二話 初デートは心臓大パニック その2
その日の夜。
僕は部屋のベランダに立ってヴァイオリンを構える。
昼食の際に渚さまは僕の演奏を楽しみにするといった。
それなら僕は全力でその期待に応えないと駄目だと思う。
明日渚さまに聞かせる曲は、すでに決めている。
せっかくだから、自分の好きな曲を聞かせないと。
そっと弓を走らせ、僕は演奏を始める。
全ては明日、渚さまの期待に応えるために。
そして、僕の奏でる音楽はそっと、夜の闇へと溶けていく。
大丈夫だ。これならきっと。
僕は少しだけ、明日へ自信が持てた気がした。
翌日の早朝。
僕は学校への道を歩く。
ただいつもと違うのは、肩にヴァイオリンのケースを掛けている。
放課後、渚さまに聞かせるためだ。
昨日の夜は練習をバッチリしたからきっと大丈夫。
「あら洸夜さん?おはようございます」
「えっ雪美さん!?おっ、おはようございます」
僕が考え事をしていると、不意に雪美さんが僕に挨拶をしたので、驚きながら返す。
「どうしました?元気が無いようですが。もしかして体調でも崩しました。もしそうでしたら今日はお休みになった方がよろしいですわよ」
「あっ、いえ。ただ考え事をしてただけで、元気ですよ」
雪美さんが想像以上に心配してくれたので、元気なアクションで場を取り繕う。
けど……雪美さんってやっぱり優しいな。
「そうでしたか。それならいいのですが」
「うん。本当にそうだから、気にしないでいいから」
「そうですか。それで洸夜さんはヴァイオリンを持っていますが、今日は何か?」
「うん。今日は渚さまに演奏聞かせるんだ。例の任命式の出し物を決めるから」
雪美さんが尋ねてきたから、僕は正直に答える。
「ところで雪美さんの持ってるのも任命式の出し物?」
そこで、雪美さんが左手に布にくるませた細長い棒状の物を持っていることに気づき、質問をしてみた。
「はい、私もしのぶさまと萌さまと一緒に話し合うので、そのために」
すると雪美さんは笑顔で返事を返す。
やっぱりみんな準備を始めているんだ。
もしかしたら渚さまは僕の背中を押してくれたのかな。
いや、きっとそうだよね。よし、僕も頑張らないと。
渚さまの期待に応えなくちゃね。
「雪美さんも頑張ってるんだ。一緒に頑張ろうね」
「はい、洸夜さんも頑張ってください。私も頑張りますから」
雪美さんの言葉を交わすと何だかリラックス出来た気がした。
そして、気がついたら間に昇降口まで辿り着いていた。
この日は本当に授業はあっという間に終わったように感じる。
気がつくとすでに授業は終わり、放課後となっていた。
僕は渚さまとの待ち合わせ場所の第二会議室に向かう。
防音設備があるから音が外にまで聞こえる心配も無い。
「よし、頑張るぞ!」
軽く自分を鼓舞すると、待ち合わせの場所へ向かう。
「遅いわよ洸夜」
僕が部屋に入ると、すでに渚さまが待っていたらしく、軽く怒られた。
「まあまあ渚。洸夜ちゃんだって、いろいろあるんだから。それに待ったといってもほんの三分程度よ。洸夜ちゃんも気にしなくていいから」
「純香さま。ありがとうございます………ってええっ!?どうして純香さまがっ?」
当たり前のように居たから気がつかなかったけど、どうして純香さままでここに?
思わず上ずった声で叫ぶみたいなふうになったけど、それぐらい驚いてしまった。
「どうしてって、洸夜ちゃんの式なのだから、私もどんなのか確認したいじゃない。いけない?」
「でも……心の準備とか」
そうだよ。いきなり純香さまも一緒に僕の演奏を聞くなんて。
渚さま一人でも大変なのに、心臓が本当に止まっちゃうかも。
「何を言ってるの?本番は何百人の生徒の前で演奏するんだから、二人ぐらいで緊張なんて言ってたら駄目でしょう」
「……でも」
「いいわけはいいから早くしなさい」
渚さまの有無を言わさぬ言葉が矢のように降り注いで来る。
それを僕は避ける術は無く、ただ受け止める。
そして、ここまで言われたら逃げるわけにはいかない。頑張らないと。
「ちょっと言いすぎよ渚。ごめんね洸夜ちゃん。それでどうする?別に無理なら私は日を改めて構わないけど」
純香さまの優しさが胸に染みる。
でも、その優しさに甘えたら駄目だ。
逃げずに、今を頑張らないと。
「いえ……大丈夫です。純香さまも聞いてください」
「そう。期待させてもらうわよ」
純香さまは僕の返答最初から読んでいたような気がする。
腕を組んで、椅子に座り、僕をゆっくりと見据える。
渚さまも純香さまの横に座り、僕を見つめる。
僕はケースからヴァイオリンを取り出して、ゆっくりと構える。
「弾きます。曲はバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ。第三番ホ長調。第三楽章、ロンド形式によるガヴォットです。お願いします」
「元気の出る曲ね。私も好きよ。頑張りなさい」
「良い曲ね。あなたの演奏を聞かせてもらうわよ」
「はい」
僕が曲を発表すると純香さまも渚さまも、これから演奏をする僕に対し元気をくれた。
僕はヴァイオリンを構え、ゆっくりとガヴォットを弾き始める。
僕の演奏は力強く、だけど丁寧でそれでいて早くリズミカルに。
曲の持つ柔らかなリズムは崩さずに、渚さまと純香さまの心を包むように。
決して舞い上がらずに、自然体で。
不思議だった。
あれだけ緊張していたのに、いざ弾き始めると全く自然に指が動く。
あの緊張はどこに行ったのか。
音楽の精霊がきっと不安を自信に変えてくれたんだ。
そう思うと、肩の力は完全に抜けていく。
リズムを少しずつ上げていき、心を包む音色から、揺り動かすような激しく。
自分で驚くぐらいの、自分の理想の演奏を具現化する。
そしてフィニッシュ。
僕は自信を持って、渚さまと純香さまに僕の音楽を届けられたように思う。
僕は渚さまと純香さまの感想を待つ。
「素敵な演奏ね。わたくしはとてもいいと思うわ」
「あっ、ありがとうございます!」
渚さまが僕の演奏を褒めてくれた。
とても嬉しい。
ただシンプルに嬉しいという感情が僕の胸にはあった。
だけど純香さまは違う。
なにやら考え込んでいるよう。
足を組んで、口に手を当てて熟考しているのが感じられた。
「あの……純香さま?」
僕は意を決して聞いてみた。
やっぱりいつまでも感想が聞けないと落ち着けない。
すると、純香さまははっとしたふうなしぐさでわれに変える。
「ごっ、ごめんなさい洸夜ちゃん」
「いえっ、それでどうでしょうか?」
「ええ。とても良い演奏だったわよ。曲のよさを消さずに自分なりのアレンジも加えていて、本当に綺麗なガヴォットだったわよ」
純香さまの反応も良かった。
とても丁寧に評価してくれたのが僕はすごく嬉しい。
「だけど……ちょっと任命式でそれを演奏するのは厳しいわ」
「えっ!?」
どうしてですか?
その言葉は思わず飲み込むけど、不思議だった。
絶賛してくれたように思っただけどうしてなんだろう。
「どうしてでしょうか純香さま?わたくしは洸夜の演奏は他の生徒に聞かせても問題の無いレベルだと思いましたが」
渚さまも純香さまに疑問をぶつけてくれる。
本当にどうしてですか、純香さま?
僕は黙って純香さまの言葉の続きを待つ。
「ちょっと渚も落ち着きなさい。別に私は洸夜ちゃんの演奏自体は全く問題ないわ。技術も表現力も十分凄いと思うわよ。だけど、ただ演奏するだけだと、発表会と全く変わらないわ。そうじゃなくて?」
「それってどういう……」
渚さまも思わず言葉を詰まらせた。
けど、純香さまはそのままさらに言葉を続ける。
「つまりね、渚と洸夜の二人でデュエットすればいいのよ。渚もヴァイオリンは弾けたわよね。私は指揮をしてあげるから。三人でやる方が新生スペードトリオというのを、みんなにイメージしてもらるわよ」
「ちょっと待ってください?わたくしも弾きますの?」
純香さまの強引な決定に、渚さまも思わず聞き返す。
しかし、純香さまは全く間髪入れずに言葉を続ける。
「ええそうよ。私も指揮をするのだから、良いでしょう」
「そんな……分かりましたわ」
純香さまの言葉に異議を出そうとするが、純香さまと目が合った瞬間沈黙が始まり、その後すぐに降参してしまう。
純香さまはただ微笑を浮かべているだけだったけど、その笑顔には逆らえない何かを、僕も傍目から感じていた。
だけど……デュエット?
「……あのっ、ちょっと待ってください?それで曲は何にするんでしょうか?あのガヴォットですか?」
僕は気になって純香さまに尋ねる。
さっき僕が弾いた曲は、あくまでもソロだから出来たアレンジでデュエットには向かないと思う。
だから曲を何にするのか、聞いておきたかった。
「違うわよ。全然別の曲にするつもりだけど」
「それでは何にするのでしょうか?」
予想通り違うと答えたので、すぐに曲を聞いてみる。
「それは今は言わないわ。明日教えてあげる」
「えっ!?」
だけど、この答えは予想外だ。
だって、明日教えるなら今でもいいのに。
「純香さま。明日教えるなら今教えてくださっても……」
渚さまも僕と同じ意見だったようで、純香さまに疑問をぶつける。
だけど、純香さまは特に動じた様子も無かった。
「今日の夜にどういうプログラムにするかアレンジを考えたいの。だからそれが決まってからの方がいいでしょ。大丈夫よ、洸夜ちゃんの演奏を聴いてイメージも固まったから」
「……わかりました。それでは明日お願いします」
純香さまの言い分に納得したのか渚さまはすんなり折れる。
僕も純香さまの理由はわかったから、特に口を挟むことはしない。
「それでは行きましょうか」
「えっ、どこですか?」
純香さまが突然行くといったので思わず聞き返した。
「どこって生徒会室よ。これから会議があるから」
「あっ」
うっかり失念していたけど、そういえば生徒会の用事もあったんだ。
「しっかりしなさい。洸夜」
「仕方ないわね。まあ洸夜ちゃんは入ったばかりだしね。次から忘れちゃ駄目よ」
「……はい」
渚さまと純香さまの軽い叱責に僕も苦笑いで答える。
「じゃあ行くわよ」
純香さまが先頭で第二会議室から出て行く。
僕と渚さまもそれに続いて、第二会議室を退室して生徒会室へ向かい歩を進める。
「ねえ純香。どうだった?洸夜ちゃんの演奏は?」
僕たちが生徒会室に入ると、いきなりつかささまが純香さまに話しかける。
どうやら僕が二人に演奏を聞いてもらうことはすでに先輩方はご存知だったみたい。
それに部屋を見渡すとすでに僕ら以外の九人はみんな椅子に座っていた。
「ええ。想像以上に良いわ。つかさも本番を楽しみにしてなさい」
純香さまは椅子に座りながら、つかささまに返す。
渚さまと僕もそれに続いて椅子に座る。
だけど、そんな風に言ったら本番のハードルが上がりすぎて困るよ。
確かにさっきの演奏は自分でも納得の出来だったけど、本番でも出来るかどうかはまだ不安だし、僕自身そんなにプレッシャーに強いタイプじゃないから。
「純香さま。そんなに言うと、洸夜にプレッシャーを与えてしまいますわ」
すると渚さまが僕の心を読んだかのように、合いの手を入れてくれる。
とても助かります。
「うふ、ごめんなさい。でも洸夜ちゃんならそんなプレッシャーぐらいは乗り越えられると思うわよ」
「そんなっ、純香さま!?」
思わず僕も声を出してしまう。
このままじゃハードルがドンドン跳ね上がるような気がした。
「そうね。ところでつかさの方は何をしてるの?」
ようやく純香さまは僕からつかささまの方へ話題を逸らしてくれた。
これで僕もようやく少し落ち着ける。
「えっとね。つかさのところは……そういえばなんだっけ?聖華?」
つかささまは少し頭をひねった後で聖華さまに聞く。
「まだ話してませんよ。それに本番まで内緒にするつもりです」
「うん。みつきと聖華さまですっごいことやるから、つかささまも楽しみにしてて」
聖華さまに続いて、みつきちゃんは元気に発言をする。
みつきちゃんは自分自身でハードルを上げるところが凄いと思う。
みつきちゃんも自分には自信があるんだなというのが感じられる。
「はうっ。それじゃつかさは何も手伝えないよ?つかさは邪魔なの?」
「いいえ、つかささまには本番こそ手伝ってほしいです。そういう出し物ですから」
「本番だけでいいの?」
「もちろんです。つかささまにこそやってほしい事ですから」
つかささまの抗議に聖華さまはすぐに返す。
その時の聖華さまはつかささまの目を見つめていた。
やっぱり聖華さまはつかささまを信じてるんだいうのが僕にも感じられた。
「ところで萌や琴実はどうなの?もう決まったのかしら?」
と、つかささま達の話が切りあがったのを見計らったかのようなタイミングで、純香さまが先ほどまで黙っていた二人に話を振る。
「私の方はとっくに決まってるわよ。特に減るものじゃないから話してもいいわよ。構わないわよね」
相変わらず余裕のある雰囲気で琴実さまが答える。
「私は構いませんけど。あづさは?」
「あづさも構いませんことよ」
楓さまとあづささんもそれに即答で答える。
そしてその答えは最初から分かってたかのように、琴実さまは特に表情を変えずに続ける。
「私の方では私のピアノと楓のギターに合わせてあづさがクラシックバレエを踊る予定よ。
演技のプログラムの方もすでに制作してるから、進行の方も順調に進んでるわ」
クラシックバレエか。
そういえばあづささんはフィギュアスケートでも国内トップクラスと聞いたし、バレエも当然上手だよね。
それに琴実さまもピアノの腕前はプロも顔負けだって聞いたし、きっと凄いだろうな。
「へえ、琴実凄い」
「別に大したことは無いわ。それより萌のほうはどうなの?それとも雪美ちゃんの方に聞いた方がいいかしら?もう決まってるんでしょ」
琴実さまは萌さまの感嘆の声をあっさり流す。
別に厭味とかじゃなくて、琴実さまにとっては本当にピアノを弾くことは特に凄いことじゃないんだと思う。
だけど、どうして雪美さんはもう決まってるって分かったんだろう?
「はい、もう決まっていますが。琴実さまはどうして分かったのでしょうか?」
「当たり前でしょ。雪美ちゃんはおっとりしてるけど、いざというときは真っ先に決断してしまうタイプだもの。特に悩まずに、恐らく相談もほとんどせずに自分一人で決めた。違うかしら?」
雪美さんの質問にも一息で琴実さまは答える。
それには雪美さんも、驚き混じりに、
「凄いですわね」
と答えるしかなかった。
「当たり前でしょう。人間観察が出来れば大体の人の行動は分かるわ」
その雪美さんに、琴実さまは少しだけ微笑を浮かべて返事を返す。
「だけど……私にも相談してくれないのは………ちょっとショックだったわ」
そこでずっと黙っていたしのぶさまも話しに入る。
どうやら雪美さんがほとんど全てを決めたことに少しばかりご立腹のようだった。
「すいません。ですが私も出来る限りしのぶさまに迷惑掛けたくなかったからで」
「雪美ちゃん大丈夫よ。しのぶは少しからかって遊んでるだけだから」
そこで萌さまが雪美さんに助言をした。
「えっ?」
「そうでしょ、しのぶ。もう雪美ちゃんは冗談が苦手なんだからからかったりしちゃ駄目でしょ」
「………ごめん。雪美……」
「別にいいです。私も気にしてませんよ」
「………嬉しいわ。やっぱり雪美は優しい」
「そんな……しのぶさま」
しのぶさまが雪美さんの髪を撫でて雪美さんは頬を紅に染める。
このやり取りは相変わらずだけど、何だか変な気分になってしまう。
「それで雪美ちゃんは結局何をするの?そろそろ教えてくれないかしら」
と、そこで琴実さまが、放っておいたら延々と続きそうな雪美さんとしのぶさまのやり取りを強引に切る。
そして、雪美さんは一度顔を引き締めなおして、元の表情に戻る。
「はい。私は居合いをしようと思います。ですのであの……しのぶさまと萌さまには少し協力してほしいことがあるのですが、良いでしょうか?」
居合い……それは雪美さんのイメージとはまるでかけ離れていて少し驚いた。
だけど、協力って何だろ?居合いと言えば僕には立ててある木か何かを切るイメージしかないから少し気になる。
「萌は良いよ。雪美ちゃんの頼みだったら断る理由は無いから。だけど萌は何をやればいいの?」
「私も………良いわ。……だけど…………何をやるのかしら?」
萌さまもしのぶさまも二つ返事で了承するけど、やはり何をやるのか気になるようで二人とも同じことを聞いている。
「はい。普通の居合いでは出し物としては弱いと思うので、萌さまとしのぶさまは竹を投げてください。私がそれを空中で両断しますので」
……僕は何気に凄いことを聞いたと思う。
投げられた竹を空中で両断。
そんなこと、普通は出来ないと思う。
雪美さんは大人しそうな外見だけど、実は物凄い人なんじゃないだろうか。
「そうなんだ。何だかすごく簡単」
「……分かったわ。雪美…………頑張りなさい」
「はい」
そしてそれを驚きもせず、普通に了承してしまうお二人もやはり凄い。
きっとお二人とも、何か凄い特技を持ってるからだと思う。
「へえ。琴実と萌の方もとても面白そうなことやるのね。楽しみだわ」
琴実さまと萌さまの、つまりあづささんと雪美さんの出し物を聞いて純香さまは笑顔で答えていた。
それに琴実さまと萌さまはやはり笑顔で答える。
そして、つかささまは少しだけ空気的に外れたのを感じたのかすぐに話に入る。
「つかさは純香のも楽しみだよ」
「ありがとう。つかさの所も何をやるのか楽しみよ」
「私もつかさの所は何をやるのかという期待があるわね。みつきちゃんも自信があって気持ちいいわ」
「萌も洸夜ちゃんの演奏は期待してるよ。みつきちゃんも何をやるのか楽しみ」
そして、すぐに四人は一つになってしまう。
一瞬で、話が弾むキングの四人を見てしまうと、四人の関係の深さを感じる。
僕と雪美さんとみつきちゃんとあづささんも二年後にはあんな風になっているのかな。
……って駄目だよね。そんな先の事ばっかり考えたら。
今はとにかく、目の前に迫った任命式と特技披露の場でベストを尽くすことだけを考えないと。
「それでは、今日はこの辺りで解散と言うことでよろしい?他には特に無かったはずだけど?」
「ええそうよ。今日の予定はそれぞれ任命式にすることが決まっているかの確認だけだから。みんなも他に何か無い」
それぞれが発表の出し物の確認をしあうと、純香さまと琴実さまで確認を行う。
どうやら今日は僕たちの進行具合の確認がメインだったみたい。
だけど、そこでみつきちゃんが話を切る。
「ちょっと待って。みつき料理部でケーキを作ってきたの。頑張って作ったんだよ。だから食べて」
「へえ。みつきちゃん作ったの。どんなケーキ?」
つかささまがすぐに話しに乗る。
甘いものが好きそうだから、反応が一番早いのも自然だった。
「えっとね。生クリームといちごさんが乗ったとっても美味しいの作ったんだよ」
「いちご。つかさいちご大好きだから嬉しい」
「はい。それじゃ出しますね」
みつきちゃんはいつの間に用意してたのか、お皿に乗った大きなホールケーキを机の上に置く。丁寧に十二人分の取り皿まで用意してあった。
「あらあら、本格的ね。これみつきちゃんが作ったの?凄いじゃない」
楓さまもみつきちゃんの作ったケーキの出来栄えは素直に褒める。
「ありがとう楓さま。実は少しだけ聖華さまにも手伝ってもらったの」
「はい。私もみつきに少しだけ手伝いました。あっ、だけどほとんどみつきが作りましたよ、私はサポートぐらいで」
「うん。みつきが作ったんだよ。生クリームをふんわりにするの、すっごく難しかったんだよ」
「そうだよね。みつきとても頑張ったよ」
「えへへ」
聖華さまとみつきちゃんはすぐに二人の世界が出来上がってしまう。
二人の間に流れるのはきっと、このケーキよりも甘い空気なんだなと僕は思う。
「それじゃあ切りましょうか。えっと……いちごが十二個だから綺麗に切れるわね」
純香さまがナイフを取ってすぐにケーキを綺麗に十二等分してしまう。
「それでは私はお茶を入れてきますね。皆様は何がよろしいでしょうか?」
その後すぐに、雪美さんが立ち上がり、みんなに質問を聞く。
「私は……ジャスミンでいいわ」
「萌もジャスミンね」
しのぶさまと萌さまはすぐに注文をする。
「私も手伝いましょうか?」
「あっ、僕も手伝うよ」
「みつきも」
そこにあづささんが立ち上がり、僕も一拍子遅れて立ち上がる。それにさらに少し遅れてみつきちゃんも立つ。
「ありがとうございます。だけど今日は私が入れますわ。皆さんもご注文ください」
けど、雪美さんは軽く首を振り、断る。
「じゃあ私はダージリンでお願いします」
「みつきはオレンジ・ペコーね」
するとすぐにあづささんとみつきちゃんは注文をする。
だから僕も二人に続いて注文する。
「じゃあ僕はローズマリーでお願いします」
「じゃあわたくしは……今日はアールグレイでお願いするわ」
「私は今日は……レモンバーベナがいいわね」
そして、僕が注文をするとすぐに渚さまと純香さまも注文を伝える。
「私はミントでお願いするわ」
「じゃあつかさはセージがいい」
「私も琴実さまと同じミントでいいわ」
「私はアールグレイでいいよ、渚と同じ」
その後すぐに、琴実さま、つかささま、楓さま、聖華さま、が注文を伝えて、雪美さんは微笑を浮かべると、すぐに給湯室に向かった。
「ふふ、雪美ちゃんなら美味しいお茶を入れてくれるから楽しみね」
「ちょっと琴実さま!『なら』って酷いです。私だって入れてるんじゃありませんこと」
っと、雪美さんがお茶を入れに向かった後に、ポツリと出た琴実さまの言葉にあづささんが瞬時に反応する。
「だってあづさちゃんがこの前に入れてくれたの、生温かったわよ」
「えっ!?……そんな」
「もう少し温度の調整はしっかりやりなさい。そうじゃないと葉が開かないから香りが死んでしまうわよ」
「うう……あづさがんばったのにそんなこと」
琴実さまの厳しいお言葉に、思わずあづささんは涙目になってしまう。
「ちょっと琴実さま。言いすぎですよ!」
そこで聖華さまが琴実さまに抗議を入れる。だけど……
「別に言いすぎじゃないわよ。それに聖華もちゃんと教えてあげなさい。そうしないといつまでも成長しないわよ」
「でっ……でも」
琴実さまの前ではすぐに撃沈してしまう。
「あらあら。琴実も少しからかいすぎよ。聖華ちゃんもあづさちゃんも落ち込んじゃってるんだから、もう少し手加減してあげないと」
だけど、そこで純香さまが一声入れると、すぐに琴実さまも表情を崩す。
「だって、あづさちゃんの涙目が可愛いから、少しいじめたくなっちゃったのよ」
えっ!?
琴実さまの急な口調の変化に僕も大きく動揺してしまう。
もう少しで声に出そうだった。
「それに楓ももう一年になるんだからいい加減に慣れなさい」
「琴実さまはたまに本気になるので、その判断がしにくいんですよ」
「それを見極めるのがあなたの務めでしょ。純香はすぐに読んだわよ」
「純香さまと一緒にしないでくださいよ」
琴実さまは楓の方に責任転嫁しようとするが、それは楓さまもうまく返す。
「えっ、琴実さま私をからかったの?酷いですわ」
あづささんは琴実さまの真意をしって、怒り出す。
だけど、琴実さまは涼しい顔のままだった。
「だって可愛いんだから、ね。それに本当はあづさちゃんの淹れてくれるお茶も美味しいわよ。第一、本当に不味かったら私は飲んでないのだから」
「うっ……はい」
琴実さまの弁解にはあづささんも渋々ながら納得して引き下がる。
すると、そこにタイミングよく雪美さんが十二のカップを載せたトレーを持って入ってきた。
「淹れてきましたが……皆さん何かあったのでしょうか?」
雪美さんはトレーを机の上に置きながら小首をかしげる。
「大したことは無いわ。ただ………琴実さまと……楓と……あづさが………談笑してただけよ」
雪美さんの問いにはしのぶさまが答える。
すると納得した様子で雪美さんは一人一人の前にそれぞれが注文したお茶を並べる。
「雪美さんが淹れてくれたお茶ってとても良い香りだね」
僕は素直にそのお茶に対する感想を述べる。
「ありがとうございます」
雪美さんは僕にそっと礼で返す。
そして、雪美さんと平行して、いつの間にか純香さまがそれぞれの前にケーキを並べてしまう。
「すいません純香さま。僕が並べれば」
うっかりしてた。
こういうのは僕かみつきちゃんかあづささんが、いや、今回の場合は流れとしては僕がやるべきだったのに、純香さまにやらせてしまった。
「別にいいのよ。切ったついでなんだから」
だけど、純香さまは僕に笑顔で返してくれる。
そんなやり取りを続けていたら、全員の前にお茶もケーキを用意されたので、お茶会もとい、みつきちゃんの手作りケーキの試食会となる。
「あら、とても美味しいわ。みつきちゃん頑張って作ったのね」
純香さまは最初の一口を食べて少し驚いたような笑顔を見せる。
「うん。とっても甘くて美味しい」
「みつきちゃん上手だ。すごーい」
萌さまとつかささまも一口食べて素直な言葉が口に出る。
そして琴実さまも少し考えたような表情をしてから、感想を言葉にする。
「さわやかな味ね。しつこくなくて、だけど薄いわけじゃなくて、生クリームとスポンジの配分もとてもいいわね。みつきちゃん。とても美味しいわ」
琴実さまはとても丁寧な感想だった。
「とても丁寧に作ってるし、美味しいよ。だけど、スポンジはもう少し柔らかい方が私は好きかな」
「あら、わたくしはこのぐらいで良いと思うけど」
次に楓さまと渚さまが出した感想は正反対だった。
「でも渚。もう少柔らかくしたほうが食べやすいよ」
「これより柔らかくすると崩れやすいと思いますけど」
そして、どちらも自分の意見を譲らない。
「私は……これで美味しいと……思う」
そこでしのぶさまが絶妙のタイミングで口を挟んだ。
「だけど……楓の言ってるのも……とても美味しそう」
そのまま最後まで言い切ってしまい、何だが巧くその場を納めるような形になった。
「ねえ雪美さん。渚さまと楓さまって仲が悪いの?」
僕はその楓さまと渚さまの様子が気になり、隣の雪美さんに小声で聞いてみる。
すると雪美さんは小さく笑って答えてくれる。
「いいえ、とても仲がよろしいですわ。ですからあのようなお戯れの喧嘩も出来るのだと思います」
「そうなんだ」
なるほど。
僕は納得してしまう。確かにあんな小さなことで意見をぶつけられるのは仲が良い証拠かも。
それにしのぶさまのタイミングも的確だったし、ああいうの慣れてるのかな。
「まあまあですわね。不味くはありませんけど……みつきちゃんが作ったというのは凄いと思いますわよ」
「あぐっ」
っと、僕が雪美さんに質問している間にあづささんも感想を終えていた。
相変わらず素直じゃないなと僕は思う。
あの表情やしゃべり方は美味しいと言ってるのがすぐにわかるのに。
まあ、そこがあづささんのいいところでもあるんだけど。
「やったあ、ねえねえ雪美さんと洸夜さんはどう?」
みつきちゃんはみんなの高評価にとても嬉しそうだった。
そして、まだ感想を言っていない僕と雪美さんにも感想を求める。
すると雪美さんは一口お茶を飲んでから、笑顔を浮かべて答える。
「はい。とても爽やかな甘さで美味しいですわ。まるで天使さんが作ったように感じ待したわ」
「わーい。雪美さん大好き」
「いえいえ。みつきさんが御上達なさっただけですわ」
喜ぶみつきちゃんにやっぱり雪美さんはニコニコ笑顔で返す。
僕も雪美さんみたいに気の聞いたコメントを用意したほうがいいよね。
「僕も美味しいと思いますよ。まるで天国に行ったみたいな……」
「それじゃ洸夜ちゃん死んだんだー」
「えっ!」
僕の感想につかささまが驚きの言葉を付け加えてしまう。
「ちっ、違いますよ。そういう意味じゃ」
「あぐ、……みつきのケーキ不味かったんだ。不味くて死んじゃったんだ?」
「違いますって。みつきちゃんのケーキは美味しいですよ」
「だけどさっき死んだって洸夜ちゃん……」
つかささまがまた話に食いついてしまう。
それにつられてみつきちゃんも何となく目が涙目になっている。本当に、今にも泣いてしまいそうだ。
このままじゃ空気がおかしくなりそう。
だけどどうしたら……
「違いますよ。つかささま。洸夜ちゃんは天国のような、つまり天使の作ったかのようなとても美味しかった。そういう風に言いたかったんだと思います」
そこで聖華さまが巧くフォローを入れてくれた。
「はい。そうです。ありがとうございます聖華さま。僕口下手で」
「そうなんだ。つかさ勘違いしちゃったの……はぅ」
そこでつかささまは少し落ち込んじゃったみたいだ。
分かりやすくピンクのリボンも垂れ下がっているので、空気を読み損ねちゃった落ち込み具合がすぐに分かる。
「じゃあ洸夜さんもみつきの作ったケーキ美味しかったの?」
「はい。美味しかったですよ」
「やったー、みんな褒めてくれた。……きゃっ」
全員が褒めてくれて嬉しかったのか、凄くはしゃいでる感じが見て取れた。
それを聖華さまもやさしく見つめてるし、この二人の関係の深さは本当に見ていて心地良いと思える。
その後、食器を片付けて解散となり、僕は渚さまと帰り道を歩いている。
「そういえば明日ですよね。純香さまが曲を教えてくれるの」
「ええそうよ。洸夜は気になるの?」
「……はい。僕と渚さまが一緒に弾くんですから……少しは」
本当は凄く気になっていたけど、あえて少しとごまかす。
「純香さまなら……わたくしでも想像出来ないわ。技術的に難しい曲にすることは無いと思うのだけど……ちょっと分からないわ」
どうやら渚さまも考えが及ばないらしい。
「渚さまでも予想出来ないのですか」
そんな率直な感想が思わず口から飛び出してしまう。
「それはそうよ。純香さまは今までも何度もわたくしの予想の出来なかったことをやって、わたくしを驚かせたのだもの。あの方のお考えはわたくしでも分からないわ」
「……渚さまでも……純香さまは本当に凄い方なんですね」
純香さまを語る渚さまの口ぶりからも純香さまの底の深さが分かる。
「でも、洸夜なら何でも弾けると思うわよ。だからそれほど気負うことは無いわ」
「あっ、ありがとうございます」
そこでふと、僕に振られた言葉に、僕は勇気付けられた。
渚さまの言葉ならきっと大丈夫だ。
「それではわたくしはここで。また明日お会いしましょう」
「はい。渚さま」
「それじゃ」
「今日はありがとうございました。さようなら」
そして分かれ道になり、僕と渚さまは別れた。
別れざまに、耳に掛かっていた髪をそっとはらう仕草に、思わず胸がときめいた気がしたけど、顔には出さず渚さまに手を振る。
渚さまも、数度手を振るとそのまま家路を付く。
僕もその渚さまの姿を見届けて、ゆっくりと家に向かい歩を進める。
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