第15頁  背後をご覧ください

 2月14日、午前11時、ひまわり畑。


 皆様こんにちは、陸奥でございます。えっとですね、実は今ちょっと困ったことになっておりまして。話を聞いてもらってもいいでしょうか。


 まずは僕の背後をご覧ください。僕はいつものようにひまわり畑に来ていますが……あ、違います、見てほしいのは蜜を取っているアサヒさんではありません。そのもう少し後ろにある木の辺りにご注目ください。


「!」


 ガサッ


 ほら、今動いたでしょう? 僕が振り向くと、ああやって木の陰に隠れてしまうのです。狐の異形でしょうか。ふわふわで金色の尻尾が丸見えでございます。本人は隠れているつもりかもしれませんが、バレバレなんですよねぇ。愛おしい……

 だけど、彼是30分以上あんな感じでして。出てきては隠れて、隠れては出てきての繰り返し。あの木の位置から全然動いていない。アサヒさんに用事があるのかな? もしかして怪我をしている? あの様子だと何か訳ありなのでしょうか。


 そして、アサヒさんは気がついていないの? 彼女は僕に背中を見せる形で作業をしているので、狐さんが隠れている場所の正面に居る。あんなあからさまに見ているのに、気がつかないなんてことはないよね?

 異形には優しいアサヒさんが無視をしているとは思えない。向こうから話しかけてくれるのを待っているとか?


 と、いうことで、僕はどうしたらいいのでしょうか。アサヒさんに知らせるべき? それとも狐さんの方に話しかけるべき? もういっそのこと何もしない方がいい?

 どうしよう……
















「あのぉ、アサヒさん。あの子何か用事があるのでは?」


 散々悩んだ後、僕は結局アサヒさんに相談してみた。みなさん、一緒に悩んでくれてありがとうございました。いろいろ考えましたが、あんな状態の狐さんを放っておくなんてできなかったよ。


「あの子?」

「ほら、正面の木の影です」

「……あ、狐さんですね」


 僕が木を指させば、目を細めて狐さんを見つめている。この様子だとアサヒさんまさか……


「30分以上あんな感じですが」

「なんと⁉」


 やっぱり、気がついていなかったんですね。蜜の採取に集中し過ぎていたのかな。教えてあげて良かった。

 よし、後は怪我の治療なり何なりをアサヒさんが対応するだろう。僕は自分の調査に戻ろうか。いやぁ、良いことをした後は、気分がいいですねぇ。


「陸奥さん、あなたに用事があるようです」

「ん? 僕ですか?」


 鼻歌混じりに調査開始しようとしていた僕の耳に、アサヒさんの言葉が届いた。え、僕に用事ですか? たぶんあの狐さんとは初めましてだと思うのですが、用事とは?


「はい。あなたに挨拶をしたいとおっしゃっています」

「なる、ほど?」


 え、というかアサヒさん今会話しているんですか。結構距離離れていますけど、聞こえるんですか。僕には何も聞こえないのに。

 ……あ、でも狐さんの口元が微かに動いているような気もしますね。ダメだ、全然聞こえないや。もしかして若い人にだけ聞こえるモスキート音的な奴ですか? ……いや、僕まだ22歳ですけど⁉


「陸奥さんが最初に来てからずっと、タイミングを見計らっていたとのこと。今まではもっと隠れこんでいたようですが、ようやくあの木の位置まで来る勇気が出たみたいですね」


 僕が悶々と耳を澄ましていると、アサヒさんが言葉を続けた。

 え、今までもひまわり畑の近くに居たのですか。全然気がつかなかった。あ、でも最初の頃に視線を感じたことがあったような。あれは狐さんだったのですね。


「臆病で人見知りな性格の方なんです。どうぞ気長に待ってあげてください」

「構いませんが、狐さんは僕に挨拶するためだけにわざわざここに?」

「いえ、元々彼女はひまわりの花を眺めるのが好きみたいです。陸奥さんが来るずっと前から、毎日のようにここに来ていました」


 と、いうことは、後から来た僕のせいで、きちんとひまわり畑を楽しめていないのでは? 何だか申し訳ないな。でも、僕もここの調査をするために来ないといけないし……


「僕はここに居ていいのでしょうか」

「もちろんです。そのうち声をかけてくれると思いますから、陸奥さんはお気になさらず。調査を続けてください」


 僕がチラリと狐さんの居る方に目を向ければ、ピッと慌てながら木の陰に隠れてしまった。緊張をしているだけで、特に悪い感情を向けられているようには思わない。アサヒさんの言う通りゆっくり待っていていいのだろうか。




 ※※※




 日が傾きだし、辺りが暗くなり始めた頃、アサヒさんは瓶をほとんど埋め、僕はそろそろ今日の調査を終了しようかなと片付け始めていた。しかし……


「えっとぉ、僕今日はそろそろ帰ろうと思うんですけど……」


 今日一日ずっと背中に視線を感じるだけで、狐さんからは何のアクションも出てこなかった。このまま帰っていいのだろうか。


「そうですか、お疲れ様です。さようなら」

「狐さんのことはいいのでしょうか」

「あぁ、『私のことはお気になさらず』とのことです」


 そう言われましても。

 だけど、僕の方から近づいたり声をかけたりするのは、彼女にとって負担だろうな。あそこに居てくれるだけで、きっと相当の勇気を出してくれていると思うし。狐さんのペースで話しかけてくれるのを待ちたいと思う。アサヒさんの言う通り、気にしなくてもいいのかな。


「それではアサヒさん、お先に失礼しますね」

「はい、さようなら」

「狐さんも、さようなら」


 僕は狐さんにも頭を下げてひまわり畑を後にする。狐さんときちんと話ができるようになるのは、いつだろうか。僕に見えるあの位置に来るのにも結構時間をかけているから、しばらく話はできないんだろうなぁ。


 でも、挨拶がしたいと思ってくれる異形がいることに、胸の中がポカポカした。いつになるかは分からないけれど、狐さんの心が整ったら僕も優しく挨拶ができたらいいなと思う。だけど……


「……」


 一人きりの帰り道、辺りを雪が包み込む白く静かな山の中で。


『陸奥さんが来るずっと前から、毎日のようにここに来ていました』


 先ほど教えてもらったアサヒさんの言葉。その言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだことがある。


 狐さんは、あの日あの時……

















 僕が異形のお母さんを撃ち殺そうとしたあの時、ひまわり畑に居ましたか?

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