第三章 初陣①

 ソフィーが目覚めると、かんばしいにおいが漂ってきた。ひそひそと、話し声が聞こえる。他のワルキューレが天幕にもどってきて、朝食を取っているのだろうと、ぼんやりとした頭で考えて起き上がった。

「おはよう、ソフィー」

 ローネも今起きたところらしく、眠たそうな目をしながらかみを高い位置で一つにっていた。

「おはようございます、ローネさん」

 あいさつを返し、ソフィーは手早く寝間着から軍服にえた。ワルキューレの軍服は、兵士や将校とおそろいのロングコートだが、男性のものより腰のあたりがきゅっとまっている。さらさらとしたのワンピースを着こんだ後、そのコートを身にまとう。くつも、支給されたブーツをく。

 天幕の真ん中あたりに置いてある姿見の前が空いていたので、ソフィーはそっと近付いてその身を映した。

(あれ、結構かわいい……?)

 うすあおいコートも、その下からちらりとのぞくワンピースも、思った以上に洗練されて見えた。

 たくを終えた後、天幕で朝食を取りながら、ソフィーはローネからくわしい話を聞いていた。

 どうして戦争をしているのか、と質問するとローネはおどろきながらも色々教えてくれたのだ。ソフィーは、レンマールの国民でありながら、この国がどうして戦争しているかすら知らなかった無知さを恥じた。

 火種になっているのは、セズという土地。元々レンマールの土地だが、シュオム人がたくさん住み着いていた土地でもあった。シュオム人は独立を宣言したが、レンマールは当然これを認めない。しばらくその状態が続いていたが、ある日セズは武装ほうした。シュオム王国がひそかに、軍事的なえんを送っていたと知り、レンマール国王はげきこうした。

 シュオム王国は、元来この土地はシュオムの領土であるはずで、そこをレンマールが以前、武力でうばっただけであり──どうほうを支援するのは当たり前だと主張した。そうして、レンマールはセズを取り返すため、宣戦布告して戦争にみ切った。本来なら、長引くはずのない戦争だった。レンマールは武力的にも、経済的にも、シュオムを上回る。国力は段違いのはずだった。

 されど、シュオム王国は勝算があったからここまで強気に出たのだと、レンマールが気付いたのは開戦後のことである。死神という見えない敵に、兵士たちはいともたやすくざんさつされた。レンマールのほこる戦士は次々と死んでいき、今では農民からもちようへいせざるをえない有様だ。

 たいこう策として魔術師がどうにかワルキューレを完成させたものの、死神に比べてワルキューレは殺されやすい。ワルキューレの数も不足しているのが現状だった。

 死神は兵士からの剣を受けないのに、兵士たちをほふかまを持つ。ワルキューレは兵士からのこうげきを受けるし、死神からも攻撃を受けてしまう。ワルキューレが兵士たちによっても殺されてしまうのに対し、死神はワルキューレの矢によってしか消えないのだ。

 ぱさついたパンをしやくしながら、ソフィーは眉を寄せる。

 思った以上に、レンマールのせんきようは悪いようだ。

「あの……このまま負けたら、どうなるんです?」

 この発言に、天幕内の空気がこおる。気付いた時にはもうおそい。ワルキューレたちは、一様にソフィーをにらみつけていた。

 ゆいいつ変わらないのは、ローネだ。

「まあまあ、みんな。そうおこらずに。新人さんだよ。それに──もしもを想定するのは、悪いことじゃないさ」

 かろやかにローネが言っても、さる視線は消えない。だがローネは気にせず、たいぜんとして口を開く。

「シュオムはあわよくば、レンマール全土を属国にしたいんじゃないかな。ここでどこまで踏みとどまれるか、だ」

「属国……」

「おえらがたは、油断しすぎてたんだね。シュオムを小国だと思ってさ。とにかく、負けないようにあたしもあんたも頑張るんだよ。初日だからきんちようすると思うけど、将軍の指示をしっかり聞いて。イェンス様はあの若さで将軍になっただけあって本当に強いから、必ずあんたを兵士から守ってくれる。死神だけ気にしておけばいいよ」

「そんなに、強いのですか……」

「ああ。戦いぶりを見ればわかる。それに何でも、十六歳ぐらいから国しゆさいの剣術大会で連続優勝してるんだとさ」

 そんなに、とソフィーは思わず息をんだ。

「話がれちまったね。とにかく戦場では手伝えないけど、それまでなら何でもあたしに聞いておくれよ」

「……はい。ありがとうございます」

 ローネに礼を言ってから、ソフィーはパンを置いて立ち上がった。

みなさん、失礼なことを言ってすみませんでした。改めて、よろしくお願いします」

 他のワルキューレたちに一礼すると、気まずそうな視線が返ってきた。

 少し気が楽になって、ソフィーは再び座り、温かなスープを口に運んだ。

 朝食を終えたところで、集合の声がかかる。

「シュオムは今日も朝から攻撃してくるだろう。総員配置につけ!」

 よく通る声で、イェンスは皆に指示を出す。

 どうしたものかとまごまごしていたところ、すぐにローネが気付いてくれた。

「ソフィー。あんたは将軍のところに行って。早く」

「はい!」

 イェンスに走り寄ると、彼は軽くうなずいた。

「昨日言ったように、無理に前に出すぎるな。初戦だ。生き残ることを考えろ」

「……は、はい」

 声がふるえてしまう。情けなくて、ソフィーはくちびるんだ。

 かつては弓矢などの飛び道具もいくさで使われていたらしいが、魔術結界のおかげで飛び道具の攻撃は受けなくなった。それは各国同じなので、いつしか飛び道具は使われなくなっていったのだという。そのため、飛び道具の心配はしなくていいと言われていた。さらに、このあたりの地方では馬が貴重なので戦争では使われない。へいが出てくることはないので、り込んでくることがあっても歩兵だけだという。

 と、昨日ローネから聞いたことを思い出しながら、ソフィーは深呼吸をり返した。

 兵士たちは基地の前に整列した。一小隊に、一ワルキューレ。その整然とした並び方を見て感心し、イェンスの横顔をあおぐ。

「残念ながら、われらは死神に対して防戦一方だ。めて出るゆうはない。……来るぞ」

 ひゅお、とおんな風の音が聞こえる。

 ソフィーは空を仰ぎ、がくぜんとした。

 死神は空を飛び、いつせいい降りてレンマール軍におそいかかろうとした。彼らに向けて、せいじような光の矢が射られる。何体かは、光の矢によってしようめつした。

 ソフィーも、ハッとして弓矢をしようかんし、矢をつがえる。

(当たって!)

 願いはむなしく、矢は外れてくうに消えた。

もどって!」

 あせってるようにさけぶと、矢が手元に戻る。そしてソフィーは、イェンスを取り囲むように死神があふれていることに気付いた。

 彼らは皆、イェンスをねらっているのだ。

 イェンスは見えないはずなのに、器用に死神の攻撃をかわし、前に進んでいった。

 彼の背を追うソフィーの眼前に、はくじんが現れる。シュオムの兵士がいつの間にか、入り込んでいる。

 イェンスは慣れた動作でソフィーと敵兵の間に割って入り、飛びかかってくるシュオム兵とけんを打ち合わせ、何度も兵士を斬りつけて仕留めていた。


◆◆◆◆◆◆◆


 兵士たちが、ワルキューレが仕留めそこねた死神に屠られていく。兵士が剣をるっても、死神をすりけてしまい、その間に鎌を振るわれて殺されるのだ。ローネから聞いた話だが、死神の持っている武器はじゆつで構築されているとおぼしき、不可思議なしろものらしい。実体のない死神にも持てるのに、実体に攻撃は通すことができるという。

 断末魔の悲鳴がひびわたり、血のにおいが鼻をつく。あしもとには死体が転がっている。

 弓矢に集中するどころではなかった。初めての戦場のせいさんな光景に、ソフィーはすっかり吞まれてしまっていた。

 必死にイェンスを追い、死神を見つけては矢を放つのだが、全く当たらなかった。

「イェンス様!」

 ワルキューレもなしで、シュオムの兵士と斬り結ぶ彼はだいじようなのか。

 どくどくどく、と心臓がはやがねを打つ。

 このままでは、将軍がやられてしまう。彼を死神から守る役目のソフィーが、全く役に立てていないから。

だれか! イェンス様を守って!」

 叫ぶと、周りの空気が変わった。近くにいたらしい、ワルキューレが走ってくる。

「いらぬ! 元の場に戻れ!」

 イェンスが叫び、また死神の攻撃をける。

「ソフィー、基地に戻っていろ! じやだ!」

 イェンスの言葉に、血の気が引く。

「ソフィー、言われた通りにしな!」

 ローネにまで追い打ちをかけられて、ソフィーはよろよろとした足取りでその場をはなれる。

 ワルキューレは光の矢で死神を射続ける。将校と兵士はワルキューレを守るため、シュオム兵と必死に斬り合っている。みんな、けんめいに戦っている。……ソフィーを除いて。

 幸い攻撃を受けることもなく、戦線の後方へと移動する。後方でえん部隊の一員としてひかえていたニルスがちゆうでソフィーに気付き、基地まで先導してくれた。

 何も役に立てないばかりか、周りにめいわくをかけてしまった。

 ソフィーのういじんは、こうして苦い形で終わった。


    ◆◆◆◆◆◆◆


 天幕の中で、ソフィーは座ってじっとしていた。

 どのくらい、そうしていただろう。物音に気付いて顔を上げると、ローネやほかのワルキューレが帰ってきていた。

 ローネ以外のワルキューレが冷ややかにこちらを見ていることに気付いて、ソフィーは身をすくめた。

「ソフィー、ちょっと外で話そう」

 ローネにうながされ、ソフィーは小さく頷き立ち上がった。

 天幕の外に出たたん、ローネはおおぎようにため息をついた。

「落ち込んでいるようだね」

「……邪魔って、言われましたから」

「──厳しいことを言うようだけど、将軍は正しいんだよ」

「正しい?」

 どこかに、ローネはかばってくれるのではという気持ちがあったらしい。失望に、口元が下がりそうになる。

「あんたは、将軍を誰か守ってくれと叫んだだろう。それはだめだ。他のワルキューレも、自分の担当小隊守るのにいつぱいで、必死なんだ。でも、将軍付きであるあんたがそう言えば、将軍のところに行くべきかと思うだろう」

 ローネの説明は、理路整然としていた。

「……はい」

「あたしは言ったはずだよ。将軍の指示を聞きなさいって」

 そう。イェンスは言った。感じ取れるから、イェンスは死神のこうげきをかわせると。だから無理せず、前に出すぎないようにと。

 イェンスが言ったのは、それだけだ。勝手に助けを呼び、戦列を乱したとあってはソフィーがそしられるのも当然だろう。

 ソフィーは、文字通り『邪魔』だったのだ。

 ぐす、と声がれた。次いで、なみだが溢れてくる。

「あー、泣くんじゃないよソフィー。次からは気を付けなさい。幸い、あんたは今回無事だったんだし」

「……私、全然死神に矢を当てられなくて──」

 ほおが冷たい。手のこうぬぐっても、止めなく涙がほろほろと落ちてしまう。

「仕方ない仕方ない。最初はみんな、そんなもんさ。来たばかりで戦に出すのは危険だから、昔はもっと練習してからだったんだけどさ。今はとにかくワルキューレが足りないから、さつそく戦線に出ないといけないんだ。これからも、練習にはあたしも付き合うからさ」

「ローネさん……ありがとうございます……。私、初めての戦場がこわかったんです」

「誰だって、そうだよ。あんただけがおくびようなわけじゃない」

 ぽつりとつぶやくと、ローネはソフィーの手をにぎってくれた。

「目の前で、どんどん兵士もワルキューレも死んでいって……。十割死ぬ、っていうのは大げさなうわさだって、ニルス様が言っていたのに」

「残念だけどね。十割死ぬというのも、あながちうそじゃない。生き残る確率は、かなり低いんだ。かくを決めな、ソフィー。あんたはもうワルキューレで、戦力として期待されてるんだよ。いつまでもおびえていたら、命の危険が増すだけだ」

 ローネはソフィーの不安に理解を示しながらも、たんたんさとした。

「でも、今回は初戦なんだし仕方ない。落ち込みすぎても、だめだよ。今日はしっかり休んで、明日に備えよう」

「はい……。私、イェンス様に謝らないと──」

「今はいそがしいと思うから、夕食後に天幕に行くといい。さ、寒いから中に入ろうね」

 ローネはソフィーのかたき、天幕の中へといざなった。

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死に挑むワルキューレ 紡がれし運命のサーガ 青川志帆/角川ビーンズ文庫 @beans

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