第20話準備

 宗雪の隊長就任のお披露目の日。


 貞宗は、早起きした。


 早起きして、昨日から屋敷に縛り付けておいた鴉を起こした。こうしないと鴉が行方不明になってしまうからである。なお、以前は縛らないで放置したことがあったが夜が明ける前に迷子になっていてひどく困ったことがあった。それ以来、大事な用事があるときには縛ることにしている。


「おはようございます」


 貞行は、鴉に朝の身支度をさせる。一人でできる身支度が終わると、貞宗は鴉に向き合った。寝起きの鴉は、髪が少しぼさぼさしていた。到底、このまま外にいかせることはできない。


「髪を整えさせてもらいます」


 貞行は、そう言った。


「うん。今日は綺麗によろしくね」


 鴉は頷く。


 貞宗は、鴉の後ろに回って絹のような髪をとかす。椿油を十分にしみこませた柘植の櫛で、髪に潤いを与えながら。


「まだ、嫌なことから目をそらしたくなることは多いですか」


 貞宗は、鴉に尋ねる。


 鴉の迷子癖は生来のものではない。鴉隊の襲名された当初は、鴉は方向音痴であったがここまでの迷子癖はなかった。迷子癖がひどくなったのは、鴉の兄が死罪になってからである。

 そのときから鴉は現実から目をそらすかのように、目的地になどりつくことを止めた。まるで、目的地をなくしてしまったようであった。


「貞宗達は偉いよね」


 鴉は呟く。


「みんな、目的地を見失わない」


 ぼんやりとしたその呟きを貞宗は聞かなかったことにした。


 貞宗は梳いた髪を丁寧に編み込み、それを翡翠の飾りで止めた。思惑通りに、黒髪に翡翠の飾りはよく似合う。


「涼太は趣味が良いですね。彼ならば、隊長の着物の管理を任せられそうです」


 その言葉に、鴉は笑う。


 貞宗は、このような着物の見立てや着付けが好きだった。小さな頃から妹の着物を見立てていたら、いつの間にか自分の趣味になっていってしまったらしい。着物は高いから買うために金勘定にも細かくなり、おかげで鴉は隊の内情を貞行に任せっぱなしにしている。鴉は細かい書類仕事が苦手で、自分は現場でしか働けない人間だと思っている。だが、貞行は鴉とは真逆の人間であった。


「ここに来てから、涼太には定火消らしくない仕事ばかり頼んでいるね」


 まだ、涼太の主な仕事は草刈である。


 屋敷が荒れているから、修繕の仕事はいくらでもある。そのため、つい任せてしまうのだ。だが、本来ならば鬼の倒し方などを指南してやるべきだろう。だが、鴉は教得るのが下手だ。貞行も現場には出て行かないために、教えられるようなことが事務的なものしかない。


 おかげで涼太の仕事は、たまに迷子になった鴉を探したり、鴉が鬼を倒すのを見学するというものになっている。も仕事もしているが、新人の訓練らしいことはできていない。それを鴉は、少し申し訳なく思う。


「鴉隊長は、人に物を教えることが苦手ですからね」


 貞宗は、笑う。


 副隊長だが、貞宗は鴉に教えを乞うたことはない。鴉隊に来た当初から、貞宗は鴉隊の内情を整備すると決めていた。鴉が、そのようなことが苦手だからである。それを見越して、新人たちは自分で成長できるような人間ばかりを入れてきた。だが、無理をして、成長しようとして、自分でダメになるような子ばかりであった。涼太が違うところは、無理をしないというところだろうか。引き際をよく心得ており、自分身を危うくしない。鴉も、それも立派な才能であると思っている。


「涼太君は、ちゃんと育つといいな」


 鴉の言葉に、貞宗は頷いた。


 貞宗は「立ってください」と呟いた。


 鴉が従うと白い着物を着つけられる。花嫁が身に着けるような純粋な白。けれども女ほど体は薄くないので、白無垢の印象はない。むしろ、死に装束のようなイメージが付きまとう。


 そして、その上に紫色の羽織を身に着ける。


それだけで死に装束のような不吉な装いが、一気に格式ある立派なものに変貌する。


小物は、すべて翡翠色に統一させた。


鴉の濡れ羽色の髪に翡翠の色合いは、本当によく似合う。


「綺麗です」


 はぁ、と貞宗はため息をつく。


 貞宗は、鴉に心酔している。その容姿や実力が、すべて最上のものであると思っている。だからこそ、晴れの場にはそれに見合った格好をしてほしいと願っている。今回の恰好は、貞行に納得できるものだった。


「鴉隊長は、ずっと綺麗です」


 貞宗は、鴉の背をなでる。


まるで、その背中に翼でもあるかのように。


「ねぇ、私はこういう恰好は苦手」


 鴉は困ったように笑った。


 その笑顔は、子供の用に可愛らしい。


「だって、誰かになでてもらっても分からないんだもん」


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