第19話消える鬼

「あー、またいなくなった」


屋根の上に乗った鴉は、残念そうにつぶやいた。


屋根の下にいた涼太も、目を白黒させる。


今日も鴉は、一番に鬼が出現した現場にたどり着いた。だが、いざ鬼と対峙しようとすると鬼がきれいさっぱり消えてしまうのである。

 

普通、鬼が消えることなどない。


 だが、同一個体だと思われる鬼は何度も江戸の町に現れては消え、現れては消えていた。そんな日々のなかで、鴉はむっとしていた。


どうやら、鬼に逃げられるのが悔しかったらしい。

「鬼にこっちの動きがバレてる感じがするんだよね」

 

そう鴉は言うが、涼太にはそうは思えなかった。


 というのも、鴉の動きは他の定火消とは完全に分かれているからだ。もしも、定火消の内情に通じていても鴉の動きまでは読めないであろう。


「涼太はどう思う?」


 意見を求められた涼太は、言葉に詰まった。隊長と意見が正反対なので、そんな考えを言ってよりものかと思ったのだ。だが、誤魔化すわけにもいかずに涼太は意見を述べた。


「その……ボクは動きはバレてないと思います。バレていたとしても、隊長の動きは予想されないかと」


 涼太の言葉に「そういえば、そうだよね」と呟いた。


 鴉は、うーんと唸りだす。


「でも、鬼が姿を消すってことはありえるんですか?」


 そちらの方が涼太には気になった。


 現れた鬼は天にも届くほどの大きさであり、鬼としての大きさでは最上級である。そんな大きさであるために、どこかに隠れるということはできない。むろん、逃げるにしても目立つ大きさである。


「人間に戻れば、可能だと思うよ」


 鴉の言葉に、涼太は眼を点にした。


 信じられなかった。


 というのも一般的には鬼がどのように発生するのはよくわからないというのが通説だったからだ。この間、桔平が鬼になった瞬間を見て、涼太はそれでようやく鬼が人間から発生するのだと分かった。だが、それ以外のことはよくわからない。それでも定火消隊があえて民衆に鬼のことについて周知していない事実があるのだとは薄々理解していた。


「そんなこと可能なんですか?」


 涼太の言葉に、鴉は頷いた。


 きょとんとした顔であった。


「うん、可能。その方法はね」


 鴉が言おうとすると「鴉隊長!」と遠くから、彼を呼ぶ声が聞こえた。渋い、大人の声だった。


 白虎隊の行宗であった。


 息子の宗雪を携えての登場であり、後ろにはたくさんの隊員を引き連れていた。隊員が涼太しかいない鴉隊とはえらい違いであったが、白虎隊のほうが正しい定火消の姿である。隊員を一人しかつれていない。あるいは自分に一人で鬼に立ち向かっていく、鴉が異様なのである。


「あっ、白虎隊のところの」


 鴉は、嬉しそうに手を振った。


 まるで友人を見つけたような反応であった。


「鬼が消えちゃったよ」


 鴉の報告に、行宗は深くうなずく。


 その声や仕草でさえ岩のようにどっしりとしていて、なんとなくだが歴戦の火消しの気配とはこういうものなのだろうと思った。


「ああ、俺のせいで今回は遅れたが……鴉も取り逃がすなら、どちみち俺たちに勝目はなかったか」


 行宗の言葉に、息子も宗雪も無言で頷く。相変わらず、宗雪は物静かだ。だが、父親のどっしりとした雰囲気は遺伝しており、涼太より少しばかり年上だというのに不思議な安心感があった。


「そうだ、鴉。近々、息子が俺のあとを継ぐ」


 行宗のその言葉に、鴉は眼を見開いた。


 鴉の顔が、ぱぁと明るくなって喜色満面の表情となる。


「そうなんだ。宗雪君が、隊長になるんだ。おめでとう」


 鴉は屋根から降りて、自分よりも大きな宗雪の背中を叩いた。宗雪はそれにどう反応すべきか考えて、鴉の頭に手を伸ばした。頭をなでられると、鴉は嬉しそうに微笑む。


「えへへ。宗雪君は、年下なのに頭をなでてくれるから好きだな」


 宗雪よりも、鴉のほうが年上だったことに涼太は驚いた。だが、考えてみれば鴉はすでに隊長である。だったら、年上としての威厳を見せてほしいが無駄だろう。


「じゃあ、お披露目式をするんだよね。いつするの?」


 新たな隊長の就任という目出度い席を祝う。


 それをお披露目席といい、他の部隊も一緒になって祝うのが通例だった。


「貞宗に言って、新しい着物を新調しなくちゃいけないのかな?」


 とりあえず帰ろう、と鴉は言った。


 屋敷に帰って、その旨を貞宗に伝えると「新調しないといけないですね」と答えた。


「前のものは、もう古いですからね。基本の色は変えられませんけど、小物はちょっと色を変えてもいいかもしれません。四神をつかさどる色も使えませんけど」


 玄武は黒、白虎は白、朱雀は赤、青龍は青、とつかさどる色が決まっている。それらの色を基調として隊長たちは着物を作るので、鴉隊はその四色は使えない。なお、鴉隊がつかさどる色は紫となっており、いつもの出動時に羽織る半纏の色も紫である。


「結局、着物の色って紫になっちゃうんだよね。私も色にそんなこだわりはないし」


 鴉はそう呟いた。


 ぼんやりとしながら呟く鴉には、本当に色のこだわりはないようだった。


「小物は翡翠色。緑がいいと思うんだ」


 涼太は、鴉の容姿を見つめながら呟いた。鴉の濡れ羽色の髪には、翡翠色の飾りがよく似合うと思ったのだ。ただ、それだけのことだった。


その意見を聞いた貞宗は「ほう」と呟いて、部屋の奥から古い着物を持ってきた。そして、それを鴉に羽織らせる。


「たしかに、色はあいますね。小物は翡翠色で作ってもらいましょう」


 涼太は、そんな色の着物も持っていたんだと感心する。


 その視線に気が付いて、貞宗は答えた。


「隊長は、わりと衣装を持っていますよ。ただ着る機会がなくって」


 帰ってくることもないからね、と鴉は答えた。


 迷子のせいであると分かって、涼太は頭を抱えた。


「ただこうやって色を合わせられるから、便利と言えば便利ですね。……もしかしたら、黄色とか水色も似合うかもしれません」


 貞宗の目が光った。


 この世で一番面白い玩具を発見した猫のような顔になって、彼は鴉に迫る。涼太は、貞宗の知られざる趣味を発見してしまったと思った。


「ちょっと色々と羽織ってみてください」



 貞宗の玩具になった鴉がへろへろになったころに「やっぱり、翡翠色で行きましょう」と彼は決心した。

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