遭遇と転送

 轟音は、尚、鳴り響き、店内は、まるで余震のように揺れ続けている。そして、一度、アミナが許したムサシの欲望は、少年の張りつめていた緊張のたがが外れて、まるでアミナの体にすがるように、留まる事を知らなかった。

(もぅ……っ……!)

 激しく入り込んでくるムサシに喜んで喘ぎつつも、乙女心のどこかは、様々な感情で複雑だ。

「アミナ……っ」

 だが、名を呼ばれて振り向けば、自らの肩先越しにすがりついてくるように、潤んだムサシの瞳が口づけを求めてきたりして、愛おしい感情と共に、それに答えずにはいられない。


「………………!」

「………………!」

 こうして、少年と少女は、ぶつかり合うように激しく愛し合い、幾度かの絶頂を迎えて、漸く、束の間の落ち着きを取り戻したのである。尚、余韻に浸り、共に、汗浮かぶ火照った肌のままに、抱き合っていると、

「……無くなっちった」

 アミナの胸の中にはさまるようにしながら、ムサシは見上げ、いたずらっぽく笑ってみせたのだ。それは携帯していた避妊具の喪失を報告していたのだが、アミナは目をパチクリと見返すと、無言で相手の頬を軽く引っ張り、自らの腕の中で窒息してしまえとばかりに、強く抱きしめる事で意思表示し、ムサシは抱きしめかえし謝意を表したが、無くなったのは、決して避妊具だけでもなかったのである。食料、飲料等、生きるためのライフラインは、いよいよ限界に達してきていた。


 元が緊急避難からの、やむにやまれぬ籠城である。外から伝わる振動は、幾分、和らいだであろうか。やがてまどろむ裸の二人は、いよいよ、ここを発つ事を共に決心していて、ただ、今は、愛し合った余韻にたっぷりと浸かるように、眠りの世界へと誘われていくのであった。


『えら……し……た……も……よ!』

 そして、どのくらい眠ったろうか、日もまたけば、何時ぞやにも聞いた、まるでテレパシーのような謎の声で、二人はハッとして目を覚ましたのだ。

「また……!」

「私も……!」

 いくら、仲の良いバカップルとは言え、同じ幻聴を同時に聞くなんて有り得ない話だ。暗闇の中、二人は首をかしげながら、腕時計で時間を確かめたりなんてしつつ、一先ず、お互いに脱ぎ散らかした制服の行方を探した。


 ギターケースを背負い、スクールバッグを手に取ると、後は、厚く閉ざした防音ドアの前で、互いに顔を見合わせるのみである。ゴゴゴ…と、軋みながら鍵を開けば、二人の鼻孔には、既に立ち込める埃の味が、入り込んできていて、外は決して楽観視できない事態となっているのは嫌という程、感じ取れたものの、尚も、地上から階下に差し込んでくる光が、まるであの日のままにくぐもった様子であったとしても、砂塵に足跡すらつく階段を彼らは登りきったのだ。


 だが、あちこちには、一般市民の死体たちと共に、自衛隊員たちすら斃れ、動かなくなった戦車に、墜落した戦闘機まで転がり、見上げた空は、相も変わらずに、見た事もない禍々しい色彩に覆われる中、いづこかで竜が咆哮し、全てが廃墟と化した街の世界では、ムサシもアミナも、呆然とするしかできなくなっていた。と、丁度、その時の事だった。


「ごきゅるるるる………」

 なんぞと、まるで聞いた事のない生き物の、喉を鳴らす音がしたと思えば、二人の姿をすっぽりと覆う影すら現れ、気配に、恐る恐ると少年少女が見上げれば、あり得ない大きさのカエルの姿をした生き物が、醜き、いぼだらけの鱗の肌と、毒々しい眼もそのままに見下しているではないか!


 信じられない事実は、恐怖で縮こまりそうであったが、

「……アミナ!」

 ムサシは気丈にも愛しき者の手を握ると、途端に駆け出し、ドスンドスンドスンドスン! 怪物は、獲物をしとめるために、重い足音を次々に繰り出して後を追ってくるのである! そして!

「GAAAAAAAAAAAAAH!!!!」

 怪物は鳴き声と共に、その涎にまみれたガマ口を思いっきり広げれば、舌が信じられない長さで伸び、それはとうとうアミナに迫りくるところで、

「きゃあ!」

「アミナ!」

 とうとう、各自の悲鳴が、響き渡る刹那!

『……あぶない!……』

 今までも度々、二人が耳にしてきた幻聴は、はっきりとそう聞こえたのだ! 


 途端に、ムサシとアミナの姿は光り輝くと、その視界すらも眩い中に覆われ、何も見えなくなり、次に次第に視界が明瞭になるにつれ、二人が目にした光景と言えば、ガラス窓も割れ切ったいづこかの通路で、目の前では、銃撃戦の真っただ中、窓の外に銃口を構えた、迷彩服にヘルメットまで被った自衛隊員が、突然の発光の出現に驚いてもいたが、やがてムサシもアミナも、視界がぼやけ、そのまま、何かに酔うように倒れ込んでしまえば、

「……たく! どうなってんだ!」

 と、自衛隊員は一言、呻いた後、彼らの元に駆け寄り、

「おい! 君たち! 大丈夫か! 救護班! 救護班!」

 などと、汗だくのままに語り掛けてきたのだが、

(…………)

 今や、少年少女の視界や聴力には、その隊員の呼びかける声も、窓の外に広がる、相変わらずに不気味な色の空も、銃撃戦の音も、魔物たちの咆哮も、全てが朧気に感じ、とうとう意識を失ってしまったのだった。






(……ここは…どこだ……?)

 ふと、気づくと、浮遊している感覚を覚えたムサシが、瞳を開くと、周囲は、ゆっくりと虹色をした波間が漂う、不思議な空間がどこまでも広がっていて、地面に立っているというわけでもないのに、何故か、恐怖心もなかった。


「ムー君……」

「アミナ……」

 そして、自分の名を呼ばれた方を振り向けば、その、長い髪すらも緩やかに漂わし、我が恋人すらも同じように浮遊しているではないか。


「ここは……」

「私たち……外にでたところで……」

 そして、互いに自然と手を握り合えば、これまでの突飛な記憶なんぞを反芻していると、強烈に目の前は光り、思わず、二人は顔をしかめ、

とうとう、二人の目の前に現れ出でたのは、巨塊と表すのが一番相応しい、輝くクリスタルの存在であった。


「…………!」

「…………」

 あまりの神々しい姿を前に、見上げた各自が、それぞれの反応を示していると、その存在も、まるで二人の事を、じっと見下ろしている様子ですらあったのだが、

「選ばれし者……いえ、そうであった者たちよ……」

 どこから語られているかも皆目見当もつかない存在は、口を開き、その声の抑揚は、今までも二人が同時に聞いてきた幻聴の主が、間違いなく目の前に存在しているという事を認識させたのだ。


 ただ、その声の主の調子は、どこか至極残念そうなのだ。そして、尚も何かを語りかけてこようとしたのだが、まるで、電波の切れかかったテレビ画面のように、声も、姿も、周囲のビジョンすらも乱れはじめると、とうとう消え行く視界の中、その声が、切実に何かを訴えようとした叫びだけが、辛うじて聞き取れたところで、

「はっ…………!」

 二人は、息遣いも荒くして目覚めたのである。途端に、強烈な異臭があちらこちらに漂っているのが鼻につくと、暗がりとした一室にて、彼らは、並んだ担架の上に、寝かされているところだった。


 辛うじてドアの原型を保っているガラス窓の向こうの、何処かから差し込んでくる鈍色の薄明かりで、そこがあちこちがとめどなくひび割れた、なにがしかの施設の一室である事はアミナにも理解できたが、

「病、院……?」

 幼少期は体が弱く、入院しては、真夜中に院内を徘徊する事を趣味としていたムサシが呟くまでは、正体までをつかむ事はできずにいた。


「ムー君……」

「アミナ……!」

 とりあえず、お互いの無事を喜び、思わず二人は抱き合ったが、瞬間に、ガサリ……! と、足元では音がし、目をやれば、薄闇の中、自分たちの私物と他に、幾点かの物が置かれていて、

「ここ……どこ……?」

 更に、ムサシのお気に入りである、自らの胸の中にすら入り込んでこようとするのを、頭を撫でて受け入れてやりながらも、アミナは、呆然とした気持ちで周囲を見渡し、まるで子供のように甘えつつも、ムサシも全く同じ事を頭の中によぎらせていれば、彼らの興味が、今日この日まで共にあったギターケースやスクールバッグの他に置かれた、何点かのそれらに向かうのは、自然の成り行きであった。


 缶詰などもある事を、ムサシが手に取り、眺めていると、

「手紙……」

 と、アミナは呟き、側にあった懐中電灯を点したのだ。思わぬ発見に、ムサシが相手と頬をよせるようにすれば、広げられた紙の上には、時間がない切迫感も感じる書きなぐりながら、実直そうな文字で、


  眠り続ける君達を置いていってすまない。

  だが、私達にも余裕がないんだ。

  残念ながら、中部までやつらの手中となってしまったが、

  首都なら大阪にある。

  君達が起き、避難をし、無事、大阪都で避難民として受け入れられる事を、我々は願ってやまない。

  ともかく、西へ、西へと、逃げてくれ。

  正体不明生物たちは、私達と言葉は通じあう事はあっても、

  血も涙もない、決して、相容れられない存在だ。

  せめて少しでも身を守れるものと、食べ物も置いていく。

  くれぐれも、彼らに気をつけてくれ


(…………)

 文字を見つめる二人は、光の渦から抜け出してきた時、目の前で、窓の外に向けて銃撃戦を行っていた自衛隊員の顔などを、ふと、思い出していたが、「正体不明生物」、「大阪都」などと言った見慣れぬ単語を前にしては、

「…………?」

 と、首をかしげるのみだった。だが、スマホが使い物にならなくなった以降も、隔絶された地下世界で、しばらくの籠城暮らしを決めこんでいたとは言え、地上にあがった瞬間の有り得ない光景と、今、目の前にある廃墟と化した病院の一室という現状を前に、突然、得体の知れない生き物たちが空から現れ、自分たちを襲撃しはじめた、あの日から、事態はどんどんとまずい状況となっているという事は感じ取れたのだ。


 シャッ…………と、いう音と共に少年が鞘から抜いた64式銃剣は、包丁より一回りも二回りも大きく、殺傷能力の重みに、ムサシは喉を鳴らすしかなかった。


 ムサシの、ほとんど空のスクールバッグの中に、アミナは、あの日受けるはずだった授業の教材等をそっと移すと、スペースの空いた中身に、足元に並んだ缶詰なんぞを詰め、ムサシはギターケースの収納部分に、詰め込むだけ詰め込むと、それのみ背負って立ち上がった。そして銃剣のしまわれた鞘を握って、そっとドアを開けば、荒れ果てきった通路があり、恐る恐る歩き出せば、ジャリ……ジャリ……と、二人の足音のみが響くのみだったである。


「…………」

 見慣れぬ病院だ。顔を見合わせる二人にとって、ここは何処なのか、それが直近の課題であった。用心に用心を重ね、歩を進める最中、受付の広場では、以前は整然と並んでいたのであろう、椅子の並びもあちこちにひっくり返り、割れ切った出入り口のガラスドアの向こうは、街の光景すら全て滅び、判別し難い。乾き、何かむせた臭いも交じる風に、喉をひりひりとさせつつも、そして、少年と少女は強く手を握り合い、外に出、振り仰ぎ、我が目を疑った。


 空はあの日、襲撃者たちがあった、その時のように、禍々しい、妖しい光沢を放っていたのは、最早、少しずつ、慣れ始めてすらいたかもしれない。ただ、その大学病院の看板には「伊豆」という二文字が刻まれていたのだ。彼らが、住み、籠り、逃げていた東京は遥か彼方という事になる。確かに彼方にのぞむ富士山の姿は、自分たちが日常の光景で目にしてきたそれよりも、明らかにすぐ間近であった。































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