第38頁  分かりました

 3月15日、午前10時、ひまわり畑。


 僕はいつものようにひまわり畑の調査にやってきた。普段通り祈りを捧げ、調査を開始しようとしていると、パタパタと可愛らしい足音が。


「aubnf」

「狐さん、おはようございます」


 満面の笑みで挨拶をしてくれる狐さん。そして、彼女は僕の隣にちょこんと腰を下ろした。最初に挨拶をしたあの日から、だいぶ僕に慣れてくれたようだ。僕が調査に来るたびに挨拶してくれて、その後は隣で土遊びをしたり、うっとりとした表情でひまわりの花を眺めていたり。


「g@sbmg」

「わぁ、不思議な形の石ですね」

「ibns:」


 二人で他愛のない話をしたり。かなり仲良くさせてもらっている。だけど、楽しそうにしている狐さんを見て時々思うことがある。


『成り行きだったの。言葉を習得したい子が居て、その子の練習相手になっていたら、自然と私も話せるようになっていたわ。その子は……人間にどうしても伝えたい言葉があったのよ』


 以前エルが語ってくれた自分の過去。エルと一緒に言語を練習したのは、狐さんだと思っていたが、狐さんが言葉を話す気配はない。エルの話に出てきたのは、一体誰だったんだろうか。




 ※※※




「ああ⁉」


 狐さんとの和やかな雰囲気の中作業を進めていれば、驚くべき光景が。つい大声で叫んでしまった。


「tpnkeb」

「あ、狐さんごめんなさい」


 隣から聞こえた小さな金属音に視線を移せば、耳をペショッと押さえている狐さんの姿が。異形は聴覚が優れているとアサヒさんが言っていた。そうでなくても隣でいきなり大声出されたら、誰だって耳を押さえるよね。本当にごめんなさい。


「申し訳ない。びっくりしましたよね、ごめんなさい」

「i:sbon」


 僕が謝罪をすれば、耳を元通りにしながら笑ってくれた。アサヒさんにもよく「うるさいです」と言われますし、僕は声が大きいのかな。今後このようなことがないように、注意します。


 狐さんがひまわりの花の鑑賞に戻ったところで、先ほど僕が大声を上げてしまった原因に近づいてみる。


「消えて、る」


 鹿の異形が置いていった角が、消えていた。

 昨日まで確かにそこにあったのに、今はその跡すら確認できない。場所は間違ってないよね、ここだったよね? 目印もあるし、ここで間違いないみたいだ。

 だけど、これはどういうことだろうか。誰か他の異形が持って行ったのだろうか。それとも土の中に消えたのか。んー、でも両手で持ってはみ出すくらいの大きさがあったよ。それが一晩で吸収されるなんてことあるのかな。

 あ、でもアサヒさんが『異形と自然は馴染みやすい』って前に言ってたっけ。そうするとあり得る?


「もしかして……」


 僕の頭がとある仮説にたどり着き、角の一番近くにあったひまわりの花を手折った。鞄の中から顕微鏡を取り出し、早速覗いてみる。


「あった」


 覗いた先には、予想通り異形の角そっくりの物質が。小さく分裂して茎内部の至る所にへばりついている。そしてその存在を確認すると同時に、自然と息が漏れた。


 キラキラと太陽の光を反射しながら雪が舞い、花の上に降り注ぐ。幻想的で、儚くて、美しいひまわり畑。不気味だと言って恐れる声も多いけれど、この世界は僕たち人間が考えているよりずっと、優しいのかもしれない。


「ひまわりが好きだから、一年中咲いてほしかった」


 きっと、この空間を形作っているのはそんな可愛らしい感情だけだと思う。

 異形のみんなの好物はひまわりの花の蜜だ。だけど、ひまわりは夏にしか咲かないから、夏が終わると食べれなくなる。だから、ずっと好物を食べられるようにほんの少し世界に細工したんじゃないかな。多分いつもの如く気合と根性で……


 ひまわりの花たちから見つかった謎の物質たち。思い返してみると、どの物質もどこか見覚えがあるような不思議な感覚がしていたんだ。


 西の花から見つかった骨は、僕が撃ち殺そうとしてしまった骸骨のお母さんの骨に似ていた。あの辺りはちょうど僕が彼女を撃ち殺そうとした付近。

 北の花から見つかった植物の芽は、花ネズミの頭についていた物と似ていた。あの辺りは、以前僕が起こしてしまった花ネズミたちが寝ていた場所。そして、彼らの習性を表すが如く、茎内部の物質も自由気ままだった。

 更に、2週間放置して出現したモフモフの白い物質と黒い物質。あれは多分白は狐さんの物で、黒は黒猫さんの物だと思う。二つとも尻尾の毛の感じが非常に似ているから。

 そして2週間放置してから出現した理由。多分二人の性格に関係があると思う。狐さんは極度の恥ずかしがり屋さん。きっと最初に僕が顕微鏡で覗いた時には、隠れこんでいたのだろう。そして、黒猫さんは僕を怖がらせないように、最初は姿を消していたんじゃないかな。僕が怯えることを怖がっていたから。


 もしかすると、世界各国で報告されている超常現象も異形たちが住みやすいように、世界にちょっと細工しただけかもしれない。そうだとしたら……


「怖がる必要なんて、最初からなかったんだ」


 何も恐ろしいことなんて起こらない、起こるはずがない。だって、彼らはその不思議な力を優しい感情でしか使わないから。


 僕を楽しませるために、温かい光景を作り出してくれた大木さん。

 僕が風邪を引かないように、服を乾かしてくれた天狗さん。

 僕を怖がらせないように、姿を消してくれた黒猫さん。


 誰一人として、悪意を持ってその力を使った異形は居なかった。


 真冬の空の下、眩しい位に咲き誇っているひまわりたち。人間の常識では考えられない美しい光景。不気味で恐ろしいと、怖がる声も多いけれど、この景色は『一年中好物を食べたい』という、そんな単純な理由だけで成り立っている。


「だけど……」


 なぜだろう、胸の奥がモヤモヤと疼いた。ひまわり畑の謎が解けて、すっきりしたはずなのに、真逆の感情が僕の中で蠢いている。歯に何かが挟まったようなもどかしさ。この感情の正体は何だろう、僕は何にモヤモヤしているんだろう。


 何か見落としていただろうか。いいや、きちんと筋は通っているはず。それなら、どうしてこんなに胸がザワザワするんだろう。


 空を見上げれば、僕の心とは対照的に澄み切った青空が広がっていた。

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