地下にて

(ハァ……! ハァ……! ハァ……! ハァ……!)

 アミナの手をひき、ムサシもまた、パニックとなった群衆の、雪崩のような、怒涛の波の中にいた。


 鉄道警察隊が出動し、スピーカー越しに、市民に何やらを語りかけるがなり声も聞こえたが、驚異的な跳躍力で、背骨もまがった、大きな犬歯もむき出しにした怪物が飛びかかれば、あっけなくスピーカーは叫び声に変わり、鮮血はほどばしり、阿鼻叫喚は、広大な駅の中を更に覆っていくのみで、殺戮は、更に殺戮を繰り返し、その妖しい空から降ってきた突然の襲撃者たちは、心底、愉快であるかのようで、

「ナンダ! コレダケイルノニ、市民バカリカ!」

 などと、血まみれのままに下品た笑いを響かせあうのが聞こえれば、(……日本語?!)などと、耳さときムサシも思ったものだが、いずれにせよ、

「なんなんだ……こいつら……!」

 と、青ざめた顔で呟くよりほかなく、必死に続くアミナの心も、口にはできないだけで、同じ疑問に満ち溢れているのであった。


 人を押しのけ、かきわけ、一角の出入り口の駅の階段から、漸く、ムサシたちが這い出ると、既に、いたるところから煙もあげはじめてる繁華街にとびだしたところで、相も変わらない阿鼻叫喚の群衆の中、その目に飛び込んできたのは、通りにひしめく多くのパトカーと、そこに陣取って応戦する彼らの姿ではあったのだが、迫り来る謎の魑魅魍魎の群れたちは、彼らの警告も聞くことなく次々に襲いかかり、発砲すれども、ほとんど、ダメージをあたえている風でもなく、巨大な牙を思いっきり剥き出しに、殺戮を楽しんでいる様子であったのだ。


 そして、

「GAOOOOOOOOOOOOOOOO!!」

 などという、まるで怪獣映画の中でしか聞いた事もないような咆哮が響いたと思えば、強烈な熱気すら感じ、二人が顔をしかめつつも見上げると、空では、おとぎ話でしか見た事ないような、ドラゴンなどが現れていて、口から紅蓮の炎を吐けば、次々にビルを焼きつくしたりしているではないか!


(やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい……!)

 現実とは思えない世界を前に、ムサシの心の中はその一言のループであったが、それでも今のムサシたちにとってできる事と言えば、他の市民と同じく、ただ、ひたすら逃げ回る事でしかない!


「きゃっ……!」

「アミナ!」

 だが唐突に、とうとう、アミナは足を滑らせ、激しく倒れた! パニックの波に体をぶつけつつも、ムサシが駆け寄れば、制服のミニスカートからのぞく乙女の肌は、痛々し気にすりむいてすらいるではないか!

(…………!)

 そして、このまま、皆と同じように闇雲に逃げてもしょうがないと、ムサシは、周囲を見回し、自らの土地勘に、なにかを思いつくと、

「……うぉおおおおおお! アミナあああああああ!」

 と、正に火事場の馬鹿力でアミナをお姫様抱っこすれば、怒涛のように駆けはじめ、背負ったギターケースの中身たちが、激しくガタガタ、ガシャガシャと鳴る事もお構いなしだったのだ。


 あちこちの殺戮を辛うじて避けつつ、あるビルの一角の、地下へと続く階段をも一気に駆け抜けると、漸く、そこでアミナをおろし、ムサシは、震える腕で、ズボンのチェーンに巻かれた鍵の中から、一つを取り出し、重い扉をこじ開ければ、恋人を招き入れ、直ぐにドアを閉めなおしたのである。


 防音となった暗闇の世界は、一気に叫びを遮断したが、それでも、次々に沸き上がる地上の振動が止む事はなかった。ハァハァとした二人の息遣いの中、制服のポケットの中では、互いのスマホがJアラートを爆音で鳴り響かせている事に漸く気づき、アミナがそれをとって眺めれば、

「……非常事態宣言……」

 と、呆然として、読み上げてみたりもしたが、その原因をたった今、目の前で遭遇してきた二人でも、あまりに現実味のない事態に、実感が追いついてこないのが現状で、既に不安定になりつつある、電波に顔をしかめ、

「……宇宙人、て……まじかよ…」

 SNSにアクセスしたムサシは、タイムラインに次々にのっかる無責任な言葉の数々に呻く他なく、

「…………」

 とりあえず、闇の中をまさぐりながら、店内の灯りを点そうともしたのだが、何度かの点滅と、善戦はしたものの、とうとう世界は真っ暗でしかなくなり、なんとか非常用の懐中電灯を見つけ出すと、アミナを光で導き、一先ず、二人は、店の一番奥側にある、ステージの裾の楽屋の中にまで転がりこんだのだ。


 そこは、ムサシがスタッフとしてアルバイトをしているライブハウスであった。地上での轟音は更に激しくなっていき、とうとう、まるで感じた事のない振動すら感じ始めた。

(……これじゃ、戦争だ……!)

 実感こそないが、少年の心の感性の中を、そんな思いがよぎれば、恐怖は更に駆り立てられる。ただ、自らの腕の中で震える少女を想えば、食いしばるようにしてしっかり抱きしめ、彼らは共に目を瞑った、その時だった。


『……ば……し……者……だ……も……よ……!』

 まるで謎の声がテレパシーのように響き渡り、なんの空耳かと、思わずムサシもアミナも驚き、共に顔を見合せたのだ。


 最早、時間は夜となろうと、それらが止む事は決してなかった。轟音は凄まじく、防音のために二重に敷かれたドアをも激しく何かが打ちつけたが、それが襲撃者たちなのかなんなのか、今、楽屋で互いに抱き合う少年少女たちに知る術はない。微かに、キャタピラーが這う音なども感じたが、まるで、突然の戦時下を、彼らに理解しろ、という方が残酷な状態だった。


 やがて、スマホの充電も切れれば、彼らは完全に地下で隔離された世界を送る他なかったのだ。幸い、水分や食料などは、カウンター席やスタッフルームのロッカーにあったペットボトルや菓子類、インスタントの食材などが見つかり、イベントで使用した事のある、電池式のキャラものの照明具も随所に置ければ、真っ暗闇も少しはましとなり、いつぞやの鍋パーティーのカセットコンロも未だ使えると解れば、顔を見合わせ、ムサシとアミナは暫しの持久戦すら決心したのだ。


 ただ、腕時計がなければ、昼か夜かも解らぬ暗闇の生活は、既に二人の心を不安にさせるには充分な材料だった。コンロの上で煮立つ、湧いた湯の鍋の中身なんぞを眺め、アミナの榛色の瞳が、

「お母さんたち、大丈夫、カナ……」

 などと呟く照明の中、ぼんやりと浮かぶ乙女の表情は、決して辺りが暗いというだけの影を落とした顔つきではなかったのだ。外では、初日に比べれば軽くなったにしろ、未だ轟音が重く鳴り響いている。


「…………」

 アミナの心配事は、ムサシも等しくして、胸に重く去来しているところだ。ただ、ムサシは、自分の気持ちに関しては、まるで振り払うように押し殺すと、

「ダイジョブ! ダイジョブだって! ここ、日本だぜ?! いざとなりゃ、アメリカが動くし、それで、ぜんぶ、OKっしょ!」

「ケド……」

「ほーら! スマイル! スマイル! とりあえず、食っとけって!」

 すっかり、肩すら落とし俯いてしまった愛しき者の側に寄り添い、明るく振る舞って励ましたのだが、笑顔の裏にある彼の心もまた、とっくに悲鳴をあげつつあったというのは、致し方のない事であった。


 その夜も激震絶えぬ中、楽屋に設えられた小さなソファに共に横になり、自らの腕の中で、目を瞑ったアミナを見届けると、ムサシも眠る事とした。


 そして、彼は夢を見た。なんの変哲もない内容であった。高級マンションの一角が彼の実家であり、広々としたリビングのソファでは、ニコリともしない、ロマンスグレーの髪色をポマードで整えた自らの父親がでんと座り、接待で使うゴルフクラブを入念に磨いたりしていて、その具合を眼鏡の奥から厳しくチェックしている。台所では、今日日珍しい専業主婦の母親が、エプロン姿のままに、食洗器のボタンを押していた。街の遥か彼方まで見通せるベランダの外は、こんな事が起こる前がそうであったように、当たり前の青空で晴れ渡っているかのようだ。

(……こんな事になるなら……)

 ムサシの胸の中で押さえつけてきた感情が、まるで、だんだんとかきむしられていく。


 ふと、ムサシの方を見た彼の父親は、一度、自分の眼鏡をかけ直すようにすると、何やら自分に語りかけはじめた。その顔は相変わらず険し気である。そこに助け舟をだすように、キッチンからは、今度は母親が苦笑しつつ話し始めたが、まるで無声映画のように、二人には声がない。

(……こんな事になるなら……!)

 押さえつけてきた感情は、更に、かきむしられていくようである。


 厳格ではあった。ただ、校則にすら違反していたというのに、長髪である事も、逐一、小言は言いつつも、強制しなかったし、愛用の楽器らも、「猛勉強」と「好成績」という条件付きであったにせよ、それらを見事にクリアすれば、尚も学業に励む事をガミガミと説教しつつ、楽器屋でキャッシュで買い与えてくれたのは、ムサシの父であった。帰宅後、尚も喜ぶムサシと、共に喜ぶ母親のエプロン姿など眺めつつ、その度の強い眼鏡の口元は、相も変わらずのしかめ面ながら、口の端のところでは、笑みを作っていたのかもしれない。


(……オヤジ……母さん……!)

「ムー君……」

 夢は寝苦しさを狂おしくさせ、急激に覚醒へと戻る終には、恋人が自分の名を呼ぶ声で、少年は目を見開き、

(ハア……ハア……ハア……)

 気づけば、ムサシの激しい息遣いを、側でそっと見下すアミナの姿があったのだった。

「ムー君……」

 そして、もう一度、アミナは名を呟くと、その本人の瞳の周りを掬ってやるようにした。どうやらムサシは涙を流していたのである。慌てたのは少年の方だった。

「あ、あ、あっれ~?! ど、どうしたのかな~?!」

 尚、取り繕うようにして、身を起こそうとしたその瞬間、彼の視界は、いつもの弾力の中に久々に覆われる事となったのである。


「…………」

 つい、先日、昼休みにしてもらうはずだった豊かなる胸の弾力の隙間の中、ムサシは、更に大きく目を開くようにして見上げると、見下ろすアミナは優し気に微笑んでいて、

「甘えん坊のムー君の事、忘れてたっ」

 などと、前髪を撫でてやったりすれば、

「ムー君、優しいから……。私ばっかり……ゴメンね。ムー君も、不安だよね、怖いよね……がんばろ……一緒に!」

 その囁きは、張りつめていた彼の心を溶かす、まるで魔法だった。


 途端に、次々に涙する少年は、どんな嗚咽がもれていったのかも計り知れない。ただ、今日その日までのムサシが自分にしてくれた事を思えば、アミナは、自らの胸の中で頬ずりを繰り返す涙声を、「うん……」「うん……」と優しく受け止めてやるつもりで、まるで、赤子のように求めてきて、それらを露にし、吸い始めても、吐息と潤んだ瞳で、額に口づけすらしてやったが、事態はとうとうそれ以上にエスカレートしてしまえば、

「ちょっ、ちょっと! 汚い、から……っ!」

 と、少しばかりの抵抗はしてみたものの、乙女心もなんのその、すっかり獣と化した恋人は最早止まらない。


「…………っ!」

 とうとうアミナが全てを許して結ばれてしまう頃には、尚も彼方で重く響く地上の轟音の最中、ムサシの激しく打ちつける音と、それに答える少女の喘ぎが、地下の暗闇の奥底で響き渡っていた。

























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