるかのように聖騎士アミナも答えると、ムサシとココは、顔をいったりきたりする他なかったが、元が策士であるムサシなどは、ま、そんな感じだったな、などと心の中で当時を反芻するのであった。女王は語り続ける。


「……そして、好機と言える事と言えば、魔王は、こちらの動向には未だ気づいていない様子……これは早期に動けば、私たちへの再度の脅威となる前に、その芽を摘み取る事も可能かもしれません。いずれにせよ、今のままを静観する気など私たちにはあり得ません。既に期は迫っているといってよろしいでしょう。ですが……魔物たちが、尚も軒昂であるという状況のなか、ノルヴライトの多くの国がそうであるように、私たち、ルナアンヌも復興半ばにあります。多くの騎士を動かす事は難しいと言わざるを得ません。それにくわえ、今は、魔王が健在しているという事を、これ以上の内外に知れ渡る事は避ける事が得策か、とも……私としては、これを選りすぐりの精鋭部隊によって討伐できないか、と考えました」

「なるほど……では、それには私たちグリターニャも協力させていただきましょう」

「カリーヌ殿……よろしいですか?」

「恐れながらっ! 陛下っ!」

 既に天井を仰ぐようにしているムサシの隣では、アミナが立ち上がった。可憐な元首たちの瞳は、そちらに眼差しを向けると、等しく可憐ながら、既に勇壮な魂を宿した聖騎士の乙女の視線は、真っ直ぐにそれらを見返していて、

「そのお役目っ! 是非、私たちも! 供に!」

 「ひぇえええ……」などとか細く妖精は悲鳴をあげたが、他は何も動じていない。セーラーはアミナを頼もしげにじっと見つめた後、

「よろしいですか……『光の戦士たち』よ!」

「まっかしといて~くださいよ~」

 そして、ウォーミングアップでもあるかのように首を回し、天井から、元首たちを見返して、答えたのはムサシなのであった。


 彼らは、このためにこの世界に再び降り立った「光の戦士たち」なのだ。こうして最後の戦いははじまろうとしていた。

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