プロローグ 花畑にて

 それは、この地にはびこる──幼い子どもだけがかかる流行はやり病だった。

 三日続いた高熱の後、視力を失う。薬をすぐに飲めば、視力は回復する。だがしかしその薬は平民には手が届かないほど、高価なものだった。まして、貧しい農民は望むことすらできなかった。


 だから、その病がもうをふるった年には多くの子が視力を失った。

(私も、永久に……見えなくなってしまうの?)

 ふらふらと歩きながら、少女は心の中で問いかける。神にか、それともじんな運命にか。

 何も、見えない。やみざされた視界はおそろしかった。

 熱は下がったが視力を失っているため、外に出るなとは言われていた。しかし、ベッドでじっとなんてしていられなかった。

 手さぐりで、ぶつかりながら、転びながらもあきらめずにようやく目当ての場所に辿たどり着いた。

 そうだとわかったのは、かおりのおかげである。がねいろほこるディスタの花。かぐわしく香る花が咲き乱れる野原は、少女のやしの場所だった。

 農作業がつらくて体が悲鳴をあげた日、親にひどく𠮟しかられた日──いつも来ていた。

 今は夜ではないらしいけれど。広がるのは闇ばかりだから、日光の下でかがやく花は見えない。

「ううっ……」

 えつが、れる。

 こわかった。このまま見えなくなってしまうことが、怖くてたまらなかった。


 泣き続けていると、馬のひづめの音がひびいた。だれかが、そばにあるかいどうを走っているらしい。蹄の音は、少しはなれたところで止まった。そして男性複数の話し声が響く。

 おこられるのだろうか、と少女は身を固くする。こんなきれいな花畑に立ち入ったことをとがめられたらどうしようと考えて、少女はうつむいた。

「君、どうしたんだい、そんなに泣いて」

 おだやかな男性の声がして、少女は気配で誰かが近付いたことを知った。顔は見えないけれど、さぞかしやさしい表情をしているのだろうと察する。

「……目が」

「目? ……もしかして、流行り病……モルク病かい?」

「はい。もうすぐ、私の目は永遠に見えなくなる……」

 口に出すとますますかなしくて、またなみだあふれそうになる。

「薬を飲めば、間に合うかい?」

「多分……」

「そうか。少し、ここで待っていてくれないか? いいね、絶対だよ」

 言いふくめられて、少女はうなずく。

 どうせ家に帰る気もしないのだ。待つことは、苦ではなかった。

 芳しい香りをぎながら、しばしそのまま座っていると息を切らした人が近付いてきた。

「お待たせ。さあ──これを」

 先ほどの男性だ、と声で判断した時、手に何かをにぎらされた。

「これは、何?」

「モルク病の薬だよ」

「そんな、高価なもの!」

「いいから、受け取ってほしい。君の目が治るよう、いのっているよ」

 ふわり、いいにおいがして額にやわらかなかんしよくが残された。

 キスされたのだ、と自覚してほおが熱くなる。ただの祈りだと、わかっていても。

「家まで、送ろうか」

 男性はそう申し出てくれたが「将軍! そんなひまはありませんよ!」という声が遠くから飛んできた。

「もう時間がないんですから!」

「──全く。この子を送るぐらいの時間はあるだろう」

「ありません。むしろこくしますよ!」

「やれやれ。君、だいじようかい? ひとりで帰れるかい?」

「だいじょうぶ。あり、がとうございます」

 ふふ、と男性は笑っていた。

「どういたしまして。じゃあ、いつかまた」

 少女は薬のふくろを握りめ、遠ざかる足音をいつまでも聞いていた。

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