第26頁 覚悟はできています
「うわぁ」
雪だるまさんと一緒に歩いて数分後。山の奥深くにある境の柵に到着した。生まれて初めて、間近で見た柵。思っていた以上に巨大で、自然豊かな森に似合わずただ無機質に佇む様に心が冷える。
柵の網目から奥を見つめてみるけれど、こっち側と何も変わらないように見えた。真っ白な雪に覆われた、綺麗な森が広がっているだけ。
でも、この先には人間が居ない。異形たちが伸び伸びと暮らすことが出来る世界。窮屈なこちら側と自由な向こう側。隔てている柵が、どうしようもなく寂しく見えた。
「nrsib」
「あ、すみません」
余程寂しい顔をしていただろうか。雪だるまさんが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます。えっと、この柵を飛び越えるんですよね?」
「brs@n」
寂しさを自覚するために、ここに来たんじゃない。柵を飛び越える瞬間を見に来たんだから。
でも、アサヒさんの言葉を信じていない訳じゃないんだけど、実際に近くで見てみると高い。やはり高い。こんなのを「ぴょん」と飛び越えれるのかな。
チラリと雪だるまさんを視界に入れてみると、やはりそのまま雪だるまさんで。ずんぐりむっくりなその姿は、お世辞でも身軽そうとは言えない。本当に飛べる?
柵は異形たちの天敵である鉛で出来ているから、もし跳躍に失敗して触れでもすれば、そこから腐敗が発生してしまう。命がけの危険な挑戦。大丈夫だろうか。
「u@hgg」
僕が不安げな視線を送っていると、雪だるまさんはニッコリと微笑んで、少し下がるように促す。言われた通りに従えば、雪だるまさんはその場でトントンとジャンプし始めた。
最初は軽いジャンプで始まったリズム。しかし、次第に高く軽く長く跳躍が変化していく。上に上がる飛距離は跳躍の度に高さを増しており、まるで足にバネでもついているかのように軽やかに舞い上がっていた。そして……
「わぁ」
僕はポカンと口を上げながら、上空を見つめることしかできなかった。トン、トン、トーーーーーーン、と大きく跳ねると、そのまま境の柵を飛び越えていく。アサヒさんが表現した通り、まさに「ぴょん」と軽やかに。
開いた口が塞がらない僕に対して、雪だるまさんは柵の向こう側でぴょんぴょんと弾んでいた。その余韻を楽しむようにニッコリと。
「凄いですね! 見せていただきありがとうございました」
「bnswokvoe」
「お気をつけて」
ぴょんぴょんと、弾みながら跳んでいく雪だるまさんに手を振って、背中を見送った。小気味よく跳躍している故だろうか、あっという間にその姿が見えなくなる。
ふと、雪だるまさんが帰って行った雪の上を見てみると、丸い足跡が点々と。あれ、この足跡どこかで……あぁ、朝ひまわり畑に行く前に見た謎の足跡だ。雪だるまさんの物だったんですね。きっと村の近くに行くまでは、ああやって跳躍しながら進んでいたんだろうなぁ。
……そう言えば、僕と柵に来る時はあんな風に歩いてなかった。僕の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれた?
「雪だるまさーん!」
その事実に気がつくと共に、僕は柵へと駆け寄った。そして、肺いっぱいに息を吸いこんで……
「一緒に歩いてくれて、ありがとうございましたー!」
精いっぱいの大声で叫んだけれど、聞こえただろうか。耳の良い彼らのことだ、きっと聞こえたに違いない。
「……」
やっぱり異形たちは敵じゃない。だって僕の歩幅に合わせて歩いてくれたんだ。そんな優しい心を持つ彼らが、敵であるはずがない。
『異形に出会ったら撃ち殺せ』
伝え続けられている間違った認識に、堪らなく胸が苦しくなった。
何も知らないのに、何も知ろうとしないのに。勝手に悪だと決めつけて、銃口を向ける。そんなの間違ってるよ。
「よし!」
僕は一人、拳を握る。
どうやったら、間違った認識を正せるか分からない。だから、まずは僕に出来ることをしようと思う。
異形が悪いことをしようとしているんじゃないかと、噂されているひまわり畑。この超常現象の謎を解明し、異形たちの無実を証明できれば、きっと何かが変わると思う。第一歩を踏み出せるような、そんな気がする。
「頑張るぞー! おー!」
僕は僕に出来ることを頑張るだけだ。気合十分で、ひまわり畑へと歩を進めた。
※※※
2月20日、アサヒのログハウス。
陸奥が雪だるまと一緒に消えたログハウス。静かな室内に残されたのは、アサヒとエル。二人だけのその空間をエルがため息と共に切り裂いた。
「それにしてもアサヒも物好きね。分かってると思うけど、陸奥は……」
「分かってます、大丈夫です」
エルの言葉の先を聞かず、アサヒの声が遮る。そして寂しい感情を隠すことなく真っ直ぐ過ぎるほどに声に乗せて、その先を紡いだ。
「陸奥さんに出会った時から、そんなことは分かっていたじゃないですか。だから、覚悟はできています」
「……」
「いつか来てしまうその日が来ても、大丈夫です。大丈夫なんです」
強引に自分の心を誤魔化すように、『大丈夫』と繰り返すアサヒ。そんな彼女を見ていると、こちらの方が痛くなってきた。
「エル、これは私が勝手にやっていることです」
「……」
「またあなたまで付き合わなくてもいいんですよ?」
エルの痛みに気がついたのだろうか。アサヒが 悲しい光を瞳に宿しながら、優しくエルに問いかける。彼女の言葉を聞いて、エルが一瞬泣き出してしまいそうな顔をしたのは気のせいではないだろう。ぐっと何かを堪えるように唇を噛みしめると、消え入りそうな声でエルは呟いた。
「その日が来るまで一緒に居るよ、ずっとね。私も陸奥のこと大好きなんだもん」
「……ありがとう、ございます」
震えるエルの背中を、アサヒは優しく擦った。二人が恐れているその日、いつかのその時が来るのは、そう遠い未来ではないかもしれない。
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