教皇

 イシュガールの領内へと歩を進める度に、寒い北風が唸るように一行に襲いかかり、ムサシたち一行は、魔物に剣を突き立てようとせんとする以外でも、終始、厳しい顔つきでいなければならない事を余儀なくされていった。

 ましてや、領内のあちこちにある、まるで見捨てられたような街や村々の景色を眺めれば尚更の事だった。


「教皇さん、なにやってんだろ」

「ね。他の国の王様たちは頑張っていらっしゃるみたいなのに」

「そこなのだ……猊下は、あまり、政治に関心がない方ではあったが、これではあまりに……」

「ともかく、さむい~ですわ~っ」

 くたびれた宿主の経営するせまい一室で、ムサシ、アミナ、リーファインは各々に腰かけ、点された蝋燭の灯りの揺らめきなども見つめ、物思いにふけって語っていると、エルフの乙女の膝の上では普段通り小さくなっている妖精が、プルプルと更に体を小さくするようにしている。すると、フッ……と笑んだエルフは、まるで彼女を両手で包み込むようにし、その頭などを撫でてやる。「お姉さまっ」と妖精が嬉しそうに見上げれば、二人はすっかり恋仲の見つめあいだ。


 うなだれるように佇むガラス窓の外は、チラホラと雪すら降っているようだ。今宵は二つの月も見える事はない。仲睦まじい姿を微笑ましくしながら、ムサシは、一度、窓の外に視線をやり、

「まっ! あのおっさん、目の前にしたらなんか解る事もあるっしょ!」

「まーた、ムー君はっ! ケド、そうだネ。明日にはイシュガールに着けそうだし!」

 アミナが、冒険者一行ならではの宿部屋での作戦会議をしめるのであった。


 高い城壁に四方を囲まれた宗教都市イシュガールは、天まで届くかという高さの教皇庁の建物以外は、何一つ中身を伺いしる事はできない。他の都市では、様々な人々が行き交うはずの門ですら厚く閉ざされたままだ。外国からの来訪者は街への入国を許可する事はできない、と、役所仕事に勤める、教皇の領土直属の軍事警察権を担う神殿騎士ですら、徒労にまみれた顔をしていたが、リーファインがカリーヌの親書を見せると、言葉にださずとも、その表情は、寧ろ、この状況が動くかもしれないという淡い希望のようなものが見てとれたかもしれない。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………


 こうして、久しく開く事もなかった街の門は、久方ぶりの運動のために、重くなった体を立ち上げるような音をだして開き、そこで旅の一行を出迎えたのは、一人の高位聖職者であった。そして街に入っていけば、雪かぶる北国の街並みの中、食う者にも困ったような人々があちこちをフラフラと歩いている悲惨な光景だったのだ。


 もう、この領内に入ってから、何度目になるかも解らない顔の険しさのままに、ムサシもアミナも、リーファインと、彼女のマントの首元にくるまるようにしているココが、辺りを見回していると、

「猊下が国を閉じると宣言なされてから、随分、経ちますゆえ……物流が途絶え、今では各教会がなんとか連携して、民にせめてパンの一つでも、と、動いておりますが……それもいつまで持つか……」

 長いローブ姿の聖職者は非常に言いにくそうである。

「この地は、かつて魔王が自らの居城変わりにも使っていた一角です。『魔災』が終わり、我々の国も皆さんの国々の後に続けとばかりに思っておりました。特にこの国は、殊更に国力を取り戻す事は責務と、皆、張り切っていたくらいなのです」

 そして、一つ、ため息をつくと、

「ただし、猊下は、ルナアンヌ神聖王国の王家でもあられるお方。誰が逆らう事ができましょうや」

 

 やがてはステンドグラスが張り巡らされた、教皇庁の建物へと一行が入っていくと、荘厳な雰囲気の建物であるというのに、ここまで麓の国が貧しいと、物淋しくすら見えてしまうのは気のせいだろうか。幾人かの聖職者のローブ姿とすらすれ違ったが、その顔はどれも憂いに満ちている。

 一角にあったエレベーターに案内されると、遥か上層を目指し動き始めた、それの中で、

「最早、猊下は、国の行く末を決める大事な議会ですら、開会する御意思もなくなっている様子。それでも国教の長であられるお方に、誰が逆らう事ができましょうや……我々は、皆、イシュガールの政にも携わる身でありますが、その前に、真実の愛を説く宗教者にすぎません。ですから、この度のグリターニャからの親書は大変にありがたい。これで猊下のお心が変わる事を願ってやみません」


 高位の者はかなり困窮しているようだ。否、それは、彼だけではないのだろう。ムサシたちはただ、ただ、その表情に、顔も険しく頷くほかなかったのである。と、エレベーターは、ある階層で止まってしまった。最上階にいるであろう教皇のいる場所とは、未だ、距離として尚、有りといったところである。

「誠に恐縮ながら……猊下には、限られた者が、限られた回数しか会う事ができないという事になっております。既にグリターニャからの使いである事は猊下のお耳にも入られている事でしょう。ここからはどうか、皆様のみで……」


 そして、エレベーターからムサシたちが出ると、深々と頭を下げたままに、聖職者は下へと降りていくのだった。

 目の前には、巨大なステンドグラスの並ぶ石造りの壁面と、赤いカーペットが敷き詰められた回廊のような階段が、延々と上へと続く。

「……なんなんだろ。そういや、祝賀会の時にも、なんとなく、あの人だけムスッとしてたような気もしないでもないけど」

「えっ……そうだったの?」

 いつものように、目ざといムサシが何かきな臭さを感じるようにしながら、顎をさすり、かつての思い出した記憶などを手繰りよせ、アミナが驚いていると、

「ココ……なんだか、すごく嫌な気を感じますわ」

 既に妖精は、リーファインの鎧の中に埋もれるようにしていて、人よりも五感に長けたそれで訴えれば、

「……だが、猊下に会わぬ事にははじまらぬ……」

 人の中でも感覚の研ぎ澄まされたエルフの騎士は、じっと上層の方を睨むようにしていたのだった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 こうして、四人がいよいよ辿り着いた巨大な門は、ひとりでに勝手に開かれば、相手は国家元首である。流石にムサシも含めて立礼のままにしていたのだが、

「……入ればよい」

 しゃがれた声が広間には響き、ムサシたちは、その声を聞いて一歩、一歩と踏み出していくのであった。


 円柱が並ぶようにそびえ立つ、謁見の間は、かつてそこで激闘があったとは思えないほど、整然と修復されていて、ムサシとアミナなどには、時間の経過を物語るような光景でもあり、やがて、その奥に、かつて魔王が座していたはずの玉座には、長く白い髭をたくわえ、冠をかぶった者がじっとこちらを見ているような姿も確かめる事ができれば、ココは、リーファインの背の影にすっかり隠れるようにもしていたが、その髭の隙間から垣間見える、顔色も相当に悪そうな肌の色に、途端に表情を変えたのはアミナでもあった。


 ある一定の距離のところで皆は立ち止まり、先ずはアミナとリーファインが一斉にひざまつき、慌ててムサシが後に続いてみせたりすると、

「ルナアンヌ神聖王国国教が長にして、宗教都市イシュガールが主、ゼーメル七世教皇猊下、この度の我々への入国許可、誠に痛み入ります!」

 最初に口を開いたのはリーファインで、

「私の名はリーファイン・ケレブリアン! 森の都、グリターニャは、カリーヌ・セイナ様の使いとして参りました!」


 ギリギリギリ……

 と、それは、最初、なんの音かも解らず、ムサシなどは思わず顔を上げてしまった。どうやら、音は、国教の威信をあらわすかのような杖を持ち、一際に長いローブを身にまとい、巨大な玉座に座っている、顔つきもあまりよくない髭づらの中から聞こえてくるようだ。

 どうやら、リーファインが使いとして語ろうとしている中、教皇は全く無表情に、口の中で歯ぎしりを繰り返しているようなのだ。

 と、そんなムサシの隣では、更に表情を険しくしていたのはアミナであったのだが、流石にたまりかねたようにすると、あまり普通とは思えない国家元首の態度に、

「(猊下から……すごい、闇が……!)」

「(えっ……?!)」

 それは神聖な力で護られているが故の聖騎士アミナだから、感づく事ができる芸当だった。ムサシに耳打ちするようにすると、彼女の方を驚くように侍が振り向いた、その時だった。


「……して、お前のところの巫女は、余に、この国を開け、と、そう言いたいのであろう?」

 覆い尽くす白い髭のなかでも、苦虫を嚙み潰したような顔をしているのが良く解る教皇は口を開いた。

「恐れながら、私は、国の長に親書を託された使いの身でしかすぎません! 是非、この度は先ず、親書の中身を吟味していただきたく……!」

「……こざかしい。騎士ともなると、どいつもこいつも我らに忠義を尽くす態度をとりながら、その威信にすがりよって。東方の侍ともなれば、帝がいながらも長が騎士であったな。ますますもってこざかしい……」

(……え、オレ……?)

「それは聖騎士か……久々に見るが、それにしてもこざかしい」

「…………!」


 教皇は、随分と難しく、また、まるで不満の塊のようで、ひざまつくムサシたちのなにからなにまで気にいらない、といった様子である。これは先ずは親書を受け取ってもらえるまでが一苦労、といったところであろうか。ただ、教皇ゼーメルが、

「だが、そこにいる侍と聖騎士……うぬら、ただの騎士ではないであろう」

「えっ……」

「……?!」

 その一言には、思わず、アミナまで顔を上げてしまうというものだ。

 

 既にその姿は、なにやら妖気を体中から醸し出していて、リーファインの影に隠れるようにしていたココは更にひどくおびえた様子で丸まってしまうようにしていると、

「……流石は、あやつの言った通りじゃ。この体内には、今までにない『力』が宿っておるようじゃ……解る……解るぞ……うぬらの正体が……余があやつと交わした密約すらも、見事に討ち滅ぼしてくれた者たち……うぬら……『光の戦士たち』であろう?!」

「むっ……?!」

「…………!」

 この世界へのふたたびの来訪の中、はじめて、その正体を見破った者は、今や、立ち上がると、その体中からほどばしる妖気を更に激しいものにしている様子ではないか!

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