異世界編
ふたたびはじまる異世界生活
アミナが、ただただ瞬きする中、ムサシは、「……くっそ、腹減ったな」などとぼやきつつ、
「……いつだったかさ。それこそ、大巫女様が言ってた事、思いだしたよ。これまでも、光の地、ノルヴライトに、魔王は現れ、闇は蔓延り、いくどかの『魔災』は訪れて、その度に伝説の英雄、『光の戦士たち』はどこからともなく現れ、それを退治してくれたって。で、『魔災』は終わり、改めて謝意を表したいと思った時には、彼らの姿は風のように跡形もなく消えていて、その名を口にしたくても、さえずりを忘れた鳥のようになり、姿など、強烈な日差しの中の影のようでしかなくなってるんだって。そして、伝説となっていく……これが、語源よ。みんな、今回も、この光の中に佇むオレたちの影を、『光の戦士たち』と呼んでくれちゃいるんだよ」
そして、ムサシが語り続けている最中の事だった。大きな黒い帽子もまるで魔女のような、真っ黒づくめの老婆が、漂う水晶玉の上に乗り、手にした紙包みからは、バケットのサンドイッチなどのランチを覗かせながら、「おやまぁ、こりゃ、『若さ』も香る、ええ女騎士じゃわい!」などとアミナに語りかければ、皺だらけからギョロリと覗いた眼が、その上から下まで何度も見るような目つきをし、アミナが、なにかにゾッとはしたものの、後は、「うひょひょ」と笑えば、ムサシには一瞥くれるだけで、そのまま通りすぎていくと、流石にムサシもギョッとはしたが、
「……こ、こういうこった。今回の『魔災』も、表向きは終わった事になってんだ。オレたちはもう……無かった事になってる……!」
「…………っ!」
街は、更に賑わいを見せている。だが、顎に手をやるいつものポーズで推理を述べるムサシの隣では、アミナは、ただただ、その光景を瞬きと共に眺める事しかできず、森の中の都の大通りは、カフェのみならず、屋台も更に大賑わいとなってきていた。一通りの説明を終えたムサシは、テーブル席で憩っていたり、または立食する住人たちのランチタイムを、「あ~、くっそ、とりあえず、腹減ったな~……」などと相変わらず、ぼやいている。
そういえば朝から激戦であった二人は、食事らしい食事はしていなかった。だが、尚、瞬きを繰り返すままの少女は、未だ事態を、飲み込めずにいて、
「そうよ……神聖王国にいけば……私の名簿が……っ!」
「ないだろうよ~。オレが苦労して積み上げたエドでの実績も、こりゃ、全部、パーだな……」
答えるムサシのところには、虎のような顔をした獣人族の子供が、パイなどほおばりながら、「あ、サムライだ! すっげ~」と、丁度、珍し気に近づいてくれば、「お~う。東方から来たでござる~。……坊主、それ、ちょっとよこすでござる……」などなど、明らかに大人気ない態度に出ようとしたところで、その同族の母親が現れ、キッと無言の抗議でいかめしく睨みつけられては、めちゃめちゃ何度も頭を下げたりしているのだ。
確かに、なじみだったカフェの店内と外をいったりきたりしている、かつてはちょっとした顔見知りにすらなっていた、エルフのウェイトレスの少女が、一向に、アミナの姿に気づかない、気づけないのは、どうやら、注文された品々を運ぶ忙しさだけのせいではないようなのである。
「……どうするのっ?!」
ならば、思わずアミナは問うしかない。ただ、困惑しきった彼女のパートナーは、こういう時、意外と冷静なのが持ち味で、
「そうさな~……このままじゃ、無一文だし……マジ、飢え死にだ……!」
ただ、そのぼやきには、強烈な飢えによる、切実な生命の危機も、訴えていた。
まるで、西部劇にでてくるウェスタンなデザインのスイングドアの出入り口を開けば、場末の酒場のような雰囲気のあちこちのテーブル席では、鎧兜姿や、長いローブに杖など持った者たちが、まだ昼間だというのに、酒にくだを任せ、煙草の匂いも煙たかったりする、グリターニャの冒険者ギルドの店内の、相変わらずの雰囲気には、顔をしかめたのはアミナであったが、とりあえず、奥へと進めば、カウンターにいる受付嬢の姿も、まるで初対面というふうで、いざ、手続きを進めんとし、
「ふ~ん……うちを拠点に、冒険者稼業、ね~」
名前を問えば、それに答える二人の名をさらさらと台帳に記す、眼鏡をかけた、スタイルも良きエルフの女性は、
「で、見るからに、騎士さんに、お侍さんのようだけど~。証明できるもの~」
と、話しを続けた途端に、空腹を抱えたムサシの頭は「しまった……!」と、ハッと気づかされたのだ。
過去の事は問わずとも、かなり容易に身分の保証をしてくれる故に、食いっぱぐれたゴロツキなどもいたりするのが冒険者ギルドの特徴でもあるにせよ、思わず絶句のムサシに気づけば、アミナが溜息をついたのだが、ふと、表情を変えると、自らを覆う胸部装甲などをずらしたりし始め、すると、肌着の胸元にはさまれていたものを、取り出すようにすれば、それは透明なクリスタルに紋様が施された聖騎士の証であるペンダントであったり、ムサシが唸るように腕を組み、袖に手をいれたそこに、当たるものがあって確かめれば、「免許皆伝」と東方の文字で書かれた巻物などが現れたりするではないか。
それらはかつての異世界の日々で、二人が互いの道を極めるために切磋琢磨して手に入れた、努力の結晶でもあったのだが、思わぬところからの登場に、顔を見合わせ驚いていると、
「はいは~い。それそれ、ちょっと貸して~。さっきまでやらかしてたって感じだもの~。まさか、スライム駆除の見習い初めじゃないでしょうよ~」
(いやいや……そのギャラじゃ、飯にもありつけるかも微妙だろ)
とりあえず、受付の間延びした催促に、心の中で突っ込みながら、ムサシはそれを渡し、アミナも続くと、
「『魔災』が過ぎて、少しは、減ったけどね~」
登録完了後、受付の説明もそこそこに、二人はまるで慣れた手つきで、店内の一角の壁に張り出された、魔物たちの討伐依頼の仕事の張り紙たちを、時に、他の冒険者たちを押しのけるふうにしながら、眺めまわしていったのである。
こうして、以前とは、各自違う国、街でのスタートとなった、ムサシとアミナであったが、まだまだ、竜や、一つ目のサイコロプスといった、巨大、且、強力な魔獣を相手取るのは、警戒したいものの、それらよりも遥かに小柄で、鈍重な、トロール程度の巨人の成敗なら造作もなく、早速、グリターニャ領内の村に出現したというトロールの成敗に出向けば、帰宅後のギルドの報酬は、結局、朝から激戦続きとなって尚、胃を空っぽにして、育ち盛りの男子である事を耐え抜いた、ムサシの飢えを満たすには充分あり、かつてのノルヴライトでの暮らしを思い起こすかのように、そして初日の景気づけに、休む宿屋も上等な一室とすれば、この世界では、お約束のように混浴が多い大浴場をじっくりと満喫した後、やがて、部屋に戻れば、ベッドの上にて、仲睦まじくしているうちに、本格的に燃え上がってしまうのも若さ故、であろう。
漸く人心地ついたところで、尚、吐息まじりの潤んだ瞳のまま、二人は、木目の天井高くに灯る、照明変わりの魔法のランプと、シーリングファンの回転する姿などを、ぼんやり眺め、今日、一日の怒涛の展開などを頭によぎらせていたのだが、
「……ま、あのクリスタルのおかげだろうな」
「……えっ」
互いの体の背の下に腕をのばし、まどろみ、思い返す最中、ふと、ムサシは口を開いて、アミナがその声に見上げると、拍子にザンバラ頭は起き上がり、ベッドの下をガサゴソと、やがてギルドに提出した巻物など手に取れば、
「これとかさ。あれなりの助け舟だろ」
「…………」
そして、アミナが、いつの間にか首にかかっていたペンダントにそっと手を触れたりすれば、ムサシは戻ってきていて、いつものように、谷間に自らの顔をめりこませてくるので、痛いだろうとわざわざ外してやる心遣いをしてやってから、ザンバラを撫でてやっていると、
「……あれ、いい人なんだろうけど、ちょっと、ひとりよがりなとこ、あるじゃんね。はい、選ばれましたーって時も、突然だったし、魔王倒したと思ってて、これからどうすんだろ? って時も、はい、全部忘れてねー、さよーならー、みたいな?」
「…………」
ムサシは、目を瞑り、心地よさげに頬ずりを繰り返しつつ、この世界に召喚され、そして帰還したなら、本当ならば、誰もが忘れるはずだった記憶の事などを語りはじめ、
「未だに、何も言ってこないけどさ、そのうち、コンタクト、あんじゃねーかな? 前もそうだったじゃんね」
「…………」
ただ、このような事態になった事は今までなかったとも、クリスタルは言っていたはずだ。魔王を倒すモチベーションと言うなら、元が真面目な優等生であるアミナの意識も高いくらいだが、表向き、魔王は倒され、この世界は平和な事となっているのだ。なんの手掛かりもない事が、自らの胸の中にあるムサシの語りかけに愛撫で答えてやりながらも、彼女の顔を無言の八の字眉毛にさせてしまうのは致し方のない事であった。
「ほら、あと、前ってさ、オレら、『打倒魔王!』って、どっか、一直線だったじゃんね?……今日、思ったんだー。あー、こんなにいろんな依頼ってあったんだなーって。……魔王の事だぜ? 黙ってるわけないだろうよー」
ムサシは語っていて、そして、尚も愛撫で応えてはやっていたが、アミナは無言でいた矢先、とうとう唐突に、少年は、ガバッと彼女の上に覆いかぶさるようにし、
「……てか、ほ、ほんとの事、言うと、ちょ、ちょっと嬉しいんだ! ア、アミナとさ、ず、ずっといれるし!オ、オレっ! ほんとは前の時、突然、時代劇みたいな中、ぼっちで放り込まれて、面食らったし、ちょー不安、だったんだ……! だ、だから……!」
柄にもなく本音をストレートに言おうとすると、急にどもるのがムサシの癖だ。あの頃から飄々と隠していたが、一人転移先も違った孤独な旅は、実は寂しがりなところもある彼にとって、相当、こたえたものであっただろうとアミナが容易く想像できるほど、二人の仲は深まっている。そういえば、自分は直ぐに同じ宿命の者と出会えた気もするが、
「……ムー君……」
今のアミナにとって、それは誰でもいい事であった。目の前で恥ずかしげに目も泳がす者の頬を、そっと愛おしく一撫ですると、
「そうだネ……がんばろっ! 二人で……っ」
「お、おう! まだ初日! 初日! これから! これから!」
アミナの答えに、ムサシも明るく返し、年ごろのバカップルが、夜、何の制約もないとくれば、それは第二ラウンドの開始となる事も自然の成り行きで、明日のチェックアウトの時は、「夕べはお楽しみでしたね」の一言くらい、宿屋の店主に言われてしまいそうな予感だ。
こうして二人は、かつて召喚された異世界は、ノルヴライトと呼ばれる地の冒険者として、再び歩み出す事を心に決めたのだ。再訪初日、あれから何が変わり、変わっていないか、息も荒く、ふたたびベッドをきしませはじめた二人には、まだ何も見えていない。
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