世界の事情

 激震と共に崩れ去るピラミッドから、命からがらにムサシが飛び出すと、

「ムー君!」

 出迎えるようにしてアミナが抱き留め、少年もまたそれを抱きしめ返すのだった。が、今は、猶予というものは残されていなさそうだ。階下の果てに広がる地に向け、ひび割れ、次々に形を崩していく巨大な階段の中を、二人は、必死に駆け下りていった。そしてとうとうしまいに、地面に転げ落ちるようにすれば、二人の脱出はとりあえず成功というもので、後は、いよいよ、眼前にて、崩落の一途をたどる建造物を、ただただジッと眺めているのみですむかと思われた、その時であった。


 途端に、ド――――――――――――――――ン! などと言う更なる激震と共に、突風をも二人に襲い来れば、最早、精も根も尽き果てたといった状態のムサシを守るように覆いかぶさったのはアミナであり、思わず共に顔もしかめたのであったが、その後には、炎がくすぶり続ける地面の上に、手を掲げるような体勢で、褐色の肌の全裸の女の姿がそそり立つようにしているのを見て取れると、

「おいおい……まじかよ」

 ダークエルフの相変わらずの凄まじさには、一計を案じたはずのムサシが苦笑するしかなかったが、すぐ隣では、スッと立ち上がったアミナが、

「……ちょっと、待っててネ」

「おいおい! ちょっと!」

 愛しい者へと振り返った少女のその後は、少年の声を背中にするだけで、自らが手にし銀色のレイピアを構えると、いかにも正々堂々とした聖騎士らしく、特攻を試みようと駆け出していったのだが、いざ、その剣の切っ先を強敵に突き立てようとした瞬間に、ひるがえる長い髪の動きも止まってしまい、

「アミナ?!」

 少年がもう一度、その名を呼ぶと、

「……この人、もう……!」

 次は自分が相手だと、騎士の少女が突き立てんとした剣の先では、流血し、全身に大やけどを負ったダークエルフの女が、そのままの体勢で、微動だにもせず、既に魂は違う世界へと旅立っているところであった。


 これが女の抱いていた執念というものであろうか! ただ、尚、気迫すら伝わる立ち姿を前にして、少年、少女が思いにふける時間もあまり残されてはいないようだ。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!

 遺跡の群れのあるその一角は、更に、尚、地響きと共に強く揺れ続けている! あちこちからは天井から土塊すら舞い落ちはじめていて、ゴブリンたちが引き入れたのであろう、ギカンドートたちが、家畜小屋変わりに使われていた建築物から飛び出し、逃げ出し始めていた。

「さっきのと、今ので、地盤がガチで崩れたんだ! やばい! オレたちもずらからないと!」

「…………!」

 幸い、二人には、今や土と共に眠ろうとしている、ギイムに託されたゴブリンたちの「転送石」があった。ムサシが長着の懐からそれをとりだす頃、アミナは、眼前のダークエルフの女の姿を、もう一度、その榛色の瞳で見つめた後、踵を返してムサシの元へと駆け寄った。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!


 次に、ムサシとアミナが現れた時には、ギイムたちの一族が代々引き継いで築いてきたのであろう、坑口を整備した組み木すらガタガタとゆれ始めていて、心配げにしていたドワーフたちは、煤だらけの少女が力尽きた少年などの肩を組んでいるのを見てとれば、誰もが思わず駆け出し、励まし、共に脱出し終える頃、これまでの全てを閉じるようにして、遺跡へと続く道は絶えたところであった。






 グリターニャの鉱夫ギルドに戻れば、社員食堂にて、ドワーフたちはこの喜びを抑えきれないとでもいうほどの勢いで、豪快に笑い、食堂にある酒という酒を持ち出し、待っていたドワーフの女性たちですら、満面の笑みをたたえて料理の腕をふるい、次から次へと、美味そうな匂いで盛り付けられた皿など並べ、給仕している。

「お前ら~! 今日は最後のただ飯だ~! 存分に食って呑んで祝え! せいぜい明日からはおてんとさんはおがめねぇと思えよ~!」

 ギイムは、少年と少女がこれまで見てきた中で、一番の陽気なドワーフという、まるで不釣り合いな雰囲気もたけなわといったところであった。

「まったく。ギイムの親分の人使いの荒さといったらとんでもねぇ」

「しょうがねえだろ! てめー。グリターニャの鉱夫ギルドつったら、ノルヴライト一のブラックギルドなんだからよ! この国で、鉱夫になろうなんて思っちまったのが運のつきってもんよ」

「ん~? なんか言ったか~! てめぇら!」

 鉱夫たちがぼやき、冗談を言えば、ギルドマスターであるギイムがからみ、途端に、ガハハハと、豪快な男たちの笑い声があちこちで響き渡る。

「しっかし、これで、あの毛無しのゴキブリどももいなくなって仕事に戻れるってもんだ!」

「ああ! そもそもゴキブリの分際で、石を掘るな、触るなってんだ。今日はほんと痛快だったぜぇ~」

 同業者である故に、ドワーフたちのゴブリンを見る目は一際に厳しく、それを誰もが物語れば、そこに違和感を抱いてるふうな者は誰一人いない様子なのであった。またもやガハハハとした賑やかな空気となるなか、既に、顔も真っかっかにさせていたギイムは、今回の最大の功労者である侍の少年と聖騎士の少女の食事があまり進んでいない事に、ふと気づくと、

「おいおい。どうした。坊主も嬢ちゃんも。えっらい神妙な顔なんてしちまってよ」

「えっ……」

「あ~。いや~」

 すぐ隣で、すっかり酒くさく目もすわった髭ツラ顔がせまってくるようにしてくれば、ムサシもアミナも、生返事で答えてみせたりしたのだが、

「おたくらが、いちばんに食って飲んでくれなきゃあ、困るぜぇ~! 今日の主役はあんたらなんだからよ! こいつぁ、俺たちからの謝恩会なんだからよ~! さぁ、若いんだから、まだまだ背ものびる年だろ?! 食え食え! 飲め飲め!」

「あっ……はい」

「あ~。そりゃ~……どうも~」

「あ~……! もしや現場つぶした事を気にしてんだな~! 律儀なガキどもだな~! おい! あんなもんは、また掘って掘って掘りまくればいいってもんよ! 案外、あの沈下で、今まで知らなかった石もでてくるかもしれんしな! そうだなー! お前ら!」

 尚、少年、少女の感情の機微には全く気づかない親方が子分たちに発破をかければ、どの鉱夫たちも威勢よく応じ、そして、満面の笑みでもって次々に促されてしまえば、ムサシもアミナも顔を見合わせ、とりあえず、気分を変え、彼らと共に依頼の完了を祝う事にしたのであった。


 無論、謝恩会は二つの月が夜空に浮かんで尚、続いたのは言うまでもない。そして、「また、なんかあったら頼むぜ~」と、かつての冒険では眼中にすらなかったギルドの建物の前では、その場にいた鉱夫全員が見送る中、それに手を振り返し、ムサシとアミナには笑顔もあったのだが、満たされた腹を抱えて尚、二人の気持ちのどこかには、ほんのりとした複雑な引っ掛かりがあったのだった。


 森の都の街並みは、すっかり石畳の道もひっそりとした夜更けとなっていた。いづこかで犬が鳴き、きっと日もでないうちからギイムたちは現場に向かい、睡眠不足などという泣き言もいえないのが仕事である事なども、異世界も、そして少年、少女が元々いた世界でも変わらない、共通とした道理であるのだろう。

「…………」

「…………」

 そして、そんな真夜中の道なりに、恋人つなぎで歩く剣士の二人の頬を優しく夜風も撫でる頃、今の二人は、いつものような単なる恋人気分でもいられないのであった。

「ムー君……」

「ん?」

 先に話題をふったのはアミナであった。

「……今、なに考えてる?」

「……多分、アミナとおなじことっ」

 辛勝であったとは言え、強敵を討ったというのに、今、このひと時まで、二人の心は晴れやかなものにはならず、そして、その理由とは、ゴブリンの女族長たちが、残していった一言たちと、それらを抱き寄せるようにして、心底悲しんでいたダークエルフの女の後ろ姿の映像が、少年と少女の瞳から離れずにいた事だった。


 思えば、かつての冒険でも、語れる魔物たちとは口でもやりあったものである。そんな事すら思い出しながらも、

「私たち、あの頃は、魔王を倒すことしか考えてなかったし……」

「なっ。そもそもお前ら、しゃべれるのが気持ち悪いんですけど。くらいにしか思ってなかった」

 はじめての異世界という事で、余裕もなかった事もあろう。同じく召喚された者同士で手を結びあえば、この世界に対して見る目は、あまり大きくは開けていなかったのかもしれない。

「……なんか、そういや、あいつらと伊豆であった時にさ。はやく帰って母ちゃんとヤりてぇ、とかぼやいてたんだよ」

「そう、なんだ。やっぱ、家族、とか、いるんだよ、ネ……」

「やっぱ、あのクリスタルみたいのに、世界を救ってくれって説得力あったしさ。見るからに、どいつもこいつも悪もんにしか見えなかったし、まぁ、実際、あいつら、やる事、なす事、外道以下なんだけどさ~」

「ね……あのひとたちにも、あのひとたちなりの言い分とか、あるのかも……」


 少し、これまでと、世界は違って見えた少年少女がそこにはいた。だとしても、二人は、かつて、魔王を寸前にまで追い込んだ旅の一行であった者であり、ふたたび飛び込んだ志に、尚、迷いなどない。宿に帰った後、湯治の中で疲れも癒し、仲睦まじくすらしていれば、まだまだ若い二人が、結局、今夜も部屋のベッドをきしませる事も最早、日常の一つであったし、一つとなって見つめあう互いの潤んだ瞳には、すっかり、先刻、何を語り合ったかなど、とうに吹き飛んでいたし、やがて抱き合って眠る二人暮らしに朝が来れば、いつものように一通りの身支度すら先に終えたアミナが、尚、眠りの中にいるムサシをあきれ顔で起こしにかかる事も、まるでいつもの風景だった。


 今日も、グリターニャの朝はおとぎ話のはじまりのように活気づいていて、すっかりシャンとした聖騎士の乙女の後ろを、まだ眠そうに猫背をしたなまくら侍が続く事も、当たり前のようにして其処にはあった。

 そして、彼らにとってできる事と言えば、冒険者ギルドへと通い、居並ぶ猛者たちをかき分けるようにしながら、先ずは掲示板を見上げる事が日課であったのだ。最早、マリーのみならず、ギイムまでもが想像以上に報酬を払ってくれたおかげで、当面の二人の暮らしは盤石といってよかった。と、なると、仕事の内容を精査する余裕もではじめ、

「ほんとだ……これも、あれも! 『レジスタンス』って書いてあるね!」

「そ、そうなの?」

 などと、アミナが語りかけ、ムサシが答えたりしていた、その時だ。


 お馴染みのスイングドアが勢いよく開かれる事すら、それも冒険者ギルドではよくある事だったが、その者が金髪のポニーテールを青いリボンでまとめ、碧眼のエルフの乙女である事すら驚く事でないにしろ、端々を金色に縁どった黒光りする足鎧の、ガチャリガチャリとした物々しい足音も勇ましく、同色の特徴をした首の周囲までも覆う胸部装甲の背にはマントも覗いていたが、後の全ては、まるで戦いに特化したような、体全体を覆う、他の装備と似たカラーリングのタイツの戦闘服は、本人の抜群のスタイルを物語るとは言え、聖騎士アミナ固有の可憐さとは趣は異なる乙女が、今や、その本人の長身以上の、手にした槍で床を打つと皆を注目させ、

「我らがグリターニャ国第十四代聖殿主、大巫女カリーヌ・セイナ様からの使いである! 此処に冒険者、アミナ・ユウキ、及びムサシ・コノエはいるか?!」

 凛とし、落ち着いた口調の声が響けば、他の冒険者たちと等しく視線を向けていたムサシは、「……あ、竜騎士だ。久々に見たな」などとボソリと呟くのであった。

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