竜の影

 聖殿と呼ばれる大樹の中に、まるでこんこんとした泉までもたたえた、どこまでもひろがっているかのような自然さえ広がっているのは、代々、巫女や巫覡が治めてきた国の神秘といっていいかもしれない。カリーヌに言われ、尚、リーファインは忠誠を表すかの様に立礼の姿勢を決めているなか、肩先に腰かけているココがカリーヌに手をふれば、にこやかに、ゆっくりと手を振り返す現当主は、静かな物腰ながら、気さくな人物でもあるようだ。やがて、ムサシとアミナも、おもむろに立ち上がったのだが、小柄な巫女は、聡明そうな瞳で彼らの事をじっと見上げ、

「そうですか……あなたがたが、『光の戦士たち』の方々だったのですね」

「やー。どーも、どーも。変わってないっすね~。カリーヌさん」

「ムー君っ、こらっ!……お久しぶりでございます。カリーヌ様」


 各自がそれらしく、再会の挨拶など交わそうとすると、白い杖を手にし女性は、少し悲し気に眉を八の字にして彼らの事を見たであろうか。それから、

「……ごめんなさい。では、これも、いつしか、あなた方にお話した事であると思うのですが、この光の地、ノルヴライトに、魔王、現れ、闇、蔓延りし『魔災』の時、あなた方、『光の戦士たち』はどこからともなく現れ、世界を平和にしてくれます。ですが、『魔災』が終わり、私たちが、あなた方に、改めて謝意を表したいと思った時には、あなた方の姿は風のように跡形もなく消え、その名を口にしたくても、さえずりを忘れた鳥のようになり、姿など、強烈な日差しの中の影のようでしか、私たちにはなくなってしまうのです。あなた方は、このグリターニャを含めたノルヴライト、そして東方ノルヴライト全土で、様々な活躍をしてくれたのでしょう。ですが、残念ながら、私を含めた全ての者の記憶からは、あなた方の姿を思い出す事はかなわないのです」


「あー、やっぱり……」

 などと、ムサシが丁髷頭をかきかきとしていると、

「……ですが、ある時、私の元には、『光の戦士たちは再来する』という神託がおりていたのも事実なのです。その再来の場所が、このグリターニャであった事も、我らが神がよかれと導いてくれた事なのでしょう。私は、もっと兵の者たちにも徹底をしておけばよかった。この度の非礼に、心からの謝罪を」

 胸にあてつつ、カリーヌが深々と頭を下げれば、リーファインまで追随するようにするではないか。

「いえ、そんな、頭を上げてください。カリーヌ様」

 アミナなどすっかり恐縮していたが、それでもしばらくは、この国の元首は、異界からの少年少女に、その姿勢を崩す事はなかった。が、やがて、おもむろに元に戻ると、

「このノルヴライトの悠久の歴史の中で、『光の戦士たち』が再来するなどという事は、はじめての事です」


 凛とした静かな口調には、ほんのりと厳しい表情をたたえている。

「そして、このノルヴライトという地に生まれた以上、人と魔物とは、実は切っても切れぬ仲。『魔災』で人の地が根絶やしにされてしまう事も避けなければならない事ではありますが、人ばかりが栄華を誇る事も、神は認めてはいらっしゃらない。それがこの世界の必定なのでしょう。私などはそう考えております。ですが、この度は『魔災』が終わって尚、人よりも魔物たちのほうが、軒昂であるという事態が続いて久しくおります……」

 聡明な女性は語り続ける。

「そして、知ある魔物たちがレジスタンスなどと称して活動し、異口同音なのは、『魔王は、尚、生きている』という主張です。まさかとは思いつつも、此度、『光の戦士たち』であるあなた方はとうとう再来されました……これには意味のあることとみて間違いないでしょう」


 いよいよ、ムサシとアミナが共に口もへの字に、大巫女を見返していると、

「私たちの地方はその多くが都市国家で成り立ち、その同盟、『ノルヴライト都市国家同盟』によって様々な取り決めが成されている事は既にご存知ですね。私を含め、各国の元首は集い、これまでも、この異常な事態についても、多くの事を話し合ってきました。ですが、この流れの中、今こそ、人の結束が試されてるやもしれぬのに、宗教都市イシュガールが、同盟からの脱退を、突然に表明してきたのです」

「イシュガールが?!」

 驚きを隠せなかったのは、アミナの榛の瞳であった。


「……はい。この光の地でも、一際に神聖なる光の加護に守られていると言われる、ルナアンヌ神聖王国、その兄弟国とも言われるイシュガールです。多くの他国にまで及んでいる彼の国の国教の長にして、イシュガールの元首、教皇猊下は、私たちが困惑するなか、とうとう鎖国まで宣言をし、とうとうその街門を閉じてしまいました」

 アミナの、神聖王国で認められた聖騎士の姿をじっと見つめれば、カリーヌも、更に、詳細に語らずにはいられない。

「……てか、うちらがきた頃には魔王領の拠点があったとこじゃん……」

 顎に手をやり、策士のムサシは、既になにかのきな臭さを感じていたであろうか。グリターニャの主の話は続いた。

「……元々、教皇猊下は少々難しいお人柄ではありましたが……『魔災』が終わり、避難されていた猊下も無事、領土に戻られたはずでした。魔物たちとの多少の小競り合いもありましょうが、全ては平穏に、元の世界が戻ってくると、誰もが思っていたのです。残った我々は、更に話しあいました。そしてこの度、私たち都市国家同盟の総意、そしてグリターニャの密偵として、リーファインには、彼の地に赴く事をお願いしたのです」

「寒かったですわ~」

「こらっ。ココ、大事な話しあいだ」


 素っ頓狂に間延びした声で割り込んだ妖精を諫めると、コホンと一つ咳払いをしたリーファインは、

「私は、自らの槍をも隠し、まるでさすらいの冒険者でもあるかのように、かの国の地へと踏み込んだ。今、どの国々も復興へと向けた歩みを留めていないなか、際だって目立ったのは、民も神父も、教皇領直属の神殿騎士たちも、どこか陰鬱な雰囲気で、くたびれきっていた、という事だ。このままでは厳しい北国の寒さの中で、彼らは皆、倒れてしまうぞ。そのための施策らしい施策にすら猊下は手をつけることなく、随分と久しい時が流れている、との事だった」

 そして、一呼吸をおき、

「私たちは、領土の奥深くへと更に、歩を進めてみる事にした。そして、霧けぶる、イシュガールに辿り着いたのだ。確かに門という門は閉ざされていて、とてもこの身なりでは中まで進めないだろうと、思った、その時だ。私たち竜騎士は、鍛錬によって、竜の気配を嗅ぎ付ける事ができるようになる。時に突風とも思える北風の中に、かすかな竜の匂いが、鼻孔に飛び込んだのだ。これはなにかある、と私は野営を試み、しばし、都市を監視する事にした」

「ほんっと、寒かったですわ~。ですが、仕事熱心なリーファインお姉さまのお伴ですものっ」

「コホン……拠点を決め、昼夜と問わず望遠鏡で覗き、観測日誌を綴り始めてから、数日も経たない時だ。私は、見たのだ……黒き竜を……!」

「…………!」

「…………!」


 思わず、かつての戦いを思い出し、ムサシとアミナが厳しい表情へと変わると、リーファインは頷くようにし、

「ああ。あれは、魔王か、それに連なる者たちが御するはずの一族。やつめ、隠れ身の技を用いていたが、同じ騎士でも、特に竜に特化した我らの目は欺けないぞ。そして、なんと、イシュガールの外観からでも、一際に天へと際立つ、教皇庁の上層の霧の中へと、悠々と入っていくようではないか。確か、イシュガールの竜騎士の頼りはルナアンヌにあり、鎖国が敷かれた今、彼の国には神殿騎士のみで、竜騎士は全て神聖王国に追い出された事は聞いている。それにしても、ますますおかしいという事だ……奇妙な光景、としか言いようがないのは事実……」

「教皇猊下と、その周辺の身のことを案じずにはいられません」

 やがて口を開いたカリーヌの瞳は、強く厳しいものとなっている。


「そして、私は、改めて『ノルヴライト都市国家同盟』の御前会議を各国家に提案し、今回の件について、話し合ったのです。そうしてでた結論は、改めて、かの国に同盟への慰留と、開国を促す、というものであるのは、当然とも言える話です。ですが、教皇ともなるお方に意見をする、というのは、その国教がノルヴライト全土にまで及ぶかもしれない現在、神聖王国の女王陛下ですら困難と言わざるを得ないでしょう。……白刃の矢としては、この度も、このグリターニャが負う事となるのも、自然の流れなのかもしれません」

 語り続けるカリーヌが周囲に一声をかけると、森の木立からは、一通の巻物を両手に掲げた、ホビットの従者が現れ、慈悲深き大巫女はその者の仕事に労いの言葉をかける事も忘れずにそれに手を伸ばせば、

「幸いにして、この聖殿の主とは、古来からのノルヴライト固有の自然崇拝を託されし者の証です。親書はこのようにして既に用意しましたが……そこに、亡きはずの魔王の配下の影があるというのならば尚の事……アミナ・ユウキ殿、ムサシ・コノエ殿、かつて、私たちの世界を魔王から救ってくれた『光の戦士たち』よ。この親書を持ち、グリターニャの、否、ノルヴライト全土の意志として、北の大地、イシュガールへと、外交大使として赴いてはくれないでしょうか」


 ムサシとアミナに、断る理由など何一つなかった。二つ返事で快諾すれば、カリーヌは深々と頭を下げ、

「皆様に、大地の女神の加護、あらんことを。供には、このリーファインを同行させます」

 その祈りの言葉は、現在、ノルヴライト全土に及ぼうとしている宗教の祈りとは、一線を画していたのであった。

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