月の彼方へ

「どうされましたか! 猊下!」

 既に、ムサシとアミナと等しく厳しい表情となっていたのはリーファインであったが、それでも、エルフの乙女は、国の使いとしての責務を果たそうとしていたかもしれない。

「……本来ならば、余こそが、ルナアンヌの正当な後継者であったはずなのだ……」

 ほどばしる妖気と共に、いよいよおもむろに立ち上がるゼーメルは、長身のムサシをもはるかに凌ぐ巨体だ。

「それを、なぜに、余が、こんな北方に追いやられ、肥沃な大地は、こざかしい妹にくれてやらればならんのだ……」

 いよいよ、その声の調子も単なるしゃがれた声から、徐々に、魔性のがかった、不穏なトーンへと様変わりしていく!

「『魔災』は、余にとって絶好の機会だったのじゃ。それをどこの馬の骨とも解らぬうぬらが現れて、全て台無しにしてくれた……! この恨み、今こそ晴らしてくれようぞ……!」


 バリッ! メキメキメキ……! ズズズズズ……!

 今や、その教皇のローブは、本人の体の変化に耐え切れず、内側から切り裂かれていく! その血のめぐりの悪そうな肌はみるみると鱗の模様となっていき、背には、コウモリのような羽など生えれば、顔は、ワニ面をしていって、更に冠も落ちる頭からは何本もの角が生え出ていく!

「……魔王の助言というのも、聞いてみるものだな。なあに、良薬変わりに、竜の血とやらを試していたのよ……みなぎる……まるで、爽快じゃ」

 なんと、その声の調子は、ムサシとアミナにとって、かつてのヒデトとの一戦を思い起こすかのようではないか!

「猊下……! あなたは、なんという、愚かな事を……!」

 竜の事と言えば、精通しているリーファインも黙っていられない! その竜と人の間といった禍々しい姿に、傍らに置きし槍に手をかけねばならぬ、といった心境であった!


 妖気は振動となって教皇庁の下の階まで伝わっていた様子である。くたびれたとは言え、この国を護る気概は衰えていない、神殿騎士たちが鎧を鳴らしながら、

「どうされました!? 猊下!……猊下?!」

「猊下は竜に変わられてしまった! ここは私に任せて、貴公らは至急、市民の避難を!」

 そして、信じられない光景を前にして、目を丸くする者たちに、竜騎士は迅速に指示をする。また、その時には、ムサシもアミナも各自の得物に手をかけ、今や、抜刀寸前という体勢を形作っていたのであった!


「GURURURURU……」

 不気味に喉を鳴らしているのは、笑っているのであろうか。最早、人とも呼べない姿は、みなぎる自らの力に酔いしれているかのようである。そして、

「巷の者どもが言う通り。魔王は、まだ生きておる。この国から厄介なルナアンヌの者どもを追い出したのもそのためよ!」

 魔に取りつかれた、野太いはだだ広い謁見の間の中に響き、ドスンドスン……と、人とも竜ともつかない魔物は、先程まで自分が座っていた玉座の後ろに垂れさがる垂れ幕を、ビリビリに一気に、剥がすようにすると、なんと、その一角の床一面は、不自然に光り輝いているようではないか!

「あ、あれは……!」

「一面、転送石じゃねーか!」

「ゴブリンもいい仕事をするものよのォ……いずれ、時が来れば、ここから再び、魔王たちは現れるという寸法じゃ! この国を荒れ果てさせておくのも、全ては考えづいての事よ!」

「猊下! あなたは国の長でありながら……!」

「余は王になるために生まれた! 誰が坊主のままなど甘んじていられるか!」

 GAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!

 

 吠え声と共に口から吹かれた炎はドラゴンのそれ、そのものだ! 既に各自身構えていた三人だったが、咄嗟にその第一波を避ける!

「しゃあねぇ……やるしかねぇ」

 相手を睨みつけ、ムサシが刀を抜く頃には、既にアミナもリーファインも各自の得物を相手に向けていて、「御免……!」と、先ずは竜騎士が駆け出して跳躍すれば、聖騎士も真正面から斬り込みに入っていたが、

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!」

 先ずは、その炎に、「ホーリーシールド!」と聖なるバリアでもってアミナの足も止まってしまえば、頭上から襲いかからんとしたリーファインへむけても鋭い爪の攻撃が迎え撃とうとし、

「うむ……!!」

 流石の竜騎士も、その角度を変えて一太刀浴びせる事も叶わず、ジャンプにジャンプを繰り返せば、もう一度、間合いを測って構え直すしかなのであった。

「……花鳥風月流! 花の舞!」

 間髪を入れずに動いたのは、ムサシである。みるみると大回転となれば、ノルヴライト一の切れ味を食らえとばかりに、その大車輪でもって襲いかからんとし、

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!」

 とした、それは炎さえもはねのけていけば、とうとう一太刀!

「グワっ……!」

 鮮血がほどばしり、流石に苦悶とした竜人の者が忌々し気に振り払おうとすると、その剛腕を首の皮一枚でよけては、ズザザザーっとした激しい音をたて、侍は着地するのだった!


「ムー君!」

「……なかなかたいしたもんだわ。もう、ほとんど竜なんじゃねーの。このおっさん」

 恋人を想い駆け寄る聖騎士に、答えつつ、そして二人の表情は正面に向け、厳しくする。

 

 激昂したのは竜人の方であったかもしれない。

「おのれ! 小僧! 教皇たる余の顔に傷をつけたな!」

 その尖ったワニ面から滴り落ちる血も、辛うじて赤いかどうかも怪しい中、

「賤民ごときが!」

「……いやいや~。おっさん、なりたくなかったらしいくせに、都合のいい時だけ教皇ヅラとかウケるんですけど」

「黙れええええええ!」

 ただ、大きく開いた口から、GAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!! とした炎が迫り来れば、散開するしかない。

「……うーむっ!」

 最早、すっかり動作も一人前であるムサシたちであったが、このままでは埒が明かぬ事も見え始めた事に舌打ちもしたくなる少年がいるのであった。


 この難敵は、なんとか相手どれるものの、いつまでも真正面からぶつかっていては勝負がつかなそうだ。

(考えろ~……考えろ……)

 睨み合いが続く中、策士の侍の少年の心は呟き続けていた。と、奇策を思いつくのは、最早、彼の天性といっていいかもしれない。やがてムサシはゆっくりとリーファインの方へと近づいていくと、

「(ココ……ココ……!)」

 などと声をかけ、すると、竜騎士の鎧の隙間からは、すっかりおびえた妖精の瞳が、ひょこっと顔をだす。

「(たのむ……お使いだ……オレの帯に、マリーからもらった機術の薬がある……)」

 それは、ある日、戯れにもらった、粉末状の、魔物に特効性のあるしびれ薬の袋であったのだ。メキメキと実力を取り戻していったムサシたちにとっては、もう無用かとも思っていたのだが、更に隠すようにすれば、ココにそのしまわれた場所を顎で指し示し、

「(こいつを……あいつの真上からふりかけてやってくれ……!)」

「(ひぇぇぇぇ……)」

「(たのむ……!)」


 妖精は一際、小さく脅え、侍は懇願した。そして、「(ムサシ殿! 貴公はなんという……!)」と、割って入ったのは、種を越えてパートナーとなった竜騎士である事も当然と言えるだろう。ただ、

「(……わかりましたわ……!)」

「(ココ……!?)」

 パートナーという愛の力は、戦いを好まない妖精にすら勇気を与えたようである。ムサシが感謝の意を瞳で表せば、小さい姿のへの字口の表情からは強い覚悟が伺えた。


「どうした? 賤民ども。もう終いか……?」

 竜人は不敵にガマ口となった顔を歪ませ、笑みを浮かべている様子である。


 やがて、ふわりとリーファインのもとから飛び立つ者があれば、

「やー。おたくさんがお強いもんでね。すっかりこっちとしては参っちまった、てなもんですよ~」

 負けずにやり返しつつ、時間稼ぎを数えはじめたのはムサシで、共に戦って長いアミナなどは、既にムサシが一計を張り巡らした事をすっかり承知している様子であった。

「でもさー。教皇さんさー。この辺は確かに寒い北国だけど、家来もいんだし、税金だってがっぽりとれんだろー? なにがそんなに不満なわけ?」

「ふん……やはり、そもそもの発想が賤民よの」

「やー、わっかいないんすよー。うちら、般ピーっすもん」

「パンピー?」

「一般ピープル。あー、こっちじゃそんな言い方しねーか」

 時間稼ぎの会話と共に、ムサシはふわふわと浮かぶ小さき存在の行方をあざとく追い続けていく。


「ふん……天下は余のためにあるのじゃ。いずれは魔王すらも余の前にひざまつかせてみせるわ……じゃが、その前にうぬら、『光の戦士たち』よ……! 消えるがよい! へーくしゅっ! う?! うむ!」

 そして、その粉末は教皇の頭上から見事、舞い降りていったのだった! 途端に微動だにしなくなった我が身に教皇は驚いた様子だったが、

「アミナ! リーファイン! あんだけのデカブツだ! そんな続かない! 一気に畳みかけるぞ!」

 言い切った途端にムサシは駆け出すと、竜人に向かって真正面から突入していき、その刀を両手でしっかり握ると、「うおおおおおおおおおお! 花鳥風月流! 月の閃!」

 その空中を切り裂く三日月型の斬りは、一際に大きな月を描き、途端に血しぶきがあがれば、竜人が、「おのれ……!」と、駆け抜けた丁髷の後ろ姿を振り返す間もなく、

「ホーリースター!!」

 お次に可憐なハーフアップのロングヘアーは、レイピアを光速のスピードで次々に突き刺していき、「ぐ……は……!」

 たまらず血反吐もほどばしる瞬間。


 ビュン……!!


 超人的な跳躍の音が響けば、天井などを更に蹴り上げ、

「ドラゴンダイブ!!」

 竜騎士の奥義である槍の一突きが、エルフの魔法の力に呼応した光の姿と共に、竜人の頭上の隅々にまで突き刺さる頃、「が……」という一声しかだせずに、その者は白目を向いて絶命すると、ドス……ン……と、倒れ伏すのであった。


「ふぅ……」

「ムー君!」

「ココ!」

「お姉さまー!」

 勝利の余韻は四者四様であったが、彼らの瞳は改めて、その哀れな屍に向けられた後は、一面中が転送石となっているタイルに向かうのは至極当然といっていいだろう。


「ここまできたら、いくしかないっしょ」

「そうだネ……」

 汗をふきつつ、それを真っ直ぐに見つめる少年と少女は、既に、かつて魔王を倒した者の旅の一行そのものの勇ましさであった。

「……直に神殿騎士の者たちが駆け付けるだろう。私は再度、事情を説明してから参ろう」

 竜騎士の者も負けずに凛とし、ムサシとアミナはそれに頷くと、タイルの中へと飛び込んだ。






 おびただしい光の渦の中を何度も飛び越えていった矢先、さて、何が待っているかとムサシとアミナが険しく周囲を見回そうとすれば、ところどころに岩山も生えている、そこはどこまでも続くような、なんと広大な砂漠ではないか。

 そして、なんといっても印象的なのは、ノルヴライトの夜に見上げる空以上に、天にあるそれは、正に宇宙、そのものであった。更に、よくよく見ると、なにやら人工でできた輪っかが、空全体を一筋に覆っている。

 まるで来たる日のためとデザインされたような、たった今、自分たちが転送石を通って渡ってきたゲートを背に、砂漠を、尚も、少年と少女が見回していると、しばらくして、リーファインと、その肩先にとまるココの姿も現れれば、彼らの瞳は、ムサシとアミナ以上に驚いているもようだ。そして、

「なんだ、あれは……」

「なんですの……」

 と、その宇宙一面の地平の彼方にある青い星や、すぐ、間近の空に浮かぶクレーターだらけの球形の塊にも、まるで見た事ないようにギョッとすらしている。

 既に侍特有の妙技、「遠目」でもって、それが青い海に浮かぶノルヴライトを形作る巨大な大陸である事を確認していたムサシは、「そっか~、未だに天動説も信じてる人たちも、いるんだもんな~」などと呟きつつ、

「ここはね。月だよ。オレたちが見上げてる。その片方だね」

「なんと……」

「えええ……!」

 とっくに答えを見抜いていたムサシとアミナの目の前で、異世界の人々は、まるで、今まで見た事なかった世界に、ただ驚くのみだった。

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