多摩川

 それは丁度、かつてはムサシとアミナがちょっと遠出のデートをした事もある、中華街なるものがあった地域にて、かつての大通りを我が物顔にのっしのっしと歩く、大きなカエルの魔物、ギガントードが、路面に散らばる残飯と人の死体をも、我が口に丸め込もうと、長く伸びる舌を出した瞬間。


 ……ビュン……!

  と、いった、風が唸る音と共に、街影から丁髷頭が飛びだせば、一瞬で、舌もろとも切り刻み、最早、白目を向いて、バラバラと散らばったオオガエルの死体を前に、

「ふぅ……」

と、一息つくムサシがいるのも朝飯前の時だった。


「GAOOOOOOOO………!!」

 遠い空から咆哮が聞こえれば、侍は、すかさず、物影に隠れたのである。

「ムー君……」

 そこへ、同じく魔物退治を終えた、聖騎士の少女が寄り添えば、少年は頷いた後、もう一度、共に、空を見上げた。ただ、遥か上を飛ぶ竜の色は、魔王の愛馬であった竜と同じ、黒い色の鱗をしている模様だ。ふと、考えを巡らせたムサシは、狙いを定めるように目を細めてから、「遠目……!」と、ノルヴライトにいた頃に培った技を発動させると、それを凝視した。


 その技は、遥か彼方のものでも、至近距離の位置で物が見る事ができる優れものであったのだが、途端に、身近になった竜の姿には、その背に、人らしき姿の影さえあるのである。かつての異世界の記憶を思い起こせば、ムサシの唾も、ゴクリ……と音を鳴らしたが、更に、凝視してみせたところで、思わず、その目を疑った。


 黒竜の背に乗っていたのは、よれよれのブレザーをした制服らしきものを着た、なんと、自分たちと歳も近そうな学生風の少年ではないか。ただ、その背には、黒い柄の剣を背負っていて、とうとう、その者が、まるで、気づいたふうに、こちらに振り向いた時には、

「…………まずい!」

 と、すかさず術の発動を解除し、直ぐ側の自らの恋人にも、更に身をひそめるように指示をだして、自分をも影に隠れたが、やがて、その羽根の羽ばたきも遠のく頃、アミナが、「どうしたの?!」などと、問うてくれば、ムサシは、しきりに首をかしげ、「おいおい……どういうことだよ……」と、呻くように答える事しかできなかったのだ。


 やがては、廃墟となった中華街も果敢に通り過ぎ、東京から一歩手前という街のターミナル駅下の、かつては様々なレストランやブティックなんぞで賑わった、広大な地下街に巣食おうとしていた、猫背で、口からむき出しの大きな牙も禍々しい、黒い毛むくじゃらに、象のような両耳も垂れ下がる、小さき背の、醜悪な魔物、ゴブリンたちの宿営地をも根絶やしにせんとする時、息遣いも荒いムサシではあったが、とうとう最後の一匹に刀の切っ先を向け、

「答えろ……!」

なんぞとすごめば、この首都圏の上空の妖しい色彩が広がっているのは、せいぜい、後は東海近辺のみであり、関西にまで撤退した日本政府との睨み合いは続いているが、初動に「転移」してきた巨人族や、竜の数のほとんどは、一度、異世界に戻ったなどという真相を、漸くつかむ事ができたのである。


「お、おいらたち、末端が、もっと強くならなきゃまずいんだよ~。それまで帰しても、もらえねぇ……!」

「…………」

 こちらの世界の人間とは、既に次元の違うレベルではあったが、いくらノルヴライトにいた頃の力を取り戻しつつある過程の我が身には好都合とは言え、オークといい、ゴブリンといい、やけに雑魚しかいない訳に、ムサシは漸く合点がいった。ただ、尚も、問いたい事と言えば、やはり先刻の光景だ。


「おい! 黒剣とか言ったか?! なんで、あいつがあんな事になってる?!」

「し、知らねーよ! あの人間族、突然、現れやがって~。けど、おいらたちの部族を選んでくだすった魔王様が弟子って言や、従うしかねーだろーがよー」

(……?……それにあの剣……)

 鞘に収まっているとは言え、明らかに、異世界の得物である事は一目瞭然であった。ただ、ふと、思い返していると、「なぁ、頼むよ~ おいら、こんな異世界で死にたくねぇ~……!」などと、ゴブリンは哀願してくるではないか。醜い顔つきながら、傷だらけな姿の命乞いには、同情の余地がないわけでもない。


 とうとう、ムサシは、舌打ちと共に、刀を鞘に収めると、

「……ったくよ! いよいよアメリカが核でも落とすと決めたら、この辺もあっという間になくなるぞ!……ま、ギリギリ助かったって、いくらお前らでも、放射能で、せいぜい原爆症ってとこが関の山だわ。……ここにはな、ここなりに、最悪な兵器があんだよ……わりぃことはいわね。『転送石』でもなんでも使ってだな……」

 と、背を向けて、懇々と説教などし始めていた時だった。タタタタッ! と、そんな侍のすぐ側をアミナが颯爽と通り過ぎたと思えば、レイピアでもってトドメを突き刺した先には、今にも、こっそり手にした杖の先から、攻撃魔法を発動しかけんとして止んだ、背後からムサシを襲おうとしていたゴブリンの姿があったのだ。


 狡猾そのもの。それがゴブリンである事をもムサシはすっかり忘れていた。やがて、何か発見したかのようなアミナに誘われ、赴いた地下廃墟の一角には、そこら中からかき集めたと思われる高級な装飾品などで溢れんばかりの山があるではないか。これらは、ゴブリンという種の、金目のものに目がない、という特徴も見事に物語っていたのだが、そのどれもが女性ものばかりであれば、(……こいつら、これをどうする気だったんだ?)などとはよぎりつつも、

「全く悪趣味なやつらだ……!」

と、ムサシも悪態づくのであった。


 こうしてムサシとアミナの東行きの旅路は、いよいよ北上とし、丁度、それは、大橋が架かった多摩川の河川敷にまで来ると、その川をまたいだ向こうでは、尚、噴煙立ち込める、廃墟と化した街並みが広がっていて、

「これが……東京……」

 と、すぐそばで少女が呟く隣では、少年もまた無言ながらも、家族、友人知己の姿を、その煙の中に重ね、決して、穏やかな心境とは言えない帰省に、胸はざわつくばかりであった。


 ただ、白い胸部装甲など、ムサシより重厚な装備を装着しているにもかかわらず、流石に、汗の大粒を乙女の肌の上に浮かばせているとは言え、ほとんど息も乱れていないアミナの隣では、はるかに傷も負い、息遣いも荒い軽装のムサシが、とうとう、体もくの字にうなだれてしまえば、アミナは、そんな自らが恋人の背にそっと手を置いてやり、今宵は大橋の麓で野営にしようと提案してみるのであった。


 月も届かない夜は、鈍色にひび割れた河川敷のコンクリートが浮かび上がるだけで、それも妖しい空の色のせいであれば、何一つ、抒情的ですらない。遠くで聞こえる微かな咆哮にさえ警戒しつつ、

「ケアー……」

 と、アミナが一言、回復魔法の呪文を唱えれば、かざした少女の手のひらは暖かな光に満ち、それは傷だらけの少年の傷口をふさぐと共に、体力すらも回復させる効果のある魔法のようだ。


 まるで、至福の時であるかのように、丁髷姿が口元もゆるくさせて、目を細めていると、

「……で、ムー君が見たのは、駅にいたあの人、だったんだよネ?」

「……んん? ああ。そうそうそう……それに、あの剣……ほら、オレだけ、結局、東方からはじまったろ? 皆ほど、そっちの事、詳しくなかったじゃんね。あーあ、アミナなら、一目瞭然だと思うんだけどな~!」

 献身的に癒しの術を続けながら、アミナは問い、その術に身もとろけそうとしていたムサシは、我に返ると答えるのであった。


「ノルヴライト製の剣、か……ケド、あの時、私たちで剣士って、ムー君と私だけじゃなかったっけ……」

「だよな? 竜狩りが得意なやつとかもいたけど、あいつは専ら、槍だったし……へへ……そう思うと、なーんか、懐かしいなー! オレたち、ほんとに、あんな、映画のセットみたいなんが当たり前の世界で冒険してたんだもんなー!」

「ふふ……そうだね」

「あれ? オレ、そいや、実家が川崎だって言ってたやつ、思い出した!」

「うそっ? だれっ?!」

 

 二人にとってのそれは、青春の中に掻き消えたはずの思い出の数々だったのだ。謎解きの話題のはずが、気づけば、あの日、苦楽を共にした仲間たちの話題となる事は当然の流れであろう。大橋の川岸には、この闇には少し不釣り合いな笑い声も交じっただろうか。やがて、アミナが、魔法の光を宙に点し、二人寄り添って、じっとそれを見つめる中、

「ムー君、あの時も焚火の前で、皆に歌ってくれたよね……言えなかったケド、素敵だな、って思ってたんだよ……」

「……えっ?!」

 炎を映す少女の瞳の予期せぬ告白に、のけぞるように赤面するのは少年で、

「……今回は、ずっと、ギターも弾けなかったね」

「……仕方ねぇさ。急だったし。勘も取り戻さなきゃなんねーし。……なんせ、魔王は倒さなきゃなんねーし……?!」


 ただ、丁髷の少年は、そこで一呼吸を置くと、

「……けど、あいつを倒したとしても、魔王を倒した事にはなんないってわけ、だ」

「……ね。そう思えば、クリスタルもそんな事、言ってたもんね」

「……あれ、逐一、言う事、まどろっこしいんだよ……! けど! ま! やるしかねーわな! 楽器は、書き置きもしといたし! あの店のマスターなら、解ってくれる!」

「……ムー君……」

 

 二人は、いざ来たる決戦を前にして、野宿した湘南のライブバーに、それまで旅を共にした一式のほとんどを預けてきたのだ。ムサシがニカァッとした笑みを向ければ、アミナは複雑な表情で返したものだが、

「かったいとこで寝ると、体、バッキバキになんだけど……!」

「こ~らぁ~、侍ムサシ~。冒険時代を思い出せ~」

 拾ってきた茣蓙などを敷いた上で、横になろうとするムサシがブツブツと文句を言い続ければ、すぐ側で、それをたしなめるアミナの姿もいつもの光景で、やがて、少女は相手に手の平を差し伸べ「ほら……」と語り掛ければ、横たわるムサシの目の前には、微笑んだアミナの顔があり、全てを察した少年が嬉々とした顔となって、胸部装甲も外れた胸の中に飛び込むと、「ん……」なぞという短い吐息の後、アミナは、ムサシのザンバラ頭を、そっと撫で始めるのであった。


 頬ずりしながらの少年がいつものようにどんどんめりこませてくれば、それを許しつつも、

「汗……、臭くないカナ?」

「んーんー! めっーちゃ、いいにおーい! アミナの匂い……ちょー落ち着く……!」

 見下ろした乙女心の質問に答える少年は、まるでアミナの胸の中ではしゃぐ、大きな赤ちゃんである


(……もぅっ……)

 ならば、更に、埋もれてしまえと、一際に強くギュ~ッとしてしまえば、それはムサシの大喜びのひと時で、異世界での旅の野宿の夜、皆が寝静まる中、ふと、一人そこから離れては、くわえ煙草に満天の星空を見上げ、立ち尽くしていた丁髷姿などをアミナは思い起こし、今、自らの谷間では禁煙にすら成功した、夢現な愛しい者の顔と重ねると、

「……私、あの時、なんで、キミの事、好きにならなかったのカナ……!」

 と、その額に口づけたくなるほどの心境だったのだが、乙女の無邪気な告白には、ふと押し黙ったのは少年の方で、やがて、「あのさ……」などと見上げる顔も、相変わらず我が物顔に、アミナの胸の中に居座り続けていたが、

「……誰か、忘れてね?」

と、ムサシはいつしかのように問うたのだ。


 ただ、榛色の瞳は、変わらず潤んだまま、

「……ムー君……大好き……っ」

などなど、構わず、愛しげにし続けるのみなのであった。 

















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る