勃発

 こうして、僕は、駅前の友の所に赴くのをやめると、同時に、再び、学校に行く事すらもやめた。日々の全ては、テレビ画面か、ゲーミングパソコンの前で過ごすようになり、それは元の鞘に収まったと言えばそれまでの事だったんだ。


 皆が起きる頃に眠りにつき、真夜中こそが僕の覚醒時間。僕は、ゲームを真面目にやらないやつらの事が、大嫌いだった。オンラインゲームなら尚更の事だ。「楽しくやろう!」だとか、腑抜けた事を言うやつらの事は、心底憎たらしくてしょうがない。ましてや、今や、誰も経験した事のないVRゲームのような世界の中を生き抜いて帰還し、あの世界での冒険者一行のリーダーだったのは、この僕だ。高難易度のコンテンツでは、それまで以上に、皆に指示を出しまくって当然と思えたし、言う事に歯向かってくる連中には、ボイスチャットで、徹底的にイキりまくった。無論、尚も納得いかない時は、SNSを使って、果てしなく相手の事をDisり続けたし、巨大掲示板に晒し、晒され、寝食も忘れ、体は更にガリガリにやせ細り、僕は元あった日常に、結局、更に拍車をかけていく事しか考えられなくなっていった。


 あれだけの冒険の日々があったと言うのに、まるで何事もなかったかのように、この世界の中で再び暮らしていく中、次第に、あの世界の事が夢だったんじゃないか、なんて錯覚にすら陥る事があったけれど、そんな時は、再び出会う事も叶わなかった聖騎士の彼女や、会う事自体が疎ましくなった侍の友と、再遭遇した時の一部始終さえ思い返せば、ほら、ホントだったじゃないか、なんて、何度も自分に言い聞かす事の繰り返しだった。この世界の住人は誰も知らないし、かつての仲間たちもそれを覚えていないし、今、ゲームの画面の前で、意識の低い連中相手に、イキり狂ったりしているけれど、僕は、間違いなく、異世界を救った英雄たちのリーダーだったんだ。魔王討伐後の謁見の間では、全ての国々の代表をした、容姿端麗な女王陛下から、リーダーとして僕だけが授かった、英雄のシンボルとされたメダルの、その授与された瞬間に肩にかかった重みだって覚えてる。


「……あれは全部、ほんとだあああああああ!!」

 コントローラーをガシャガシャと派手に鳴らしながら、僕は今宵、何度目かの絶叫をした。以前は、こんな事があろうものなら、すぐ隣の妹の部屋から、抗議の意であろう、何かをゴンッ! と打ち付ける音もしたものだけど、壁がボコボコになる程、何倍にもしてやり返してやったりしているうち、いつしか、静かになったものだ。


(……僕は、本当に、世界を救った英雄なんだ……!)

 ボーカルチャットでやりあう鼻息も荒く、そんなふうにして、僕の心の中は、根拠もなく自分に酔いしれていく。以前は、自分が、ゲームのギルドのマスターである、という肩書がその理由を占めていたけれど、今の僕のそれは当時より確固としたものだった。

(………だから、僕の言う事を、聞けえええええええ………!!)

 そして、興奮はとめどなく溢れる。


 そんなふうに、今宵も、ゲーム上のパーティーを渡り歩いてる最中だった。女の騎士に、侍の男のアバターがいるパーティーなんてものに潜り込んでしまったんだ。しかもチャット上の雰囲気で、二人は既にかなりの知り合いのでようあったりしたものだから、早速、僕にとってはギスる案件の格好の材料で、逐一、言葉尻を捕らえては煽ってみせたんだけど、まるで二人は、何故に僕がイライラしているのかと普通に狼狽え、やり返してくる気すらない事に、更に僕はイラつくしかなかった。決め手は、なかなかコンテンツをクリアできないというのに、侍が「みんな~、スマイル! スマイル! 楽しくやろう!」などと末尾には顔文字と共に打ち込んできたところで、イキりの狂いの限界値に達した僕は、すさまじいタイピングで、罵詈雑言を書き込むだけ書き込むと、一人、そのパーティを、抜け出した。


 そのまましばらく、ハァハァと、息を荒くしてただろうか。俯く僕の姿を、画面の灯りが照り付ける中、やがて、ちゅんちゅんと鳥のさえずる音が聞こえはじめると、動きはじめた電車の音も微かに空を響いていった。女騎士と侍が随分近しい関係である事や、パーティー内に蔓延していた、コンテンツをクリアする事に対する意識の低さに関しては、イキる原因として充分だったけれど、この時、僕の心を決定的に乱れさせたのは、侍が放った一言に、あの世界での戦いの日々で、僕ら一行のムードメーカーを担っていた、僕のはじめての友達の片鱗すら思い起こさせたからで、朝が来ると共に、束の間の高揚感は嘘のように立ち消え、いつもの虚無感が、もたげはじめようとしていたのだけれど、

「……………」

 もう、このまま、いつものように、夕方まで眠っていたかったけれど、その日の僕は、あの日、あの世界を共に救った仲間たちに無性に会いたくなっていて、そのためには、ここでいつもの様に眠るわけにはいかないように思えて、散らかしつくしたゴミ貯めのような部屋の中から、よれよれとなった制服の一式を引っ張り出したんだ。


 今朝も今朝とて、リビングでは、何かに諦めきったような親や妹の視線が突き刺さる。それでも、用意された朝食を体に流し込めば、何かが元気になったような気がした。一先ず、学校で何が起こるかを考えるのはやめよう。玄関で革靴を履いた僕の全ての興味は、次々に再会の叶った、僕らの街の駅の事のみに集約されていて、カバンは傷ついたままにボロボロでも、慣れない太陽の陽射しの光にもめげず、既に足取りは、少し駆け足のようであったかもしれない。


 いろんな人々の日常を飲み込んで、今日も駅構内はごった返していた。時間はいつかのあの日と、さほど、変わらない。そして、以前と同じ列に姿がなければ、構内中を探し回ればいいだけの話だ。きっと、何かが変わる、そんな気がすれば心がはやる。一つ、一つの列を、時に、人波を押しのけてでも、必死に探し回った。そして、とうとうハーフアップの、天然の栗色をした長い髪の後ろ姿をみた瞬間、僕の心は、あの世界で旅した冒険の日々のように、心が躍動したという事は言うまでもない。自然と笑みすらこぼれれば、そこへ向け前のめりとすらなった、その瞬間、彼女はクルリと横向き、見上げて、誰かに向けて語りかけ、その視線の先にあったのは、あの日、共に冒険をした時のように、髪を丁髷に結った長身の友が、あくびをしながらおどけ、つづけて彼女が笑いながら応対すると、丁髷はまるで慣れたふうに、その相手の肩先に額をのっけてみせたと思ったら、まんざらでもなさそうなハーフアップがそれに寄り添い、そっと頭を撫でてやったりしたんだ!


(……………!)

 あの日、あの世界では、有り得なかった光景を目の前に、睡眠不足も手伝って、僕は強烈な眩暈をおぼえた! が、次の瞬間には、まるで飛びかかるようにして、僕は、彼らの中に割って入ろうとしていったんだ!


 家以外の、またはゲーム以外の、こっちの世界で、感情を思い切り露にしたのは、いつぶりだろう。

「!!!!!!!!!!!」

 激しくイキり散らす僕の眼前で、友も彼女も、突然の登場にすっかり当惑していたけれど、

「あ……この人……」

 などと、彼女は友の制服の袖を少し引っ張るようにしてから、その影に隠れ、

「え……? こいつ?……ったく~! あんだよ~! お前さんかよ~! へんなやつってさ~!」

 代わりに立ちはだかったのは、置かれたギターケースのてっぺんに手を置いた、まだ、口の端に笑みを忘れていない友であったりしたんだけど、

「!!!!!!!!!!!」

 

 更に眼前の光景が信じられない僕がイキり、友の影に隠れた彼女の腕をひっぱりだそうとしたところで、悲鳴はあがり、それも一発の肩パンで僕が吹っ飛べば、倒れ込む僕が、尚、呆然と見上げる先で、守り、遮るようにした友の腕を、彼女はしっかりつかんでいすらいて、

「……オレの女に、わけわかんねー手、だすなや」

 と、声も殺して、見下し、すごむ三白眼は、まるであの日の侍、そのものだったけれど、間もなくして電車がやってくれば、尚もこちらを向く三白眼は、自分のスクールバッグとギターケースを持ち直し、共に寄り添う怪訝な榛色の瞳の視線すら乗り込むと、その他、多くの人々に紛れ、去ってしまったんだ!


 尚も僕は倒れ込んだまま、しばらくは呆然としていただろうか。ただ言いようのない感情が湧き上がってくるのは時間の問題だった。

「!!!!!!!!!!!」

 気づけば、駅員の抑制すら耳に届かず、自動改札機を無理矢理に戻ると、絶叫とも嗚咽ともつかぬまま、僕は家路を急いでいたのだ。玄関の引き戸を乱暴に開ければ、靴も履いたままに、僕は自室へと向かい、先ずは壁という壁を殴りつければ、そこだけは死守してきたはずのテレビ画面も、ゲーム機も、PCも、明らかに全てが機能不全となるまで、暴れに暴れた。


 あの日、あの世界での冒険の日々の中、僕の日常は光り輝いていたはずだった。そして異世界とは言え、世界を救った英雄達の、そのリーダーであったと言うのに、今の僕はどうだ? イキり疲れてベッドに座り込む僕の眼前は、まるでゴミ溜めでしかない有様だ。


「……こんな世界、滅んでしまえ……!」

 心底、そんなふうに思えれば、それは呪文のような呟きから、全てを呪う絶叫へと化していく。何度も何度も叫ぶ僕は、まるで、なにかに取りつかれているようで、実際、何かに取り憑かれていた。気づけば、僕の瞳は、煌々と妖しく輝き、ぼさぼさの髪の毛はハリネズミのように逆立ち、部屋中のものが、僕からほどばしる妖しい光のせいで、宙へと散乱していた。


 それと呼応して、僕の家の上の、晴れ渡るいつもの青空は、まるで一筋の線が入ると、それは塞いだ傷口がひろがるように見る見るとひろがっていき、この世のものとは思えない、禍々しく、妖しき色彩の揺らめきの空間が広がっていったと思えば、そのあちこちから、見た事もない異形の怪物たちは現れ、恐怖が空から降ってくるように、人々を襲い始めたのだ。


 日本政府は、異形達の、尋常でない破壊力に狼狽えながらも、それらを「正体不明生物」と名付け、対応に追われていく事となる。




























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