第39頁 温度
3月20日、午前9時、宿屋入り口。
「今日も早いねぇ、陸奥さん」
「おはようございます、楓さん」
「おはようさん」
僕が宿の入り口で靴を履いていれば、後ろから女将の楓さんが話しかけてくれる。
「調査は順調かい?」
「んー、順調だとは思うんですが、何だか納得出来なくて」
「あらぁ、そうなの。元気だしなね! そうだ、今日の夕食は陸奥さんの好きな物にしよう。何がいい?」
「ありがとうございます! カレーライスでお願いします!」
「とびきり美味しく作るよ」
「わーい! やったー!」
楓さんの心遣いに胸が温かくなる。彼女だけじゃない。この村の人たちは、ひまわり畑の謎の解決を待ち望んでいて、その調査にやってきた僕に対して、みんな励ましてくれたし、優しくしてくれた。
だけど……もし僕が突き止めた真実が、『異形たちが好物を食べたかったから』だとしても、あなたたちは喜んでくれますか。以前と変わらず、僕に接してくれますか。
胸の中のモヤモヤが何だか加速したような気がした。
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい! ご飯楽しみにしててねぇ」
「ありがとうございます」
あたたかな声を背中に受けながら、僕は今日も瑞穂山へと向かう。そこに何が待っているのか、知らないままで。
※※※
3月20日、午前10時、ひまわり畑。
「どうしたものか」
調査報告書を手に僕は一人呟く。胸のモヤモヤは晴れないけれど、状況の整理をしながら報告書を書こうとペンを取った。
……だけど、正直に全部書いていいのだろうか。嘘偽りなく書くと『異形たちが好物をずっと食べたくて細工をしたが、人間に害はなく怖がる必要なし』ということになる。
多分まともに報告書を読んでくれる人なんていないよね。もしかすると僕は研究所から追い出されるのかな。異形に洗脳されてるとか何とか言われて。
でも人類としては異形たちが悪いことをしているって結論付けて、大規模な駆逐作戦を決行したいんだと思う。
彼らはそんなことしないのに。
僕がため息をつきながらそんなことを考えていると、控えめな足音と共にアサヒさんが。
「あ、アサヒさん、おはようございます!」
「……お、はよう、ございます」
あれ? 様子がおかしい気がする。
いつにも増して、マフラーが上に上がっていて顔が見えない。何だか僕に対する警戒レベルが上がったようにも見えるその仕草だけど、心なしか声は普段より温度があるように感じた。
「アサヒさん?」
「何ですか?」
あっ……気のせいだったかもしれない。普段通りの極寒ブリザード対応かもしれない、これは。ちょっと舞い上がっていただけに、この落差は心に来る。冷たい、寒い、凍え死んでしまう……
「先日の、ことですが」
僕が対応の冷たさに震えていると、再び声に温度を取り戻したアサヒさんが口を開く。
はて、先日? どれだ? アサヒさんの言っている先日とはどれのことだ? ちょっと心当たりが多すぎて分からない。
「話したくないこともあるので、全てにお答えすることはできませんが……少しだけなら、いいですよ」
彼女のその言葉で、僕の顔が一気に熱を持った。
『あなたのことを教えてください!』
あああぁぁぁぁ、あれか! あのことか! 思い出しただけでも真っ赤になってしまう台詞を言った、あの話かぁ!
恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。いやでも、アサヒさんのことを知りたい気持ちは嘘じゃないし、恥ずかしがることではないとは思うんですけど……やっぱりさ、ねぇ?
ん、でもあれ? アサヒさん今いいよって言ってくれた? 全てじゃないけど、僕に教えてもいいよって言ってくれた?
「嬉しいです! ありがとうございます!」
「近づかないでください」
「……ごめんなさい」
正直に白状します。テンションが上がってつい、抱きしめようとしてしまいました。僕が彼女に向かって両手を広げた段階で、アサヒさんに先手で断られました。本当に申し訳ないと思っております。
だけど一番気にかかるのは、彼女に怯えた表情をさせてしまったこと。いきなり男が抱き着いて来ようとしたわけだから、怖く思うのは当然の反応だと思うんだけど、何だかそれ以上の恐怖が乗っているような気がして気になった。
でも、多分聞いたとしても、「答えたくない」って言われる類の質問なんだと思う。
「それと……お願いがあるのです」
「お願い?」
怯えた表情から一転、恥ずかしそうに頬を染めながらアサヒさんが切り出す。ぐぅ……その上目遣いは反則では? そんな仕草されたらどんなお願いでも聞いてしまいそう。
「……私は少ししかお答えしないのに図々しいことだと分かっていますが、私も陸奥さんのことを知りたいのです」
「僕のことですか?」
「はい。陸奥さんと私は……その、と、とと、と……」
「と?」
「と……と、友、達だと思うのです。だから私のことを少し知ってほしいと思ったし、私も陸奥さんのことを知りたいと思いました」
とも、だち
アサヒさんから紡がれたまさかの言葉に、僕はついポカンと口を開けてしまった。極寒ブリザード塩対応のアサヒさんに友達認定してもらえるなんて。
「友、達だと思っていたのは、私だけでしたか?」
普段の冷たい声とは一変、アサヒさんは寂しそうな声で問いかける。僕の反応が不安なのだろう、その瞳が切なげに揺れていた。
初めてですね、そんな反応。彼女の珍しい様子に、しばらくぼけっと眺めていたのですが、いつまでもそのままだと泣かせてしまうような気がして、急いで返事をする。
「ぼ、僕も! アサヒさんのこと、お友達だって思ってます! 大切な、とっても大切なお友達です!」
「そう、ですか」
アサヒさんから、ふぅと静かに息が抜ける音がした。改めて彼女の様子を伺ってみると、マフラーを上げながらもにょもにょとしている。
「良かった、です」
嬉しそうに紡がれた言葉。心の底から安心し、紡いでくれたと分かった。だけど……だけど、ほんの少しだけ、寂しい感情が見えたのは気のせいですか?
「何か?」
「あ、いえ何でもないです」
はいまた極寒ブリザードが吹雪いているぅ。この落差が結構心に来るのですよ。今日は上がったり下がったり忙しいなぁ、まったく。
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