2人

 駅前の路上で歌い続けていたが、いよいよ夢に破れそうになっていた近衛ムサシにとって、その夜、たまたま通りかかった結城アミナからの接触は、正に、運命的な出会いであったと言えよう。


 夢を賭けた同志ばかりと思っていたバンドは、勝負したオーディションが、初っ端の初っ端である音源審査の段階で落選した事をきっかけに、陽射し差し込む、空き教室にて行われたミーティングは、互いの責任の粗探しを発端とした口論から、メンバー同士の空気は一気に悪くなったと思えば、あっけなく解散という話にまで発展し、とうとう、最後に残ったメンバーまで激昂しながら部屋を飛び出すと、一人残ったムサシは、しばし呆然ともしたが、やがて、それでも自分は夢を見る、と、作曲の時以外に用途もないと思っていたはずのアコースティックギターを握ると、音楽活動を続ける事を誓ったのだった。だが、テンションの高い文章でブログを綴っても、全然上がらないPV数に、ノルマばかりを支払わされるライブハウスでのライブは、肝心の集客数も増える事はなく、そのノルマもソロとなった今では、全額がその肩にのしかかり、スタッフルームでは、横柄な態度で精算を続けるスタッフや店長らの、繰り出すダメの嵐を受け続け、苦笑とも、悔しさともつかぬ顔で、ふと、無意識に周囲に視線を移してしまっても、つい、この間まで、分かち合っていたはずのメンバーたちは、もう、誰もそこにいなかった。


 学生という事情は、様々な意味で、彼の事を追い込もうとしていた。


 あらゆる事に自信を失いかけていたタイミングだった。否、そもそも、ムサシ自体、自分より、凄い奴らはいくらでもいるという事くらい、よくわかっていた。それでも、自らを奮い立たせる事ができたのは、共にステージに立っていた、仲間を超えたメンバーたちの存在あってこそだったのだ。


 誰もが無関心に目の前を通り過ぎるだけの、一人だけの路上ライブは、歌い終わり、間に、何を歌おうか決めかねている時など、観客の誰もいないライブハウスでのライブ以上に、精神的に、きつい。ましてや、真夜中に補導されかけても、「大学生」と名乗れば、相手も納得してしまうような大人っぽい外見も漂わしていたにしろ、彼の内面もまた、まだまだ、人生に対しては未熟な、少年であったのである。かけられた声に、俯いた顔をあげた今宵、目の前で、自分の無料配布のCDの包みを大事そうにすら手にし、こちらを見つめる榛色の大きな瞳は、美女という事も相俟って、夜の雑踏の街の中で一際に輝く、女神のようだった。


 結城家も近衛家も、言わば富裕層であり、そんな家庭の、親の上の敷いたレールの上を、令嬢らしく、真っ直ぐに歩んできたアミナと、鋳型にはまらないと抗い続けてきたムサシでは、最初こそ、ギクシャクを繰り返したが、クラスは違えど、同じ学校と解れば、少しずつ、互いの関係は近づいていくものであった。アミナにとってのムサシは、それまで彼女が見た事もない世界ばかりが、そこ、ここ、かしこに広がるかのようで、ムサシにしてみれば、バンド解散後は黙々としたスタジオ練習も、一室の隅のソファに腰かけるアミナとの、また一味違った、和気藹々とした談義に華を咲かせつつの時間は、暖かなものであったし、観客の数は相変わらず淋しい結果であるにしろ、そこに目をやり、アミナさえいれば、まるでバンド時代であったかのように、心を奮い立たせる事ができたのだ。


 アミナは、親に言われた通りの大学を受験しなければならなかったり、実業家である父の、随分と歳の離れた秘書を勝手に許嫁とすらされていて、会うたびに、秘書の眼鏡の向こうの自分を見る目が、言い知れぬ不気味さをたたえていれば、心の中では葛藤していた。無頼を決めこんでいたムサシであったが、打ち明けられれば、決して他人事でなく、時に、彼女の話を我が事のように聞き、親身に答えていきさえすれば、二人の仲は、より親密となっていくのも当然の成り行きであったし、二人が恋へと落ちていくのは、最早、時間の問題だったのだ。


 はじめて二人が結ばれた日、それは、共に事業に邁進している、アミナの両親のいない日を狙った、とある休日の午後の、アミナの屋敷の私室であったのだが、それまでの事に関しては、割と積極的だった方のムサシは、ベッドの上に横たわるアミナの美しい裸体の産毛が、陽射しの中に浮かぶのを眺めるだけに、未だ自らのシャツははだけた程度で、はじめての女性を前に、少し狼狽えていすらいたりしたものだが、やがて時間はかかれど、一つとなれた刹那、潤んだ瞳で見つめあう少年と少女の世界は、更に広がりの様相を呈していったのだ。


 二人の夢は更に広がっていく。昼下がりのカフェでの談笑や、夕暮れに囁き合う公園のベンチでは、寄り添うお互いの、来年の、再来年の、ずっと先の話まで口にする事も、若さ故、というものであろう。そんなある日の事、図書館にて、勉強会を開いた休憩に、その庭先などを歩いていた時の事だった。


「げっ……なにそれ、やばくね?」

「うん……ちょっと、怖かった、カナ?」

 仲睦まじく手を握り合い、空いた手で、飲み物を楽しんでいたストローから口を離し、思わずムサシが、アミナを見れば、当時を振り返っているアミナは、戸惑いを思い返している。


 アミナ曰く、ある日の登校中に電車を待っていたら、突然、隣にいた、他校の知らない男子学生に、まるで自分の事を知っているふうに話しかけられた、というのだ。そして、困惑していると、顔色も悪い、そのガリガリの男は、冒険がどうだ、とか、一緒に魔物を倒した、だとか、挙句、自分たちは恋仲だっただとか次々に畳みかけられ、とても怖い思いをしたのだという。

「私……騎士? だったんだって……」

「グフォ! ……ゴホッ!」

 あまりの意味不明さに、ムサシは、思わずむせた。苦笑で返すアミナが近づき、その背をさすってくれたが、

(…………)

 ただ、アミナの告白と共に、次第にムサシの感情の中には、言い知れぬ独占欲がムクムクともたげはじめると、そんな自分に戸惑いつつも、なんだかそれはムカムカしはじめるではないか。


「なんか……さ! おもしろくねーや!」

「……?」

 ツンとしながらのムサシの感情の吐露に、未だ意図も解らぬアミナは、寄り添い、首をかしげるのみである。

「そいつもさ、あ、アミナ・デストロイヤーの事、狙ってる、って事だろ?!」

「……っ! プっ! なあに、それっ~?! まーた、ムー君は、私で遊んでる~っ! 私は、そんな怖い人じゃありませんっ!」

 ムサシの、口から出まかせの言葉遊びは何が飛び出すか解らない。てっきり慣れっことなったとは言え、家では窮屈なだけのアミナの日々の中で、彼との会話は心の癒しだ。

「だぁってよぉ~……! なんだかよぉ~……!」

「ムー君……」


 不満も露に自らの口先までとんがっている事に、ムサシは気づいていないだろう。その切れ長の瞳も、座り気味とすらなっている。まるで唸り方まで大きな猫と化したかのような姿が、アミナには可愛らしくてしょうがない。そして、そっとその肩から腕にかけ、一際にアミナは抱きつくようにして、

「ムー君……だいすき……」

「…………!!!!」

 美女に囁きに、男とは容易いものだ。ムサシは体中に電撃を走らせた後、目を泳がしながらも、愛おし気に見つめる、榛色の瞳を見つめ返し、

「お、オレ! これからも、登校時間、頑張るから!」


 上ずった声で答えるそれは、アミナとの交際と共にはじまった、登校時の待ち合わせの事だった。夜も遅くまで作詞作曲に打ち込むムサシは、それまで遅刻の常習者だったが、見事にそこから救い出したのは、アミナの敏腕と言っていいだろう。そんなへんな男に付きまとわれてるなら尚更の事、ムサシの気合も入るというものだ。


「……うんっ!」

「……で、そいついたら、ボコす!」

「こーらっ! 喧嘩は絶対、ダメっ」


 青空の下では、よくある、若き恋人同士の会話が響き渡っていくようである。これからも色々な事があるだろう。ただ、二人で織りなしはじめた青春は、まだまだはじまったばかりで、きっと、こんな日常が続いていくものと、ムサシもアミナも信じて疑う事はなかったのだ。


 そんないつもの日常の朝、その日も二人は待ち合わせ、人々でごった返す駅構内の行列に、収まっていたのである。

「……ムー君、あの後も、ずっと、歌作り、してたの?」

「そりゃあね~。やっぱアイデア浮かんでくるもんは形にしときてーしさー。けんど、今日もちゃんと起きましたよ~」

 

 どうやら二人は夜遅くまで、互いの自室からスマホで語り明かした様子である。アミナの問いに、ムサシはオーバーにあくびをしてみせ、彼女の肩先に、額をのっけるように体を曲げた。

「……よくできましたっ」

「ねっ……だから今日もさ、昼~、ギュっ~……!」

「…………ん」

 二人にしか解らないやりとりの中、アミナは、ムサシの求めに応じる事を、その頭をいつもするようにそっと撫でる事で答え、

(…………)

 そして、そろそろ、自らの親に、ムサシの事を紹介しようなんて事を、よぎらせれば、固く心の中で誓ってみせた、その時の事だった。


「お前らああああ! 何してるんだあああああ!」

 聞き慣れない声がしたと思えば、列並ぶ彼らの傍に飛び出してきたのは、全く見知らぬ他校の男子生徒ではないか。


「ムサシ! アミナ! ぼ、僕の知らないところで! お、お前ら、そんな関係、なってたのかよ! 裏切りもの! お前らは裏切りものだああああああ!!」

 突然、登場した男は、よれよれの制服に、ブレザー越しでも解るやせ細った体つきは、強烈な顔の悪さも相俟って、不気味ですらあり、かなり二人は当惑したが、

「あ……この人……」

 などと、アミナがムサシの制服の袖を少し引っ張るようにしてから、背中に隠れようとしてしまえば、

「え……? こいつ?……ったく~! あんだよ~! お前さんかよ~! へんなやつってさ~!」

 ムサシも、自らの路上ライブを遠巻きに見つめる視線があったのを思い出していたので、沸き上がる、既にただならぬ感情をも抑えつつ、事をおさめたいと思ったのだが、

「お前! 逃げるなああああ! リーダーの僕を裏切りやがってえええええ! ずっと相方だって、いったくせにいいいいいい! この大ウソつきの尻軽クソ女あああああああ!!」


 自らの背に逃げた恋人の腕を、無理矢理にひっぱりだそうとしている見知らぬ者が、意味不明な上に、罵詈雑言まで口走っていれば、黙ってられる男がいようか。


 発作的にムサシが繰り出した肩パン一発で男は吹っ飛んでいた。アミナがすがりつくようにしてくるのを、更に、守ってやるようにし、

「……オレの女に、わけわかんねー手、だすなや」

 ムサシは、バンド時代ぶりに、久々に本気で怒り、尚、呆然とこちらを見上げる男を睨むままに、アミナの肩をしっかり抱くと、丁度、訪れた電車の中へと乗り込んだのだ。


 満員電車の中、しばしの沈黙が二人にはあったが、

「……ごめん、手、だしちった」

 ムサシが口を開くと、

「うん……けど、嬉しかった」

 自らの腕の中に抱くようにしているアミナの榛色が、瞳潤まし、こちらを見上げれば、(やっべ……かわいい……)なんて思わない少年など、この世にいないだろう。


 二人の世界に入ったままに、やがてターミナル駅の一角に降り立てば、後は通学路に向けて歩き出す少年少女の周りは、様々な花でも華やいでいそうな雰囲気ですらあったが、巨大な立体迷路のような駅の中、コンクリートの隙間から垣間見えるはずの青空の光が、やけに曇っている事に、ふと、きづくと、「おい……なんだ、あの空……」などという、空を見上げた周囲の大人たちのどよめきもあり、つられるように、ムサシもアミナも見上げれば、直近のガラス窓に映った大都会の空は、まるで禍々しく、妖しい光に既に満ち溢れていて、次の際には、次々と何がしかの落下音が響き渡り、かと思えば、程なくして悲鳴すら、あちらこちらで巻き起こっていくではないか!








 










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