第45頁 分かりたくありません
3月21日、午前9時、ひまわり畑。
翌日、僕はいつもの如くひまわり畑に来ている。だけど、昨日から胸が痛くて仕方ない。
『世界が、そう決めたからです』
全てを諦めたようなアサヒさんの言葉。重りのように僕の心を押し付けて、息がし辛かった。
「分かりません」
鋭い爪を持つだけ、尖った牙を持つだけ。たったそれだけのことで、危険視されて銃口を向けられる。彼らは何も悪いことをしていないのに。
……だけど、ほんの少し前の僕は、それだけの理由で撃ったんだ。
「分かりたく、ありません」
僕は撃ち殺そうとしたんだ。こんな言葉、僕が言っていい台詞じゃない。
結果だけなら、ハンターさんは撃ち殺して、僕は撃ち殺さなかった。でも、そこに至るまでの過程は全く同じ。
撃ち殺そうと思って、銃を構えた。死んでほしいと願ったから、弾を放った。
そう思った。そう、願ってしまった。
僕の時はたまたまアサヒさんが止めてくれただけ。彼女が居なければ、僕はあの骸骨のお母さんを……
「う……」
胸の奥の傷がズキンと、音を立てて熱を持つ。両の手のひらを見れば、真っ赤に染まっているように見えた。
あの時、アサヒさんが居なければ、僕は骸骨のお母さんを殺して得意げに自慢していたんだろう。人類の敵を殺したんだ、と。僕がこの手で退治したんだ、と。それはもう嬉しそうに語るのだろう。そんな未来が簡単に想像できた。
それと同時にハンターさんと僕の形がピッタリと重なった。彼と僕の間に、差はない。何も……っ、何もないじゃないか。
ガサガサッ、サクッ
「?」
ずっと胸の痛みに苦しんでいた故だろう。音が近づいていたことに、全く気がつかなかった。すぐ近くで発生した音に目線を上げれば、そこには……
「あの時の、お母さん」
僕の顔を覗き込んでいる骸骨の異形が。大きな体躯、鋭い爪と大きな牙。間違いない、あの時のお母さんだ。たとえ姿形が変わっていたとしても、多分僕は分かったと思う。
だって、僕はこの命を消そうとしたんだから。
「hu@vofs」
「えっとぉ……」
「……」
「?」
お母さんは一言何かを発すると、そのまま僕ををじっと見つめる。
僕にはアサヒさんみたいに異形の言葉を理解する能力はない。彼女が何を伝えたいのか分からない。
ふと、お母さんの肩で小さく動く存在が目に付いた。チョロチョロと駆け回っているのは、きっと娘さんだろう。アサヒさんが教えてくれた、米粒サイズの娘さん。僕が……攫ってしまったあの子が。
「っ……」
彼女の存在を認識すると同時に、また胸の傷がドクンと音を立てて熱を持つ。そして僕の脳内で、あの日の出来事と今この瞬間が重なった。
あの時もこうやってお母さんと無言で見つめ合っていた。そして、近づいて来る手を見て、僕は、銃を撃ったんだ。
撃った一発はたまたまお母さんの足に当たった。だけど、命に届いていた可能性もあった訳で。そうしたら、娘さんは今頃……一人、ぼっちで。
「あ、の……」
謝りたかった、あの時の過ちを。確かめたかった、あなたたちの無事を。この場所で、ただそれだけを祈ってひたすら悔いて来た。今更謝っても何も変わらないけれど、それでも伝えたい。
ずっと会いたかったのに、ずっと話がしたかったのに……それなのに、やっと出会えた今、言葉が出てきてくれない。伝えたいことはたくさんある。聞きたいこともたくさんある。でも、どの感情も言葉にはならず泡沫になって消えていく。
心臓が鼓動を増して、うるさく脈を打つ。胸が苦しくて、息が吸えない。あ、れ、息ってどうやって吸うんだっけ?
「bna:」
トン
突然聞こえた金属音と、頭の上に乗せられたあたたかい温度。彼女の体温を感じると共に、今まで苦しかったのが嘘のように消えていき、息が吸いやすくなった。
驚きながら顔を上げれば、パチッとお母さんと目が合う。優しく微笑みかけてくれるあたたかい視線。もしかして、僕のためにあの不思議な力を使ってくれたんですか? 苦しくないように、祈ってくれたんですか? 僕に話しかけてくれたのも、僕が蹲って苦しそうだったからですか?
どうして……僕はあなたを殺そうとした相手で、あなたの娘さんを危険な目に合わせました。そんな酷い相手なのに。憎くないんですか、怒らないんですか。なんで、なんで、っ、こんな僕のために祈ってくれるんですか。
「ごめんなさい」
今まで出てこなかったのが不思議なくらい、自然に奏でることができた謝罪の言葉。その勢いのままに口を開き、頭を下げる。
「僕、何も知らなくて。娘さんが乗っていたことも、あなたたちが危険じゃないことも。だから食べられると思って撃ってしまったんです。僕のしたことを許してほしい訳じゃありません。だけどごめんなさい。本当にごめんなさい」
謝ったところで過去が消えることはない。痛みも恐怖も傷も、何一つ消えてくれない。だから謝るのは僕の自己満足。
ずっと胸の奥で疼き続けるこの痛みを、少しでも誤魔化したいだけ。そんな自分勝手な謝罪だって分かってる。それでもどうしても謝りたかった。過去を見つめて、前を向くために。
「ごめん、なさい。ごめんなさい」
まだ赤く染まったままの僕の両手。ぽたり、ぽたりと手から赤色が滴り落ちるようだった。胸が痛くて苦しくて堪らない。
ギュッと目を閉じて、お母さんの反応を待つ。感情のままに罵ってくれていい。その鋭い爪で切り裂いてくれたっていい。僕はそれだけのことを、あなたたちにしてしまったのだから。だけど……
「joptne:」
「え」
気がつけば、僕はお母さんに抱きしめられていた。包み込むように触れてくれる優しい温度。じんわりと心に入り込み、広がってくれる。
「ioesl」
囁かれるように呟かれた金属音に顔を上げると、ニッコリと笑ったお母さんと目が合った。彼女は嬉しそうに、それは本当に嬉しそうに笑っている。
僕には異形たちの言葉は分からない。金属を擦った不快な音にしか聞こえない。だけど、今聞こえたんだ、はっきりと。
『許します』
そう言ってほしい僕の頭が、勝手に言葉を浮かべただけかもしれない。そうであってほしいと願ったから、そう聞こえたのかもしれない。
でも、響いたんだ、心に。言葉じゃなくて、お母さんが発した言葉に乗った感情が。
「っ……」
怒ることも、切り裂くことも、お母さんはそのどちらもしなくて。ただ優しく僕を包み込んでくれるだけで。
「うぅ……」
胸の苦しさが限界を迎えて、涙となって外に溢れ出て来た。止めようと思っても、一度勢いを持ってしまった涙は一向に止まってくれない。それと一緒に言葉たちも一気に溢れ出す。
「怪我は、治ったんですか……もう、痛くはないですか」
「9sjwn」
「娘さんに、怪我はなかったですか? 僕、乗っているなんて知らななかったから、乱暴に走って……っ」
「hisr@bom」
「ごめん、なさい……っ、本当に、ごめんなさ、い」
小さな子供みたいに泣きじゃくる僕を、お母さんはずっと抱きしめてくれていた。
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