第一章 銀の髪の少女
あの人がまた現れてくれないだろうか、と
先ほど取り
「ビョルン、
熱に苦しむ幼い弟は、ソフィーの言葉を耳にして
(このままでは、視力を失ってしまう……)
熱が出て二日目だ。あと一日で、熱が引くだろう。それから代わりのように視力がなくなる。
見えなくなってから数日以内に、薬を手に入れなければならないのに、その
ソフィーは、古ぼけた部屋を見回した。
売るものなど、ほとんどない。ソフィーの家は貧しい小作農だ。
あの時、彼が薬をくれなければ、ソフィーは確実に視力を失っていただろう。
「ビョルン……」
十歳を
しかしビョルンは十歳になって
「ソフィー、看病代わるよ。少し休みな」
後ろから母親が声をかけてきた。
ソフィーは頷き、立ち上がる。とっくに日が
「母さん、お金借りれた?」
「……だめだったよ。地主さんとこも、
「──そう」
想定していた答えだったが、ソフィーは深く落ち込んだ。
自分は助かったのに、弟は失明してしまうのかと思うと辛くてたまらなかった。
わかっている。この病にかかれば、裕福でなければ失明してしまう運命なのだと。
ソフィーは幸運だっただけだ。
どうしてお前だけが助かるのか、という
「私、町に行って
編み上げた銀の髪を
「お前の髪を……? でも、せっかくきれいな髪なのに。お前も、大切にしてただろう」
「たかが髪の毛よ。すぐにのびるわ。じゃあ、行ってくる!」
ソフィーは勢いよく家を飛び出し、野を
決断したものの、ソフィーは不安でたまらなかった。いくら
(きっと、足りないわ)
もし足りるなら、母がもっと早くに提案してくれていただろう。
(でも、薬屋さんにすがりついてでも売ってもらわなくちゃ)
熱で呻く弟の姿を思い
◆◆◆◆◆◆◆
「売れないよ」
ようやく
「大体、髪は
店主の言うことは、もっともだった。だからこそソフィーは薬屋に真っ
「でも……お願いです。このままじゃ、弟が失明してしまいます」
「モルク病の薬は高価なんだ。その髪と引き換えに売ってたら、うちの商売あがったりだよ。帰った帰った」
「でも!」
「しつこいな! 売れないものは売れないって言ってるだろ!」
すがりつこうとしたソフィーは店主にカウンター
「体でも売ったらどうだ? それから来いよ」
にやにやと笑われ、ソフィーは
口に手を当てて声をこらえるが、我慢できずに
(ごめんね、ビョルン……あなたを助けてあげられない)
しばらくそのまま
「
見れば、軍服を着た青年が三人立っており、張り紙を
「ワルキューレには、
その一言を聞いて、ソフィーは人をかき分け前に進んだ。最前列に出て、水色の目でまじまじと兵士たちを見つめる。
反応がないことにうんざりしているのか、
「君、興味ある?」
「──ワルキューレって、何をするのですか?」
まさか神話に出てくるワルキューレと同じことをするわけではあるまい、と思いながらソフィーはおずおずと
「なに、戦地で兵士の手伝いをする仕事だよ。だから
兵士の説明に、群衆がざわついた。ひそひそ、と話し声が聞こえたが、何を言っているかまではわからない。
「本当に、高いお給料がもらえるんですか?」
「ああ、それはもう」
「モルク病の薬も買えますか?」
「……いくらぐらいするんだい?」
「千ジーゼルです」
先ほど薬屋の店主から提示された値をそのまま口にすると、兵士はにこやかに笑った。
「余裕で買えるよ」
「本当ですか! それでは、やります!」
「勇気のあるお
急な話に、ソフィーは目を丸くする。
「あの、その前に──薬を買って弟に届けてやりたいんです」
「ああ、わかったよ。それじゃ、先に千ジーゼル
兵士はソフィーに
「ありがとうございます!」
ソフィーは小袋を
「届けたら、ここに
「わかりました!」
ソフィーは足取りも軽く薬屋へ走ろうとしたが、周りを取り囲む人々の視線に気付いて
(どうして、あんな目で見るの……?)
不思議に思いながらも、ソフィーは彼らの視線を無視して駆け出した。
ソフィーは
息を切らして、家に戻る。どうやって
「ううん、苦い……」
液体を
「ソフィー。あんた、質問に答えなさいよ」
「……うん。私ね、ワルキューレというものに
ソフィーは笑顔で報告したが、母の顔色は青ざめていった。
「あん、た……。ワルキューレが何か、知っているのかい?」
「戦場で兵士のお手伝いをするんでしょう? もちろん危険だとは思うけど、私は悪運が強いから
「
母が、強い力でソフィーの
「ワルキューレは、十割死ぬって言われてる職業だよ! 今すぐ断ってきなさい!」
今度は、ソフィーが青ざめる番だった。
十割、とはどういうことだろう。ワルキューレに志願した時、町人がソフィーに投げかけた憐れみの視線はそういうことか──と得心する。
「十割……? でも、
「なら、
ひゅう、と風の
先ほどの、兵士たちだ。
「約束を
「こ、この子はワルキューレが何かも知らなかったんです! どうかご
「残念ですが」
先頭の兵士が、すらりと
「もう契約は成立してしまった。違えるつもりならば、相応の手段に出ねばなりません」
ソフィーは
「せっかく助かった弟さんを、守りたいでしょう?」
甘やかな笑顔にそぐわぬ、冷たい声だった。彼が命じれば、残りのふたりもすぐに
「それにね、ワルキューレになれば、ご家族にお金を送ってあげることもできますよ」
「……わかりました。逃げたりしません。
「ソフィー! あんた、何を言ってるのかわかっているのかい!」
(私が契約を
「大丈夫。私が悪運強いの、母さん知ってるでしょ。生き残って、ちゃんと帰ってくるから心配しないで」
ソフィーは
「なかなか見どころのありそうなお嬢さんですね。さあ、こちらへ」
手を引かれて、ソフィーは歩き出す。
泣き叫ぶ母の声を聞かないように耳を
◆◆◆◆◆◆◆
「私はニルスというんだ。君は?」
「ソフィー、です」
彼の
「ソフィー? どうしたんだい」
「母さんが、ワルキューレは十割死ぬ職業だって言ってたこと、思い出してしまって……」
母と弟の前では、ソフィーは
その時に
「……十割は、大げさな
ニルスは
ソフィーはそれを有り
「ベルンハルド将軍のことは知ってる?」
「いいえ」
「まあ、ワルキューレのことも知らなかったぐらいだからね。今から、そのベルンハルド将軍のところに行くんだ」
「場所は……?」
「シュオム王国との国境──前線だよ」
シュオムはレンマールと南の国境を接する国であった。
南でずっと
「一年前に開戦してから、我が軍は苦戦を
(それほど、危険なのね)
ぐっと
いつの間にか涙も止まっていて、ソフィーは手巾を
「その手巾はあげるから。好きに使ってね」
ニルスの言葉に、ソフィーは「ありがとうございます」と礼を述べて軽く
「戦場に向かう前に、
戦場。その言葉が、脳内で重く
(死後、ヴァルハラに行けるのかもしれない……)
ヴァルハラは、神の世界アースガルズに存在する
ソフィーは自分が死ぬとしたら、病気や
「大丈夫かい?」
ニルスに声をかけられ、ソフィーは
「……すみません。先に、神殿に行くんですよね」
「ああ。そこで君は、ワルキューレになるんだ」
◆◆◆◆◆◆◆
神殿では、
すぐにわかったのは、彼が魔術師しか着用を許されていない、国の
「新しいワルキューレ候補だ。ワルキューレ生成の魔術を
「わかった。……お
「はじめ、まして……」
魔術師に会うのは、これが二度目だ。数年に一度、魔術師調査団はレンマール全土を回って魔術の素養のある子どもを探しにいく。対象
魔術師になるには魔術の素養が
いわば、魔術師とは選ばれし者。王族とまで言わなくても、貴族ぐらいには会い難い存在なのだ。
ソフィーが調査を受けた時は、村から男の子がひとり魔術の素養ありとされて連れていかれた。その子の両親はたいそう喜んでいた。
この無害そうな青年も、
「あの──これから、何をするんですか?」
「ワルキューレになるために、術をかけるんだよ。ああ、あと魔術をかける前に、神官の
そうですか、とソフィーは頷く。
「この石の台に横たわって」
示された石の台の側面には、神々の姿が
つらつら考えながら、ソフィーはそっと石の台に乗り、横たわる。背中が冷たい。
白い服をまとった神官がゆっくりと、ソフィーに近付いてきた。朗々とした声で、祝詞を唱える。古語なので、古語を勉強したことのないソフィーには、祝詞の意味はよくわからなかった。だが、不思議と神聖な気持ちになる。
段々と
かっと見開いた目で、痛みの走った部位を見やる。手首に、長い針が
「ごめんね。でも、魔術に必要なんだ。我慢して」
針を刺したのは、魔術師らしい。彼はすまなそうに笑った。
彼は回り込み、もう片方のソフィーの手首にも針を突き刺す。また悲鳴をあげ、いつの間にか祝詞が終わっていることに気付く。
魔術師は、
呪文のせいか、針が
先ほどの祝詞を聞いていた時とは反対だ。不快で、
知らない単語の
急速に、力が失われていく心地がする。そのままソフィーは意識を手放した。
目覚めたソフィーは、
ソフィーが起き上がると、魔術師と神官は
「儀式と魔術は成功です。これであなたは、ワルキューレとなりました。レンマールを救うため、ご
魔術師がそう説明した後、神官が続けた。
「ワルキューレには、女性しかなれません。我らがレンマールの戦士を守り、ひいてはレンマール国民を守る、尊い職業です。ワルキューレになると決めたあなたの
そんな言葉を
◆◆◆◆◆◆◆
時間がない、と言われてソフィーはまた馬車に乗せられた。不思議と、
(……と、いうより)
馬車に
目覚めた後、明らかに感覚が変わっていた。まるで、薄皮一枚
そう、まるで──この世が、遠くなってしまったような。
ソフィーは手首に目をやった。ざっくりと刺さっている針は、先ほど見た時のような鉄の針ではなくなっていた。青白く
「不思議かな?」
声をかけられ、正面を見るとニルスが
「……はい」
「すまなかったね。
「そうですね……」
ソフィーは、苦労して言葉を
「ワルキューレってのはね、半分死んだ状態なんだよ」
ニルスの言葉に対する驚きも、
「ワルキューレって、一体何をするのですか?」
「……実は、我が国レンマールが戦っているシュオム王国は、
死神、と反復してソフィーは首を
ようやく、感覚が
「彼らは目に見えないが、確実にこちらの戦士を
ニルスの説明に、ソフィーはゆっくり
「死神って、どんな姿をしているのですか?」
「黒衣をまとった白骨らしい。その手には
正に、小さい
「だがもちろん、向こうも対抗してきた。元々、向こうは普通の戦士も連れていたんだけどね。ワルキューレは死神に対して強くても、普通の戦士に対しては弱いんだ。元は、普通の女性だし、体は武器による
なるほど、とソフィーは
死神と呼ばれるもの、こちらの戦士、ワルキューレ、そしてあちらの戦士──。
こちらの思考を
「そう。戦士は戦士から、ワルキューレを守る。ワルキューレは死神から戦士を守る。
「戦士の数だけ、ワルキューレがいるということですか?」
「いや、残念ながらそうではない。ワルキューレの数は
きっとそれは、ワルキューレの方が、おびただしく死んでいくからだろう。
母が「十割死ぬ」と言っていたことを思い出し、ソフィーはうつむいた。
「魔術で、死神に対抗はできないのですか?」
「できるよ。だけど、高等な魔術が必要だし、そもそも魔術師の数が少なすぎて戦争には出せないんだ。だから、ワルキューレが必要になってくる」
ニルスはソフィーの疑問に対し、
ふと
「……あの、どうかしたのですか?」
「いや……実は、魔術師が言ってたんだ。今までの女性と違って、君は死の魔術にかなり馴染みやすかったと。何か、心当たりは?」
どういうことだろう、と首を傾げながらもソフィーは
「これまで魔術師に会ったのは調査の時だけで……死の魔術なんて、聞いたことすら……」
「そうか。……理由はともかく、君は強いワルキューレになれる可能性がある。本当は、もう少し女性を集めてから戦場に行こうかと思っていたんだが、このまま直行することに決めたんだよ」
そこでニルスはソフィーの眠たげな様子に気付いたらしく、
「……話はこのくらいにしておこうか。君も、疲れたろう。少し、
ニルスに
不安が押し寄せてきたので、母と弟の姿を思い
死亡率十割。ただの
(
幼い頃から、母に「あんたは
馬の
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