第15話純粋な弟

そんな醜い感情におぼれる貴志とは違って、鴉は純粋だった。


その純粋さは、他の隊員たちの態度を二分させた。受け入れられないものと忌避する人間が綺麗に二つに分かれた。貴志も兄弟でなければ、忌避していたかもしれない。


 けれども、兄弟であるから受け入れなければならなかった。一方で、貴志も鴉を守った一件から他の隊員たちに恐れられるようになった。貴志は常に一人になり、そんな貴志を見かねて鴉は彼を銭湯に悟った。


「兄さま、お風呂に行きましょう」


 兄弟であるから、一緒に銭湯にいくことは珍しくなかった。けれども、青龍隊に入ってからは風呂が百人屋敷にあることもあって、銭湯に赴くことはなくなっていた。気晴らしになるかと思って、貴志は鴉と風呂へと向かった。昔とは違い、鴉は番頭に嫌がられることもなく風呂に入ることができた。


 混浴の浴室へと向かい、糠の袋で肌をこする。


「兄さま、背中を流します」


 掌に乗るほどの大きさの糠の袋で、鴉は貴志の広い背中を一生懸命にこすった。その懸命さは、まるで小さな子のようだった。


「昔は、よくこうやって兄さまの背中をこすりましたね」


 たしかに、そんな時代もあった。


 けれども、鴉の才能に嫉妬するようになってから貴志は鴉に背中を流してもらうことはなくなっていた。


「兄さまは、鬼と戦うことが怖いのですか?」


 鴉は、貴志にそう尋ねた。


 鴉の指は、わずかに震えていた。


 貴志とはちがって、鴉は生まれながらに定火消なれとは言われていなかった。突然に養子にされ、突然将来は定火消になれと言われたのだ。貴志とは違って、鬼を怖がって当然である。


「……俺は、鬼は怖くないよ」


 貴志は、答えた。


 実のところ、貴志は鬼と戦ったことはなかった。けれども、江戸に住んでいたから鬼を見たことはあった。鬼と戦った話も父から聞いていた。けれども、貴志は鬼を一度も怖いと思ったことがなかった。それは、強がりの感情でもあった。火消である限り、鬼を怖がってはならないと。


「私は、怖いんです。兄さま」


 鴉は、貴志の背中に抱き着く。


 湯とは違う生ぬるい水が、貴志の背中を伝った。


それは、鴉の涙であった。


弟は、子供のように鬼を怖がっていた。自分よりも強いのにも関わらず。


「私はいつか、鬼から逃げるかもしれません。そのときは兄さま……兄さまが叱ってください」


 振り向いた貴志は、鴉を見る。


 鴉は泣いていなかった。


 それもまた、強がりの感情だということは分かった。鴉も定火消が鬼を怖がってはならないことを知っていた。


 けれども、鴉はそっと貴志の左手をとった。そして、それを自分の頬にあてる。


「兄さまは、一度も私を叱らなかった。けれども、私が逃げたら……どうぞ叱ってください」


 貴志は、あっけにとられた。


 鴉は、自分よりも強いのだ。そんな鴉が抜け出す姿など、到底想像できなかった。


「鴉は、そんなことにはならない」


「いいえ。なるかもしれません」


 鴉は、首をふる。


「私は、すごく弱いから」


 鴉は、そう語った。


 ものすごく強いというのに、なぜかそう語った。


 貴志は、鴉を立ち上がらせる。


 そして、自分の前に座らせた。


「背中を洗ってやろう」


 貴志の言葉に、鴉は笑う。


「まるで、子供の頃に戻ったようですね。兄さま」

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