第44頁  世界の形

 3月20日、午後5時、境の柵付近。


「ひまわりの花も飾りましょうか」

「undnd@io」


 アサヒさんと異形の少女が、母親の墓標に添える花を選んでいる。雪の降る真冬の山。咲いている花は少ないが、きっと鮮やかな色彩で賑やかになることだろう。


「……」


 そんな二人の反対側。柵から少し離れた木の根元に、母親の墓が作られた。母親の命の灯が消えてから、アサヒさんが丁寧に一つ一つ弾丸を取り出した。一時間をかけて取り出したその数、およそ20発。

 その作業の間にも腐敗は進行し、残った母親の身体は随分小さくなってしまった。異形の子供は、そんな変わり果てた母に瞳を涙でいっぱいにしながらも、最大の愛を込めて口づけを落としていた。


「どうして、止められたんでしょうか」


 怒りで拳を握りながら、僕は隣に居てくれるエルに問いかける。

 ハンターを呼びに行きかけた僕を必死で止めた異形の少女とアサヒさん。彼女たちはこんなひどいことをしたハンターが憎くないのだろうか。僕は憎い。一発ぶん殴ってやりたい。


「あの現場にハンターを連れてきたら、どうなったと思う?」


 怒りばかりの僕の元に、エルの静かな問いかけが響く。どうって……そんなのハンターに自分の犯した過ちを思い知らせて、ボコボコにして……


「間違いなく、撃たれるわね」


 エルの呟いた言葉に、心が冷えた。


「自分の仕留め損なった異形が、堺の内側で生きていた。こちらの話なんて聞かなくて、問答無用であの少女は撃ち殺されるでしょうね。もちろん私も」

「……」

「そして、治療をしていたアサヒも危険人物として射殺、もしくは研究所とかにでも連れて行かれるかしら」


 そんなこと全く考え着かなかった。だけど確かにエルの言う通りだ。あの場にハンターを連れてきていたら、今彼女が言ったことが現実になっていたかもしれない。僕はあの場に居た全員を命の危険に晒そうとしていたのか。


「だからあなたを止めたのよ。これ以上誰も傷つかないように、と」

「ごめん、なさい……」

「陸奥のことを責めている訳じゃないの。あなたが動こうとしてくれたこと、嬉しかったと思うわ」

「……」

「だけど、この世界には感情だけじゃどうにもならないことが多過ぎるのよ」


 エルは僕の頭を撫でると、アサヒさんたちの方へ飛んでいった。彼女も加わった三人で、墓標への花選びが進んでいく。そんな賑やかな話し声を聞きながら、僕はただ膝を抱えることしかできなかった。




※※※




「ibnsokvfd」

「そうですか。困ったことがあればいつでもお越しください」


 無事に母親の墓標を彩った彼女たちは、別れの挨拶を交わしている。娘さんは堺の奥へ帰るらしい。


「fd;adjvo」


 アサヒさん、エルと別れの握手を交わした彼女は、僕の前へ。見上げてくれる視線に屈み、握手しようと手を出せば、彼女は一輪の花を僕に差し出した。これはどういう意味なんだろうか。


「ib]gjb」

「『私たちのために怒ってくれて、ありがとう』だそうです」


 アサヒさんを通じて聞こえた温かい言葉に、胸が熱くて仕方ない。改めて娘さんを見てみれば、彼女はにっこりと、本当に嬉しそうににっこりと笑っていた。


 ……どうして、そんな風に笑えるんですか。怒りたいのは、僕じゃない。泣きたいのも、僕じゃない。全部、全部っ、君の感情じゃないか。なのに、どうして……一番辛いはずの君が笑えるんだ。


「ありがとう……っ、ございます」


 僕は声が震えないように耐えながら、差し出された花を受け取った。




※※※




 娘さんが柵の奥へ消え、完全に姿が消えた頃。


「『生き抜く義務がある』とおっしゃていました」

「……」

「『母が身を挺して守ってくれた命だから』と」

「……」


 僕が娘さんにもらった花を握りしめ堪えていると、上からアサヒさんの声が降って来た。顔を上げれば、いつも通りの彼女がそこに居て。


「彼女は、強く生きていくと思います」


 そう告げるアサヒさんの瞳には、憐みも哀しさも浮かんでいなくて。ただ清々しいほど透き通った緑色で僕を見つめるだけだった。

 きっと彼女は今まで何人も看取り、何人もこうやって送り出してきたんだろう。だけど、僕はやっぱり納得できない。耐えられなくなった感情が溢れ出す。


「どうして、あのお母さんは死ななくてはいけなかったんですか」

「……」

「どうして、あの子はこれから一人で生きていかなくてはいけないんですか」

「……」


 これから経験できるはずの楽しいことも嬉しいことも、全部奪われて。理不尽に傷つけられて。


「彼女たちは何も悪いことをしていないのに、どうして……どうしてっ、傷つかなくてはいけないんですか!」


 行き場のないこの怒りと、どうしようもない悲しみを、アサヒさんにぶつけた所で何ともならないのは分かってる。だけど、吐き出さないと、苦しくて苦しくて仕方ない。


「世界が、そう決めたからです」


 静かに淡々と言い放つアサヒさんは、いつもと変わらず冷たい声だった。彼女のその普段と何も変わらない温度が、今日はひどく不気味に感じる。その不気味さに一瞬怯んだけれど、僕は負けずに言葉を紡いだ。


「ただ少し姿が違うだけじゃないですか。手の数が、爪の形が、身体の大きさが少し違うだけ、ほんの少し違うだけなんです」


 不気味で恐ろしく見えるかもしれない。危険に思うかもしれない。だけど、彼らの心は優しくて。それらを武器にして襲う気持ちは全くなくて。

 出会っただけで撃ち殺されていいような、そんな命じゃない。


「それだけ、なのに……っ、それだけの理由で、どうして排除されなくてはいけないんですか!」

「それだけのことが、排除するには十分過ぎる理由なんです」


 僕の放った言葉たち。アサヒさんは静かにそして淡々と受け取った。


(なんでっ……)


 怒らないんですか。理不尽に虐げられる今の状況が悔しくないんですか。苦しくないんですか。


(どうしてっ……)


 抗おうとしないんですか。そんなに簡単に受けいれてしまうんですか。


「……っ」


 『人間を食べる異形はもう居ません』

 長年言い聞かされてきたことが、決めつけられてきたことが間違いだと、僕に教えてくれたのはあなたなのに、どうしてあなたが決めつけるんですか。

 問いかけたい問いはたくさんあったけれど、どの問いも口から出てくることはなかった。


「それだけで……十分なんですよ」


 そう告げるアサヒさんが、僕よりも痛そうな顔をしていたから。


 怒りがないはずがない。悔しくないはずがない。こんな現実、簡単に受け入れられるはずがない。アサヒさんは僕なんかよりもっと、異形たちの苦しみを知っているし、優しい温かさも知っている。


 だけど、アサヒさんが感情を出すことをしないのは、それが無駄だと知っているから。決めつけなんかじゃない、現実がそうなんだ。

 彼女の顔を見て、瞬間悟った。きっと、アサヒさんは世界に抗ったことがあるのだろう。そして……

















 ボロボロに負けたんだ。

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