二話 初デートは心臓大パニック  その3

家に帰ると、一人の家政婦さんが僕を迎えてくれた。


「お帰りなさいませ。お坊ちゃま」


「ただいま……そうだ。玲子はもう帰ってるの?」


「はい、お帰りになられてからは、書斎にてお坊ちゃまのお帰りをお待ちになっていられます」


玲子は帰ってるのか。少し話をしたかったから助かった。


「そう。じゃあ服を着替えたらすぐに行くから、そう伝えておいて」


「かしこまりました」


僕は家政婦にそう伝えると、すぐに自室に戻り普段着に着替えて玲子の待つ書斎へと向かう。





僕の家の書斎は、二階の父の部屋の隣にある。


父の部屋の隣という位置条件から、やはり書斎には父の資料が多いが、僕や妹の本の多くもその部屋に置かれている。


部屋は空調管理が行き届いているので、紅茶を飲みながら読書を楽しむのに非常に良い環境だと思う。


僕は書斎へ入ると、玲子は読みかけの小説を机に置いて、僕に向き直った。


「お兄ちゃん。お帰りなさい」 


「ああ、ただいま。そういえば帰りを待ってたらしいけど、何か話しかい?」


僕は玲子に先に尋ねる。


「別に大したことじゃないんだけどね。お兄ちゃんは学校どうだった?」


「?別に普通だけど」


僕は玲子の質問の真意が分からず思わず小首をかしげる。


「でも、昨日ベランダでヴァイオリン弾いてたでしょ。お兄ちゃんが家で弾くのなんて久しぶりだから何かあるのかなって」


なるほど。


玲子も僕のヴァイオリンの練習を聞いてたんだ。


質問の意図が分かり、僕も落ち着いて答える。


「今日はカルテットの先輩達と任命式の打ち合わせがあったんだ。そこで特技を見せる場があるから、それでだよ」


「そうなんだ。お兄ちゃんは何を弾くの?」


「今日はガヴォットを弾いたけど、本番は先輩と二人でやるから別の曲になるよ。明日決めるんだけど」


「そうなんだ。お兄ちゃん頑張ってね」


「ありがとう」


玲子に励まされると不思議と自信が出るな。


兄バカかもしれないが、妹の笑顔は人を元気つける何かがあるのだと思う。


「それでお兄ちゃんは玲子に何かあるの?」


「えっ!?」


「だって、何かあるんでしょ。何となくそんな風に感じたから」


そういえばそうだったな。単純に玲子と軽く話してリラックスしたかっただけだから既に用は果たされたわけだけど……せっかくだし聞いてみるか。


「玲子の方はどうだ?一応三年だし進学とか」


「別に普通だよ。高校受験は普通にエスカレーターだから、特に何があるとかないし。お兄ちゃんも同じだから知ってるでしょ」


「そういえばそうだったな。はは」


確かに僕と玲子は男子校と女子校の違いはあるけど、幼稚園から大学までエスカレーターなのは同じだ。


質問に失敗したかもな。


「じゃあ僕は行くよ。時間取らせてごめんな」


「別にいいよ。じゃあお兄ちゃんも明日頑張ってね」


「ああ、ありがとう」


最後にそれだけを話して僕は書斎を後にした。





翌日。


お昼休みになり、僕は渚さまと共に音楽室に来ている。


僕の下駄箱に純香さまからの手紙があったからだ。


「洸夜も純香さまからお手紙を頂いたの?」


「はい。渚さまもですか?」


「ええそうよ。下駄箱を開けたら突然封筒があったから驚いたわ」


「確かに驚きますよね。いきなり封筒ですから」


どうやら渚さまも僕と同様の手紙をいただいたようだ。


手紙は封筒に入っておりその封筒は外装も、薄い水色で清潔そうだった。


そして封筒の中身には


『お昼休みに音楽室に来なさい。曲が決まったわよ。純香より』


とだけ書かれていた。


一方的な風にも取れるけど、それは純香さまの場合、今に始まったことではないらしいので気にしない。


何より、曲が気になったので行く以外の選択肢は最初から無かったと思う。


そして、僕と渚さまが来ると数十秒程度の遅れで、純香さまも音楽室へと入ってくる。


「待たせてごめんなさいね」


「いえ、僕も本当に少し前に来たばかりです」


「はい。わたくし達がここに来てからまだ数えるほども経っていませんわ」


純香さまに、すぐにそれほど待たせていないことを伝える。


すると、純香さまもすぐにもとの調子に戻る。


「それなら良かったわ。それで曲だけど、まず私が弾いてあげるわ」


純香さまはそれだけ言うとピアノの前の椅子に座りふたを開く。


純香さまの動きはとても自然で、普段からピアノを弾いているのがよくわかる。


「この曲は有名だから知ってると思うけど、少しだけアレンジを加えてるから。ちゃんと聴いていなさいよ」


純香さまは僕と渚さまに注意すると演奏を始める。


曲は静かに入り徐々に盛り上がる。とても耳障りの良い曲だった。


純香さまは優しく、だけど力強くピアノを弾く。


曲はパッヘルベルのカノンだというのはすぐに分かった。


だけど、少しだけ違うところがある。


ちょっとずつだけど、二つのメロディのずれが縮んでいる。


それはほんの少し、だけど確かに。


それだけで本来とは大きく違う印象を受ける。


そのまま、最後まで完全に重なりはせず、だけど限りなく二つの音が重なるところで曲は終了する。


「どうだったかしら。私の演奏は」


「すっ、凄いですよ純香さま。とても綺麗で、オリジナルとは違う新しい魅力があって、素敵でした」


純香さまの問いに思わず興奮したような口調で僕は答えてしまう。


「わたくしも洸夜と同じ意見ですわ。純香さまの演奏はとても落ち着けて聞けるのでわたくしも好きですわ」


渚さまも笑顔で答えている。


その僕と渚さまの答えに純香さまはとても嬉しそうな笑顔を見せている。


「二人ともそんなに素敵だったの?嬉しいわね。それで私が二人に伝えたいことは分かったかしら」


「はい。僕と渚さまでその曲を一緒に演奏するんですよね」


僕は元気よく答える。


何だか純香さまの凄い演奏を聞いて、僕にもほんの少し高揚感が出てるのかも知れない。


「正解よ洸夜ちゃん。でももう少しだけ正確に言ってくれると嬉しいな」


純香さまは笑顔で言ってくれたけど、少しだけ言葉が足りなかったみたいだった。


「つまりその曲をわたくしと洸夜のヴァイオリンデュオで弾けばいいのですね。わたくしが最初に弾き始め、一拍子置いて洸夜が弾き始めて、テンポを変えていって、少しずつ近づくように弾いていく。正しいですよね」


渚さまが細かく内容を説明する。


その答えに純香さまは満足そうだった。


「完璧よ。さすが渚ね。この曲は二人の関係をアピールしたのよ。コンセプトは追いかけっこ。洸夜が渚を追いかけて、最終的には限りなく近づいていく。だけど、それでもわずかに渚が最後まで洸夜の先頭に立つ。二人の今後の理想な関係をテーマにしたのよ」


「さすが純香さまですね。これなら新たなジャックの任命式にピッタリだと思いますわ」


純香さまの考えには渚さまも感激していた。


僕も正直に言うと凄いと思う。


曲の内容だけじゃなく、アレンジとテーマまで一晩で考えて形にしてしまうんだから。


純香さまがみんなから慕われている理由が僕にも理解できる。


「凄いです純香さま。僕も頑張って練習します。純香さまや渚さまと一緒に居て恥ずかしくないように頑張ります」


僕も今の気持ちを素直に伝える。


「当たり前でしょう、わたくしが選んだのだからしっかりしていただかないと」


渚さまが相変わらずだけど、やっぱり表情から凄く嬉しそうなのは感じ取れる。


「頼もしいわね洸夜ちゃんならスペードの未来も安心ね。とても頼もしいわ」


純香さまも僕に笑顔を見せてくれる。


この渚さまと純香さまの期待に応えられるように、僕も頑張ろうと強く心に誓う。

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