第46頁  あなたのためのものですか

 3月21日、正午、アサヒのログハウス。


 カリカリカリ


 アサヒが部屋の中で薬品の整理をしていると、入り口の壁を爪で擦る音が聞こえた。誰か異形がやってきたらしい。

 怪我人だろうか。大した怪我ではないといいのだが。そんなことを考えながら、ログハウスの入口へと急ぐ。しかし……


「えっと……」

「@uahve」

「はい、こんにちは」


 彼女にしては珍しく、戸惑った声で挨拶している。それもそのはず、今目の前には以前治療をした骸骨の母親と、なぜか彼女の腕の中で眠っている陸奥の姿。


「あ、の、どうしてそんなことになっているのかご説明いただいても?」

「[rwijhw」

「……ご迷惑をおかけしましたようで」


 骸骨の母親から一部始終を聞いたアサヒ。

 ひまわり畑で再会を果たした後、突然泣き出したかと思えば、その後眠ってしまい、困った母親が陸奥をここまで運んでくれたとのこと。


「こちらで預かります。運んでくださりありがとうございました」

「hab@im」


 アサヒが陸奥を受け取りお礼を述べる。骸骨の母親はにっこりと笑顔で、穏やかな雰囲気で陸奥のことを眺めていた。そんな眼差しを見ていると、こちらまで優しい笑顔になれるような気がする。


「陸奥さん、ずっと気にかけておられましたよ。その後、怪我の具合はいかがですか?」

「ugnsbmpd」

「それは何よりですね」

「girbsnms」





※※※




 3月21日、午後3時、アサヒのログハウス


「ん……?」


 僕が目を覚ますと、以前も見たことのある天井が。あれはいつのことだっただろうか。あ、そうだ、僕が睡眠不足で倒れた時にも、この天井の下で眠っていたな。でも、昨日はちゃんと寝たはず、睡眠不足にはなってないと思うんだけど……


「おはようございます」


 ぼんやりと考え込んでいると、以前と同様ティーポットを手にしたアサヒさんが。ポットからはほかほかと湯気が上がっている。


「おはようございます。えっと、僕はまた倒れたんですか?」

「いえ、泣き疲れて眠ってしまったそうです。お母さまから事情を聞きました」


 お母さま……あ、やってしまった。全部思い出しましたよ。あの時相当緊張していたから、安心した時にドッと疲労感が押し寄せてきて。泣きつかれて眠るとか、幼稚園児なの、僕は。恥ずかしぃ、恥ずかし過ぎる。


「大変ご迷惑をおかけしましたようで。えっとぉ、あの骸骨のお母さんたちは?」

「もう帰られました。次にお会い出来たら、今度は謝罪じゃなくてお礼を言えるといいですね」

「はぃ……」


 僕が羞恥で布団にもぐり込む中、アサヒさんの笑い声が聞こえてくる。クスクスとした楽しそうなその声に顔をあげれば、マフラーで顔を隠していても分かるニッコリと笑顔のアサヒさんが。その様子を見て、ずっと胸の中で蠢いていたモヤモヤが、すぅと消えて行くのを感じる。


 あぁ、そうか……


 それと同時に胸が熱く苦しくなり、僕の瞳から涙が零れた。

 ずっと胸の中にあったモヤモヤ。ひまわり畑の真相を突きとめてから感じていたこの違和感。その正体がやっと分かった。


「え、陸奥さん、どうしました? 泣くほど恥ずかしかったのですか。大丈夫です、誰にも言いません。お約束します、絶対言いませんから」


 突然泣き出してしまった僕を、心配そうにアサヒさんは見つめてくれる。見当違いの心配をしているようだけど、彼女の優しいその動作に、また胸が苦しくなった。


 だから……だから、なんですね。こんな優しくて温かいアサヒさんだからこそ……


「ど、どうしましょう。陸奥さんを、泣かせ……あわわ」

「アサヒ、さん」

「は、はい?」

「僕、分かったんです。あのひまわり畑の謎が」


 ポロポロと零れ落ちる涙をそのままに、僕は言葉を紡いでいく。

 ひまわりの花の茎から発見された、異形の身体の一部。いつもの如く気合いと根性で寒さへの耐性と、一年中咲き誇る体力を付けさせているのだろう。

 好物であるひまわりの蜜を一年中食べたい、そんな可愛らしい願いから摩訶不思議な現象を生み出したと思っていたけど、ずっと何かが違うというモヤモヤが消えなかった。


 それは「好物をずっと食べたい」という願いが、しっくりこなかったから。


 僕風邪を引かないように乾かしてくれたり、僕怯えないように姿を消してくれたり。異形たちは、その不思議な力を優しい感情でしか使わない。そして、その感情の主語になるのは、自分以外の他者だった。

 だから、「好物をずっと食べたい」という、自分のための願い事は、僕の中できちんと納得ができなかった。

 だけどそれがアサヒさんの笑顔を見て、今、ストンと落ちた。



「あのひまわり畑は、アサヒさんのための物ですか?」



 一人で異形たちの治療をし続けるアサヒさん。彼女は唯一、異形に銃口を向けない人間だろう。そんな彼女へ、ささやかながら恩返しを。雪の中に、満開のひまわりの花。幻想的な景色を届けたいと願った、異形たちからのプレゼント。

 茎の中からたくさんの異形の一部が見つかったのは、彼女のためだからだと思う。その数だけ、アサヒさんにお礼を伝えたい異形がたくさんいたんだ。


 他者のために使う、優しい力。村人がほとんど寄り付かず、入ってくるのは見廻りのハンターさんくらいの山の中で。綺麗なひまわり畑を見せたい人は、たった一人だけ。


 ただアサヒさんに笑顔になってほしいから。


「違いますか?」

「……」


 否定も、肯定も、彼女からの返答は何も返ってこなかった。だけど、彼女のその瞳が、何かを迷っているように揺れている。










「半分だけ……正解です。あのひまわり畑は、みんなが私のために作ってくれました」


 しばらく待って帰ってきた言葉は、僕の予想通り異形たちの優しい願い事。だけど何故だろう。アサヒさんが悲しい目をしているのは。


「理由をお聞きすることは出来ますか?」

「……」


 僕の問いかけに再びアサヒさんの瞳が揺れ始めた。

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