第二章 冷厳な将軍
目的地の戦場に着くまで、
馬車から降りたソフィーは、
前を行くニルスに続き、ソフィーはさくさくと雪を
レンマール軍の野営地には、どこか
「──ここだ、ソフィー」
ニルスは、
「将軍。連れてきました」
一声かけてから、彼はソフィーを
「どうぞ、先に入って」
「はい……」
ソフィーは天幕の中に入った。中は、さすがに暖かい。温められた空気を吸ってホッとしながら、ソフィーは目の前で
彼は、厳しい視線でソフィーをねめつける。
彼が──レンマール王国軍将軍、イェンス・ベルンハルド。
平民が兵士になることもできるが、将校になるには貴族の血統が必要だ。将軍まで上り
「……新しい、ワルキューレか」
将軍はゆっくりと立ち上がった。ソフィーは、目を見開く。思っていた以上に背が高い。
「はい。将軍付きのワルキューレを、一刻も早く連れてくるために急ぎました。しかも、彼女は今までのワルキューレとは違います。魔術師が、彼女は
ニルスの言葉に、イェンスは
「私に専属ワルキューレは
「あのね、イェンス様。これまではたまたま、あなたは死神の攻撃をかわしていましたが、危険すぎます。あなたはレンマール軍の頭なのだから、専属ワルキューレを付けるのは当たり前です。死んでもらっては困るんですよ」
ニルスは、堂々とイェンスにまくしたてている。
「たまたま、ではない。私は死神の気配を感知できるんだ」
「はいはい。でも、見えるわけではないでしょう。とにかく、新しいワルキューレと親交を深めてください。それでは、
ニルスは再びまくしたてると、さっさと天幕から出ていってしまった。後には、途方にくれたソフィーと、難しい表情のイェンスが残される。
「私、頑張ります。よろしくお願いします」
無難な
顔を上げ、「ソフィー・ヤンセンです」と名乗ると、イェンスは手を差し出した。
「
ソフィーはどう答えていいものやら、と思案しながら彼の手を
初対面なのに、
「失礼します、将軍。
ニルスは、魔術師を
「あの……一体、何をするのですか……?」
「戦士とワルキューレは、守り守られの関係になる。戦士は敵の戦士からワルキューレを守り、ワルキューレは死神から戦士を守る。
イェンスから説明を受けて、ソフィーは眉をひそめた。
「彼女はソフィーだ」
「
魔術師はイェンスにソフィーの名前を聞いてから、ソフィーに
「互いの名前の
ソフィーの手を放し、次いで魔術師はイェンスの右手を取って。先ほどと同様にルーン文字を刻んでいく。
そして魔術師は、ソフィーの耳に
ソフィーが
「私は
その様に見とれていると、ニルスに「ソフィーさんも」と
「わ、私は光の矢をもって、私の戦士を守る!」
言葉がつかえてしまった上に大声になったのが
「新しい戦士とワルキューレの
魔術師の宣言と共に、儀式は終わった。次いで、彼はソフィーに向かって説明を始めた。
「互いの手の甲に、頭文字のルーン文字を刻む。これを、戦士とワルキューレの絆の儀式と呼びます。この文字は互いの
◆◆◆◆◆◆◆
説明を聞き、ソフィーは眉をひそめた。片方が死ぬと発動する魔術。聞いても、実感が
「一日一回、この文字同士を
魔術師は一礼し、ニルスと共に天幕から出ていった。
ソフィーは右手の甲に刻まれたばかりの文字をまじまじと見下ろした後、イェンスを見たが、彼は既に机に広げてある地図を
(
不安でたまらなくなって、ソフィーは左手でルーン文字を覆った。
そのままソフィーが所在なく
おずおずとイェンスの座っていた椅子に座り、天幕の中を
絨毯を
ふとソフィーは、ベッドが二つあることに気付く。一方は大きなベッド。その反対側にあるのが、小さめのベッドだった。
(将軍以外にも、
そう考えた時、天幕の中に誰かが入ってきた。イェンスではなく、ニルスだ。
「やあ、ソフィー。将軍はしばらく
「は、はい!」
ソフィーは勢いよく立ち上がり、ニルスと共に天幕を出た。
ニルスが案内してくれたのは、大きな天幕だった。
「ここが、ワルキューレの住まいだ。中に、ローネという女性がいる。彼女はワルキューレになって長いから、指導役にぴったりだ。彼女に、色々教えてもらって」
「はい、ありがとうございます」
「いえいえ。では、私も用事があるからまたね」
ニルスはソフィーに笑いかけ、立ち去った。
彼の背を見送ってから、ソフィーは「失礼します」と断って入り口の布を
「……おや。あんたが、新入りかい」
中で、床の上にしどけなく座っていた女性が、立ち上がる。天幕の中にはベッドがたくさんあったが、ここにいるのは彼女ひとりだけのようだった。
「はじめまして、ソフィーです」
「ソフィーね。あたしはローネだ。よろしくね」
ふたりは名乗り合い、
ソフィーはまじまじと、目の前の女性を見やった。
いまいち
「ワルキューレの力の使い方を教えるよ。外に出ようか」
はい、と頷いてローネの背を追う。ふたりは野営地の中の広場に向かった。剣の
「
気になって尋ねると、ローネは
「さあ。いちゃついてるんじゃない?」
いちゃついてる? と反復したが、ローネはそれを聞き流して、ソフィーに向き直る。
「ワルキューレはね、弓矢で戦うんだ」
「ワルキューレなのに、弓矢で?」
「ん? ああ、そうそう。神話や伝説に出てくるワルキューレは、
「そうなんですか……」
「うん。それに、槍より弓のが
ローネはそれ以上は知らない、とばかりに肩をすくめていた。
「ま、あたしたちは神話のワルキューレじゃない。言い方は悪いけど、人造のワルキューレだからね」
人造、と言いながらもローネの言葉に皮肉は
「弓と矢の出し方は──ええと、手首に力を入れて願うんだ。この、あたしたちの手首に
「……戦の力を、我に」
ソフィーは両手を掲げ、唱えた。ぐっと両手に力をこめる。すると──
「お、
説明を聞いて、ソフィーは何度も頷く。通常の弓矢と違うようだが、ソフィーは今まで弓矢など
「でも、コントロールが必要だからね。あそこに練習場があるから、練習するといい。その弓矢は使えば使うほど、気力を
ローネが示した先には、立てられた丸太がいくつも並んでいた。ソフィーは歩き、丸太に近付く。
「そんな近付いたら、練習にならないよ。もっと遠くから」
「……は、はい」
恥ずかしさに頬を赤らめながら、ソフィーは
「……外しました」
「最初は仕方ないよ! まあまあ、何度か射てみな。今日はここに来たばかりで
ローネに
まじまじと矢を見つめるソフィーに気付いたのか、ローネはからからと笑う。
「
なるほど、と頷いてソフィーはまた矢をつがえた。
ローネの助言通り、十回矢を射た。しかし、当たったのは一回だけ。しかもギリギリ刺さった、ぐらいのきわどいものだった。
最初でそれなら上出来、とローネは慰めてくれたが、ソフィーの気は晴れなかった。
「そろそろ帰ろうか」
ローネに
歩いている最中、兵士とすれ違った。
彼らは皆、
この魔術技術は当初、レンマールが他国を
ニルスは馬車の中で、「死神の
つらつら考え、ソフィーは
(まさか私が、将軍付きになるなんて)
レンマール軍を預かる、総司令官。彼を守る役割──それは、
「ソフィー。夕飯が始まったようだよ。食事もらってから、天幕に戻ろう」
ローネの声で我に返り、ソフィーは小さく
ソフィーとローネが天幕に戻ると、
「おや、みんな戻ったかい。この子が新入りのソフィーだよ。みんな、よろしくね」
ローネに
どうも、よろしく、と口々に言うのが聞こえる。
ソフィーとローネは入り口付近の
他のワルキューレたちは、時々話して笑っていた。女所帯にしては静かな方なのだろう。
「あんたも、輪に入りたいなら入るといいよ」
ローネにあっけらかんと言われ、ソフィーは
「ローネさんは?」
「あたしは……あんまり、よく思われてないからね」
ローネが声をひそめたので、ソフィーは首を
「──まあ、先に話しとくか。どうせ他の子が言うだろうからね。あたしは、元
ローネは
驚いて、ソフィーは目をまたたかせる。どう答えれば彼女を傷つけないかと言葉を
「あーごめんね。困らせちゃったか。……いいんだよ、別に。あたしはひとりでも平気な
「いえ、私は──ここが、いいです」
ソフィーは小さく、だが、はっきりと主張した。
「そうかい……。ありがとね」
「いえ──。あの、どうしてワルキューレに? 志願ですか?」
「ん? うん。仕事に疲れてた時に、
ローネは器を置いて、ふうっと息をつく。
「死んでも
どう答えていいかわからず、ソフィーはそっと温かいスープを口に
「あんたは、どうしてワルキューレに?」
ローネに問われ、ソフィーは弟の薬のために金が必要だったのだと語った。
「みんな、色々事情があるようだねえ。最初の方は、
そういえば、と町の広場で声をからしてワルキューレを集めていた人たちを思い出す。
「ニルス様も、大変そうでした」
「ああ、ニルス様か。招集係は、大変だ。あんた連れてきたから、また町に行くんだろうね」
ローネは心底気の毒そうに、
ソフィーがゆっくりパンを千切って口に運んでいると、ローネの背後をワルキューレたちが通り過ぎて天幕の外に出ていった。気が付けば、ローネとソフィー以外
少し
「みんな、どこに行ったんです?」
ソフィーの質問に、ローネは
「将校のところだろう」
「え、どうして」
「いいかい、将校はワルキューレと組んで戦う。死と
思わず、「……恋」と反復してしまう。きょとんとしたソフィーの顔がおかしかったのか、ローネは声を立てて笑った。
「まあ、元々はワルキューレは将校が守ってやるべき、って理論で同じ天幕で
ソフィーの前任者。ソフィーに代わったということは、彼女は
(イェンス様は、その子と恋に落ちたのかしら)
だから、代役のように現れたソフィーが気に入らないのだろうか。
考え始めると止められなくなって、ソフィーは軽く首を
「食器を返しにいこうか」
ローネに
「あの、ローネさんは将校のところに行かないんですか?」
「ん? あたしは……あたしは、行かないことにしてる」
横を歩くローネは、少し困った様子で
ソフィーが首を傾げた時、「ローネさん!」と声が飛んできた。
振り向くと、少年がこちらに走ってくる。まだ、十五、六ぐらいだろうか。丸い顔もあいまって、
「ああ、ヨアン様。どうしたんです、息を切らして」
「え、えーと。明日の作戦会議をしたいと思いまして。僕の天幕に、来てください。僕の部下も、待機してますので」
ヨアン、というらしい少年の話を聞きながら、ソフィーは
この口ぶりからすると、彼は将校のようだ。こんなに幼くても将校になれるものなのか、と感心してしまう。
それに、と
◆◆◆◆◆◆◆
「わかりました。食器置いたら、行きますんでね」
「はい、よろしく! ──あ、あなたが新しいワルキューレのソフィーさんですね」
くるりと、ヨアンはソフィーの方を向く。
「よろしく。僕、ヨアンです。イェンス様は気難しいけど
返事もしない内に、ヨアンは急いでいるのか走っていってしまった。戦場にふさわしくないぐらい、明るく快活な少年だ。
ソフィーは、ちらりとローネを見やる。
「……わかるだろ? あたしが天幕に行かない理由。噂になっても、あの子がかわいそうかな、と思って。気を持たせるのも嫌だし」
「でも、ヨアン様はローネさんのこと、好きみたいですね」
「──
ローネが歩き出したので、ソフィーも彼女に続いた。
「あの子は、王族につらなる大貴族──ライネセン家の三男
ローネの表情が、優しさを帯びた。ソフィーもつられて、微笑む。
「それに、あたしは
「釘?」
「そう。
「そんな──」
「仕方ないさ。あの子は三男坊とはいえ、ライネセンの子だ。変な女と付き合われたら、困るのさ」
ローネのついたため息はすぐに白くなり、しばし
◆◆◆◆◆◆◆
「もう将軍も帰ってるだろうし、もう一度天幕に行っておきな。明日の打ち合わせとかも、しとくといい」というローネの助言を受け、ソフィーは再びイェンスの天幕を
「す、すみませーん」
呼びかけると、イェンスではなくニルスがひょっこり中から顔を出した。
「おや、ソフィーさん。ああ、将軍と話が途中でしたっけね。私ももう少し話があるのですが、外は冷えますから、中で待ってください」
はい、と答えてからソフィーはニルスに続いて天幕の中に入り、
「こんばんは、イェンス様。お話しできたら、と思いまして──ニルス様とのお話が済むまで、こちらで待っていてもよろしいでしょうか」
おずおずと申し出ると、イェンスは「では、そこに座っているといい」と小さめのベッドを指さした。有り
暖かさのせいか、
「おい」
イェンスの声で
間近に
「す、すみません。眠って、しまって……」
「気にしなくていい。話があるのだろう。どういう用件だ?」
イェンスは、ソフィーの
「ええと……昼間は、お話が途中になったので──明日のことなど、色々話を聞いておくといい、とローネさんが」
なるほど、と
「ローネに戦い方は教わったか」
「はい」
「明日も
「感じ取れる、のですか……。それは、
「……まあ、そのようなものだ」
「
「まあな──。祖先に
あまり、
「幽霊が見えるほど
そうなんですか、と
ふと、ソフィーはイェンスの横顔をまじまじと見る。
薬をくれた『将軍』はもしかして──彼、なのだろうか。見たところ、二十代半ばぐらいだろう。後半でもおかしくない。彼が今二十代後半で、若くして将軍になったというのなら──十分に有り得る。
どくどくと、心臓が
いつか、お礼を言いたいと思っていた。しかしソフィーに、将軍までの
こうして目が見えるのも、彼のおかげなのかもしれない。
不思議な
「どうした?」
「あの──私のこと、覚えていますか? モルク病で苦しんでいた時、お薬をいただいて……」
「……何の話だ」
イェンスは
え、とソフィーは口をつぐんだ。覚えて、いないのだろうか。貴族階級である彼にとっては、気まぐれに
「すみません。何でもないです」
「……よくわからないが、
イェンスの発言に、深く傷ついてしまう。人違いなはずはない。将軍と呼ばれていた人なのだから。声も、今聞いている声と違わないように思う。
あの時、顔が見えていたら確信できたのに。
ともあれ、彼は八年前の出来事を覚えていないのだろう。傷つく必要はないのに、とても
「あの、イェンス様」
話題を変えようと、ソフィーは口を開く。
「私の前にも、あなた付きのワルキューレはいらっしゃったんですよ……ね?」
「もちろんだ。しかし、君が彼女のことを知る必要はない」
どうして、とソフィーは声にならない
「
「……あり、ません」
「そうか。では、ワルキューレの天幕まで送ろう」
素っ気なく言って、イェンスは立ち上がってしまった。その背は、相変わらずソフィーを
どうして、彼に
すん、と鼻を
隣で
ワルキューレの天幕には
座った、小さめのベッドを思い出す。前任のワルキューレは、あそこで眠っていたのだ。
イェンスはきっと、ソフィーの恩人だ。彼は、覚えていなかったけれど──。
ずっと
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