二話 初デートは心臓大パニック その1
新宿駅前。
時間はまだ十一時になったばかり。
「はあ、やっぱり早すぎちゃったかな。でも渚さまを待たせるなんて絶対出来ないし」
思わず独り言が出る。
だけどやっぱり早すぎかな。さすがに一時間近く待つなんて。
渚さまが来たら『自分も今来たところです』って言わなくちゃ。
もし一時間も自分が待ってたなんて知ったら、気を使っちゃうかもしれない。
そんなことになったら早く来た意味が無くなっちゃう。
「……そうだよね。渚さまが来られたら、自分も今来たところですってふうに……」
「あら洸夜。こんにちは。あなたも早いのね」
「えっ?」
思わず声が詰まる。
いきなり渚さまが、後ろから声をかけてきたからだ。
でも、まだ時間は十一時になったばかり。僕が着いてから時間は五分しか経ってない。
それなのにどうして?
「あなたも早いのね。待ち合わせは十二時の約束でしょ」
「……っ!はい。もし遅れてお待たせになったら大変と思いまして。でも渚さまはどうして?待ち合わせは十二時なのに」
驚きで頭が真っ白になりつつあったけど、渚さまの言葉でようやく落ち着いた。
それでようやく僕の気になっていた事も聞けた。
「わたくしがあなたを誘ったのよ。だから誘った以上、遅れないように早め早めの行動を心がけるのは礼儀。そんなことも考えられないほど私が礼儀知らずと洸夜は思っているのかしら」
「いえ。でも、一時間も早く来るのは……」
「もう、しつこいわよ。それに……少しでも早くあなたに会いたかった。それじゃだめかしら」
「えっ!?」
渚さまの言葉に返す言葉が見つからない。
ただ僕は、自分の顔が紅く染まり、そして締まりの無い顔になっていくのが止められなかった。
でも、渚さまがそう言ってくれた瞬間。僕は確かに感じ取った。
渚さまの顔も僕と同じように、かすかに紅くなっていたことを。
渚さまも僕と同じことを考えていたんだ。
駄目だ。
そんな事を考えると益々顔がにやけちゃう。
「なに洸夜?にやけるのお止めなさい。みっともないわよ」
「はっ、はい!」
でも渚さま。渚さまも顔の赤みが消えていませんよ。
心に思った言葉は飲み込んで、渚さまの為にも頑張って心を落ち着けて、顔を引き締める。
それから五分ぐらい経ったのかな。
何とか僕は表情を落ち着ける。
渚さまはもうすっかり元通りだ。
「それで渚さま。今日は一体?」
「そうね。予定より早いけど、とりあえず映画でも見ましょう」
「えっ!?」
ようやく落ち着いて聞いてみたけど、すごく驚いた。
だって二人っきりで映画なんて……。
そんなのまるでデートみたい。
「洸夜!早く来なさい。遅れると上演時間に間に合わないわよ」
「はいっ!ごめんなさい」
だけど……いいよね。
せっかく渚さまが誘ってくれたんだから。
今日は先の事は考えないで渚さまと楽しまないと。
僕は特技披露とかの悩みを一度頭の外に振り払い、渚さまを見つめる。
渚さまは足が速いから、少し油断したらすぐに見失いそう。
だから、ほんの少しだけ小走りで急いで追い付く。
そしてしばらく歩くと映画館に着く。
「渚さま。いったい何の映画を見るんですか?」
僕は気になって渚さまに訪ねる。すると渚さまを看板を一つ指さす。
「あれよ。でも洸夜が嫌なら別のに変えてもいいわよ」
渚さまの綺麗な指の先にあったのは、純愛物のフランス映画だった。
渚さまのイメージに合うように僕は感じた。
「いえ。これは僕も前から見たいと思っていたんです」
「そう、よかったわ。もうチケットは買ってあるから入りましょう。後十分ぐらいで始まるわよ」
僕はすぐに肯定の返事をし、渚さまはそれを聞くと笑顔で返事を返してくれる。
そしてそのまま僕と渚さまは映画館の中へと入っていく。
映画館の中は人が混んでいたけど、指定座席だから座ったら気にならないはずだ。
「渚さま。僕たちの席はどこですか?」
「ちょっと待ちなさい。えっと………あそこね。ついて来なさい」
渚さまはしばしチケットとにらめっこをするけど、すぐに見つけてくれる。
僕は渚さまの後ろを歩いて、すぐに席は見つかる。
場所は大体真ん中に近い位置。渚さまの右隣に僕は座る。
そしてしばらくすると辺りが暗くなっていく。
よく考えると僕と渚さまは今、隣同士に座っている。それも暗がりの中で。
なんだか考えてみれば凄いことかも。
……だめだ。なんだか胸の鼓動が早まってくるのを感じちゃう。
「ねえ、洸夜」
「はっ、はひっ!」
不意に声をかけられて、僕は心臓が止まりそうだった。
それになんだか返事もおかしいかも。滑舌が悪くなってる?
「もう洸夜ったら。そんなに緊張しないでもいいじゃない」
「すっ、すみません。ちょっと緊張しちゃって」
「緊張?」
「はい……渚さまと一緒に映画なんて……」
そうだよ。
今までは生徒会室で純香さまや雪美さんがいたけど、今は二人っきり。
これで緊張しないほうがおかしいよ。
「そう……ふふ」
「どうして笑うんですか?」
「いえね。あなたが私と同じ事考えてたなんて」
「えっ?」
僕は思わず問いかけた時に返された返事。
それは意外過ぎた。
だって渚さまが僕と一緒に映画を見るだけで緊張してるなんて。
いつも余裕な風に見えるのにどうして?
「不思議そうな顔ね。わたくしが緊張してしまうことがそんなに意外?」
渚さまは逆に僕に問いかけてきた。
でも答えなんて決まってる。
だって、渚さまが僕と同じように胸の鼓動が早まってるなんて、想像出来ないもん。
「はい。渚さまはいつも余裕があるように見えましたから」
僕は思ったことを正直に伝えた。
すると、渚さまは少しだけ微笑んだ。
「あらそう。でもわたくしだってとてもドキドキしてたのよ。洸夜と二人で映画に行くんですから。知り合ってから二人っきりで休日を一緒に過ごすなんて初めてなのよ。それでドキドキしないなんておかしいでしょ。だから昨日も何回もシュミレーションしたのよ。それに実際に電話をかける時も、何度も止めようと思いとどまったわ。もし断られたらなんて考えたら、電話を持つ手が震えてしまって……」
「そんな!僕が渚さまのお誘いを断るなんてありませんよ」
思わず渚さまに自分の想いを伝える。
だって僕が渚さまの誘いを断るなんて想像も出来ないから。
「僕は渚さまのお誘いなら絶対にお受けしますよ。だから、そんなことで気苦労なさる必要は全くありません」
そうはっきりと伝えた。
だって、これは絶対に変わらない僕の気持ち。
「うふ。ありがとう。渚は優しいのね」
「いえ。そんなこと……」
「でも嬉しいわ。ありがとう」
「渚さま……」
僕は続きを話そうとしたけど、その時にブザーが鳴った。
どうやら予告編が終わって、いよいよ映画が始まるようだった。
「洸夜」
渚さまは僕の口を人差し指で優しく押さえた。
どうやら、上映中は静かにという合図のようだった。
僕も黙って頷いて、スクリーンの方に視線を向けた。
スクリーンではプロローグが始まろうとしていた。
映画自体はオーソドックスな若い男女の恋物語で進んでいる。
作品としては、音楽と映像が綺麗にマッチしていて、芸術的な印象は受ける。
けど、とてもじゃないけど、僕は落ち着いて映画を楽しむ余裕は無かった。
だって、隣には渚さまがいるんだ。
ドキドキはとても治まる気配は無い。
だけど、後で渚さまに映画の感想を聞かれて答えられないと困るし、何とか内容は頭に入れるように頑張らないと。
ちらっと隣を見ると、渚さまは映画に見入っているようだった。
ちょうど場面はクライマックスの主人公とヒロインが公園の噴水の前でキスをしようというところだ。
そして、そのまま映画は特に大きな波が起こるでもなく、あっさりと終わってしまう。
上映が終わってゆっくりと立ち上がると、渚さまもほとんど同じタイミングで立ち上がる。
「どうだった?洸夜は気に入ったかしら?」
映画館を出ると、渚さまは不意に僕に感想を求める。
どうしよう。
一応ストーリー自体は覚えてるけど、感想と言われても。
特に山場も無かったし、感想というものは特に無い。
強いて言えば、単調な感じがして、音楽が綺麗なところしか見所は無かった。
だけど、それをそのまま口に出して言ってしまっていいのかな?
この映画は渚さまが僕を誘ってくれた映画。
それに、初めて誘ったんだから渚さまからすれば、自信を持って推薦した一作に違いない。
それをばっさりと切り捨てると、何だか渚さまを否定してしまうような気になってしまう。
でも、かといって面白かったなんて思ってないことを言うのはいいのかな。
第一、渚さまも単純に見たかったから僕をついでに誘っただけの可能性もある。
そうだと、渚さまも本心では失敗しちゃったみたいに思ってるかも。
それなら、面白いです。なんていうのは僕の感性が疑われるだけかもしれない。
ここは……とりあえず適当にお茶を濁す方が良いのかな。
「……はい。まあまあ……です。音楽は特に綺麗な印象を受けましたが」
「そう。わたくしと同じような感想なのね。監督がわたくしのお気に入りだから、楽しみにしていたのだけれど。少し全体の盛り上がりに欠けるように感じられたわ」
良かった。
変に嘘をつかないで。
渚さまも僕と同じようなことを感じてたんだ。
「ところで洸夜。お昼はどうかしら?」
「えっ?お昼ですか」
「ええ。まさか映画だけ見たらそれでさようならと思っていたの?わたくしはそんなつもりはなかったのだけど」
「いえ!お腹空いてます。よろしくお願いします」
いけない。変に強く言っちゃった。
だって急だったし。
がつがつした子だと思われたかな?もしそうだったらどうしよう。
思わず少しだけ、渚さまの様子を伺う。
すると渚さまは微笑を浮かべて、僕に微笑んでくれる。
「そう。なら行きましょう。とても美味しいお店知ってるのよ」
「はい。お願い……します」
あっさりと流してくれる。
僕が緊張してるの察してくれたのかな?
だけど、僕がボーっとしてるとすぐに渚さまは先に行っちゃう。
僕はあわてて小走りで追いかける。
だけど、追いつくと渚さまは一度立ち止まる。
「洸夜。はしたないわよ」
「えっ?だって……」
渚さまの言葉に答えようとするけど、それは阻まれた。
「こうすれば大丈夫でしょ」
「あっ」
だって手を握られたから。
僕の手を優しく包む渚さまの手は、大きくて暖かかった。
僕はそのまま渚さまと手をつなぎながら、渚さまのお勧めの飲食店まで一緒に歩くことになる。
その時、思わず僕は願ってしまった。
出来るのなら、この時間が永遠に続きますようにって。
だけど、その幸せな時間はあっという間に終わってしまう。
目的の場所に着いたから。
「洸夜。着いたわよ」
「はい。ここですか」
「ええ。ここのパスタはとても美味しいのよ」
「そうなんですか?楽しみです」
だけど、これはこれですごく楽しみかも。
渚さまのお勧めなんだから、美味しくないなんて事は無い。
きっととても美味しいに違いない。
「それじゃ入りましょう。渚さま」
「ええ。でも……洸夜」
あれ?どうしたんだろ?
なんで渚さまの顔が紅いの?
「どうしました?渚さま」
思わず心配になって顔を近づけようとする。
だけど、すると渚さまはそれをそっと静止する。
そして視線を手に向ける。
「洸夜。手」
「えっ?………あっ!」
しばらく沈黙するけどすぐにそれが何か気づく。
ここに着いてからもずっと渚さまの手を握りっぱなしだった。
「すいませんっ」
慌てて手を放す。
何だか気まずい空気になってない?
少しだけ心配してしまう。
「では洸夜。入りましょうか」
「えっ?あっ、はい」
けど、渚さまは特に気にすることは無いように、扉を開ける。
だから、僕もそのまま渚さまと一緒に中に入る。
中に入ると、そこはとても御洒落だった。
外観も、普通のお店よりは綺麗だったけど、内装はそれ以上だ。
インテリアのセンスもとても良くて、西洋のお城をイメージしてるようなとても繊細な創りになっている。
流れているクラシックの音楽も、この場の空気に程よく馴染んでいた。
「ほら洸夜。早く座りなさい」
「はっ、はい。すいません」
内装に見とれていると、渚さまが僕に注意をし、僕はすぐに渚さまの向かいに座る。
席は店の内側なので、眩しい日差しはあまり当たらず、店内の照明が僕と渚さまを照らしていた。
「雰囲気が良いお店ですね」
「当たり前でしょう。私から洸夜を誘ったんだから、ガッカリさせるような真似はしないわ」
そういう渚さまの顔は笑顔だった。
その渚さまの顔を見てると、僕も自然に笑みがこぼれてしまう。
するとふと渚さまと目が合う。
「どうしたの洸夜?」
「あっ……なんでもありません」
思わず目を背けてしまう。見つめすぎてたせいだ。
少し恥ずかしいかも。
「うふふ、変な洸夜」
だけど、渚さまは特に意に介した様子は無いみたい。
そこに、ウエイターの人がお水とメニューを持っていやってきた。
ごゆっくりとだけ言うと、ウエイターは去っていく。
変な緊張でのどが渇いていたので、僕はすぐに水を飲む。
けど急いだせいか、少しむせてしまう。
「ちょっと大丈夫?」
渚さまはそんな僕に心配してくれる。
「大丈夫……です」
「少し落ち着いた方がいいわよ」
駄目だ。何だか空回りしてる。
一度肩の力を抜いて、心を落ち着かせないと。
「……ふう」
軽く深呼吸して、何とか落ち着く。すると渚さまが僕にメニューを渡してくれる。
「メニューよ。急がないでゆっくり決めたらいいのよ」
「はい」
僕はメニューを開く。
渚さまがパスタが美味しいと言ってただけあって、メニューも豊富だ。
だけど逆にメニューが多すぎて、どれを選んでいいのか判断に迷う。
「……渚さまのお勧めはなんでしょうか?」
お勧めを聞いてみる。
こういう時はある程度範囲を狭めた方はよりよい選択が出来そうだ。
「そうね。わたくしの好みだと、トマトソースがお勧めかしら。クリームソースのも美味しいけど、トマトの方がさっぱりしていていいわよ」
「トマトソースですか」
僕はトマトソースのメニューを見てみる。
すると、メニューは十品目程度だった。
少し迷ったけど、トマトとチョリソの物を選ぶ。
渚さまは最初から決めていたようで、バジルとトマトの混じったものを選んだ。
渚さまはすぐにウエイターを呼び注文をする。
そして、ウエイターが調理場のほうへ向かうと、渚さまが僕に話しかける。
「ところで洸夜。特技披露の出し物は決まったの?」
「いえ。実はまだ」
あまり聞きたくない、だけど確実にやらないといけない事だ。
「そう」
「すいません。実はまだどうすればいいのか……」
「そんなに気にすることは無いわよ。気負わないで、リラックスして考えればいいのだから」
「渚さま……」
渚さまの優しさは嬉しい。
だけど、本当にどうしたらいいんだろう。
「それで洸夜は何か特技はあるの?」
「……いえ。特には……」
「それなら趣味は?趣味ぐらいあるでしょう」
水を飲みながら渚さまは僕に問いかける。
だけど、趣味は……えーと……そうだ。あれなら
「実は……ヴァイオリンなら少々出来ます」
僕は頭に思い浮かんだことを口にした。
小さい頃から習っているし、僕自身も弾くのが大好きだ。
「ヴァイオリンね。私も好きよ。洸夜の演奏。今度聴かせてくれないかしら」
「えっ、でも……」
渚さまの期待にこたえられる自信は無い。
だから思わず言葉を濁してしまう。
「大丈夫よ。それに洸夜の演奏ならぜひとも聴いてみたいわ、明日にでも聴かせてくださらない?」
「ですけど……」
「約束よ。失敗しても気にしないから悩んだりしたら駄目よ」
「………はい」
結局渚さまの勢いには勝てず、僕も了承する。
僕の返答を聞き、渚さまの表情も笑顔が見えた。
その笑顔を見ると、正直言って僕も何だかやる気が出てくるような気がする。
緊張もあるけど、それよりも渚さまの笑顔のためならという気持ちの方が僕の中で勝っているからなんだろう。
僕も一息つけるように水を飲む。
するとタイミングよく僕と渚さまの注文したパスタが届いた。
そのパスタは、渚さまがお勧めしただけあって、とても美味しかった。
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