異郷にて
街は戦い、果てた上に廃墟と化していた。死に倒れた人々や、不気味な生物たちの周囲を鴉が舞う中、ムサシは、通りに乗り捨てられた戦車の残骸をくぐり抜け、今日も目星を付けたコンビニエンスストアの、割れ切ったガラス窓から店内へと侵入する。握りしめる銃剣の握力は、緊張で自然と強くなるが、かなり早目に慣れ始めた気すらする、死臭の匂いしかしないようだ。
「…………」
とりあえず、安堵もほどほどに、ムサシは更に店内へと忍び足に入り込んでいくと、陳列棚の原型をほとんど無くした各所から、最早、金銭のやりとりの必要なくなった食料品などを手づかみに、アミナのスクールバッグにしまい込んでいく。
「…………」
時に、匂いも注意深く、鼻をつけて確かめる、その姿は、まるで、野生の時代に戻ったかのようだ。ただ、東京から、突然の伊豆半島への謎の転移現象を経るまで、汗と煤だらけにしていた容姿は洗われたようにさっぱりしていて、その日のムサシの姿はシャツにズボンすら着込んだ、私服の姿であったのだ。
ひと通りをしまい込むと、誰というわけでもなく、ムサシはペコリと無言の店内に頭を下げ、結んだ丁髷頭を揺らし、またもや、用心に越した事はない、帰途へと着こうとする。と、
「GAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO…………」
「…………!!」
まるで見た事もない、相変わらずの空色から咆哮が聞こえれば、思わず、朽ち果てた兵器の影に隠れ、すると、遥か彼方、かつてなら飛行機雲などが青空に描かれていたかもしれない距離に、巨大な竜が、山間の彼方へと、ゆっくりと、翼を広げていて、そこには、最早、迎撃に向かう戦闘機の機影もなく、今、この場で、ムサシを襲ってくる脅威はないものの、街は、「正体不明生物」と名付けられた者たちの占領下に置かれているのは、紛れもない事実であった。
見上げる少年が、ゴクリ………と、喉を鳴らしてしまうのも致し方ない、といったところであろう。土地勘の全くない街の中、時に、くたびれた砂塵に、顔をしかめつつ、丁髷頭の少年は、かつては賑わったであろう大通りを抜け、商店街のアーケードすら過ぎ、地元の人々も多く住んでいたであろう住宅街に入る頃には、緊張に、距離も手伝って、息も荒くなっていた。
何がしかの爆風で、地表が盛り上がり、積み上がった石類のせいで、二階部分しか覗いていない一軒家の屋根の一角に辿りつくと、改めて、周囲を見回した後、辛うじてひび割れた程度のガラス窓を、きしんだ音を立てさせながら開き、
「ただいま……!」
「おかえり……」
すっかり、必死な形相となった少年の帰りだったのだが、出迎えたキャミソールの上からパーカーすら羽織った少女の微笑みは、存外、穏やかなものなのであった。
まるで防壁でもあるかのように、大小さまざまな石の類が積み上がり、辛うじて、室内を、部屋として保っている二階の其処が、今、二人が拠点としている住居であった。更にまめに掃除された一角には、広々としたシートが敷かれ、かつての家の主たちの趣味であったのだろう、キャンプ用の、二人用の寝袋などと共に、拾ってきた様々な生活用具や、これまでも再三話し合いに使われた、静岡県の地図等が、広がったままにある。
「……とりあえず、こんだけ」
「お疲れ様っ」
未だ、汗もじっとりとしたムサシが、スクールバックから、収穫を、一つ一つ、積み上げていけば、アミナは、その額に浮かぶ汗の粒を、そっと吹いてやりつつ、労をねぎらう。続けて、今度は、アミナが、ゴソゴソと、自らのパーカーのポケットに手を入れると、
「私も、こんなの、見つけたよ」
などと、手の平には、ヘッドフォンのついたi-podがのっていて、「まだ、ぜんぜん、大丈夫」と、電源をいれてみせたりしたが、眼を見る見る丸くしてみせたムサシは、
「お前さん! だから、外は危ないって……!」
「大丈夫だよ~。ちょっと、お散歩しただけですっ」
「いやいやいやいや…………!」
「それより、ほら、これ、見て? ムー君の好きなバンドじゃない?」
「こ……これは!」
かつての持ち主は、ムサシと、かなり趣味を共通としていた模様だ。そして、今や、ムサシの事なら良く熟知しているアミナの事である。やがて、アミナからのプレゼントをムサシは受け取ると、画面の曲名を食い入るようにしていって、そんな姿を、愛おし気に眺めるアミナは、
「……キミにばっかり、苦労は嫌だもん」
(……アミナ……)
廃墟を通り越し、二人は、魔境とすら言っていい世界の真っただ中にいたが、少年と少女のバカップル具合の障害には、更々、ならなかった模様だ。潤んだ瞳が見つめ合う果てに、それが、互いの愛情を確かめ合う口づけと変わっていく事は、ここ、最近の至極当然の流れですらあった。
ただ、ライブハウスの地下にいた時同様、二人がこのまま、この仮住まいで暮らしていくわけにもいかないという思いは、各々の胸に去来していたのだ。不気味な空の色も、夜の帳が下りる頃には、薄闇を紛らせる。共に座った眼前の、点した懐中時計の光なんかをじっと見つめながら、
(……オヤジ……母さん……)
と、少年が思いを馳せていると、ふと、その肩先に寄り添うようにしていたアミナが、「私……」なぞと、一言、飲み込むようにした後、
「……けど、私、今まで生きてきた中で、今が、一番、『生きてる』、って気がする…」
(…………!)
恋人の呟きに、ムサシは驚いて、すぐそばの彼女を見下ろしたのだが、彼女の榛色の瞳は、尚、光を見つめたまま、
「……自分で考えて、自分で行動して、って……今まで、お父さんやお母さんに、全部、決められてたから……お兄ちゃんと比べられたら……尚更、何も言えなくって……」
(アミナ……)
それは、結城一族の令嬢として生まれてきたが故の、アミナの葛藤であった。そして、交際前後から事情を知るムサシが、じっと見つめていると、
「……だから、今、こうしてる事で、ちょっとは変われたら、いいナって。大阪で家族と会えたら、私は、私だよっ! って、言えたら、ナって」
「大丈夫だよ! アミナなら、言えるって! 必殺技! アミナボンバー! でバッチリだぜ!」
口から出まかせのムサシがおどければ、いつものように瞳もパチクリと、一瞬の間はあったものの、思い詰めていた表情のアミナの顔は、一気に和らぐのであった。
ただ、東京に戻るとしても、最低でも一日はかかる距離にいるというのに、大阪とくれば、新幹線もグーグルも意味をなさず、ましてや、正体不明生物という、恐ろしいモンスターの脅威にさらされながらの世界の中で、おまけに徒歩での移動とくれば、単なる少年少女にとっては、無謀の旅路としか言いようがなかったのだ。二人は、今日も、あちこちから拾ってきた地図を広げ、互いの知恵を絞っては、打開策を模索するのだが、どちらにせよ、切り立った山々一つ越えるにしても、どのような危険が待っているやもしれぬところへ、いくら軍事用とは言え、使い慣れてすらいないナイフ二本で切り抜けられるのか、という問題自体、不安の材料の種の一つでしかなかった。
そもそも、東海道新幹線が通るトンネルの闇の中が、通行できるとしても、例えば、あの、巨大なカエルだらけの巣窟だったらどうするか、などといった不安をよぎらせれば、当日の仰天を思い起こし、共に、身震いなども起こしてしまう。
「ふぃ~……!」
「んー……」
とうとう、ムサシは、ギブアップと言わんばかりに、その場に、大げさに倒れ込み、尚、アミナは、地図を見下ろしながらも、困惑気に、指先を唇にあてていた。
このまま、というわけには決していかないのである。だが、かつて、異世界で、それらの魔物をバッタバッタとなぎ倒した冒険者であった頃の記憶は、今の二人の中からは、完全に削除されている。残念ながら、今宵も袋小路のままに、方針は見出せそうになかった。
しばらく、沈黙の時間が流れたが、やがて、アミナもとうとう観念したかのように、ひとつ、溜息をつくと、地図から視線を移したすぐそばでは、ムサシは横たえ、天井をじっと眺めたままにいるのである。が、
「……お風呂、はいろっか?」
「…………!!」
そんなふうに、アミナが、一声かけてやれば、途端に、振り向く少年の顔は、パァ~と明るく輝くではないか。
それは、ここ最近の、ムサシの「お気に入りの時間」であった。途端に表情を変えた瞳の奥底には、いかにも男子らしい欲望が早速煌々としはじめたが、そんな相手の頬をつつき、からかいながらも、アミナは自分の着替え等を一式、準備し、
「じゃあ、後で、ネ」
「うんっ! けど、気を付けんだよ!」
何にせよ、女子とは、手間のかかるものなのである。やがて、出入り口変わりである窓を前に、銃剣も手にして振り向くと、心配しつつも、飼い主に待機を命じられた何かの動物のように、今宵のムサシは、iPodのヘッドフォンを耳につけながら、見送っていた。
少女は、注意深く、積み上がった石の壁を降りていくと、廃墟の隙間をぬっていく。なんにせよ、今、二人がいる場所は、かつての温泉街なのだ。世界は変わり果ててしまったが、探せば、そこ、ここ、あそこで、湯煙はたっていた。
そんな一角に残った野天風呂が、今や、二人の浴場変わりであったのだ。用意した専用の籠すらゴソゴソとすると、外気の触れる世界で全裸となる事すら、アミナは慣れつつあった。やがて、ムサシが拾って来た檜の桶で、湯をすくい、体を流したりした後、ポチャリ…………と、天然石で覆われた湯水の世界に、乙女の肌は染み、それは、静かな波紋を形作るのであった。
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