第16頁  どやぁ

 2月15日、午前10時、瑞穂山中腹。


「……」


 今日はひまわり畑に行こうと思えなかった。調査が進んでいないから、行かないといけないんだけど、どうしても足が向かないんだ。多分……昨日の帰り道に考えてしまったことが関係しているんだと思う。


 僕に挨拶をしようとしてくれている狐さん。そう思ってくれることは純粋に嬉しいのに、手放しには喜べない自分が居る。狐さんは本当に僕に挨拶がしたいだけですか。他に何か伝えたいことがあるんじゃないですか。そう考えると、胸の奥の傷がズキンと疼いた。


「冷たっ!?」


 痛む胸を擦りながら歩いていると、凍えるような冷たさを感じ、現実に意識が戻ってくる。足元を見れば、川に足を突っ込んでしまっていた。全然気がつかなかったよ、右足がべちゃべちゃだ。


「はぁ……」


 ため息をつきながら、川辺に座り込む。

 静かで穏やかに流れる川。太陽の光が降り注ぎ、キラキラと光っていた。水が流れている様って、何だか癒されるよね。少し休憩していこう。だけど……


「ん!?」


 目の前をぷかぁと浮かび、流れていく物体が。あれは異形かな? 体長は30センチくらい。天狗さんだろうか、顔の中心部から真っ赤な鼻が天に向かって伸びている。黄色い半纏に、緑色のズボン。


 でも……あれはどういう状況なんだろう。自分の意志で流れているのか、不慮の事故で流されてしまっているのか。でも川の水めちゃくちゃ冷たかったし、自らこの寒い真冬に川に入るなんてことあるのかな?

 助けた方がいいのか? いや、でもあれは助けを求めてる? 何となくだけど、その表情は柔らかくて、水に揺蕩うその心地を楽しんでいるようにも見える。いいよね、僕も水に浮かんでる感覚好き。もし、楽しんでいるだけなら邪魔をするのは良くないよね……んー、困った。


 僕が考え込んでいる間にも、天狗さんはぐんぐん流れていく。怪我をしているような様子はないので、このまま見送ろうかなと思っていたんだけど、彼が向かう方向からゴウゴウと音が聞こえた。


「ちょっと待って‼ 滝⁉」


 高さ15mはあるだろうか。立派な滝がそこにはあった。一分も経たないうちに天狗さんはたどり着いてしまうだろう。僕は慌てて川に飛び込んだ。




※※※




「死ぬかと、思った」


 はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、僕は呼吸を整える。何とか天狗さんの救出に成功して、今陸に戻ってきたところなんだけど、陸万歳、愛してる。全身全霊で大地全体に感謝申し上げる。

 と、いうか寒い。とんでもなく寒いし冷たいし死にそう。なんで天狗さんはこの冷たさを、あんな穏やかな表情で流れていられたのか不思議で仕方ない。


「bqnap」


 僕がぶるぶると身体を震わせる中、引き上げた天狗さんは状況が良く分かっていないみたいで、キョトンと首を傾げている。いやいや、首を傾げたいのはこちらですよ。なぜあんな風に流れてたんだ、この天狗さんは。


「えっと、大丈夫ですか? 流されてましたけど」

「jobmi⁉ ba@k。svdvla」

「……」

「h@sb! nrm! sgek!」


 分からぬ、全く何を話しているのか分からない。だけど、天狗さんは身振り手振りで一生懸命伝えてくれるので、僕も何とか理解したいと努力してみる。


 山頂の方? 流され……違うな、遊んで? ん? もしかして眠って? 川の流れが心地よくて、眠ってしまったら、ここまで流されてた?


「と、いうことですか?」

「u@bshn」


 天狗さんはどやぁという表情をしながら、肯定してくれる。いやいや、どや顔されましても、困りますがな。僕が居なかったら滝壺まで真っ逆さまだったんですよ、なぜそんな自慢げな。


「クシュンッ」

「‼」


 うぅ、寒い。このままじゃ風邪引いちゃう。真冬の山奥でずぶ濡れ状態。早く宿に帰って温かいお風呂に入りたい。

 眠って流されていただけなら、やっぱり怪我もしていないし、もう僕が居なくても大丈夫だよね。早く帰ろう……


「urb@n」

「?」

「ahinev」


 僕がカタカタ震えていると、天狗さんはズイっと手を差し出してきた。どゆこと? 握手? よく分からないけど、とりあえず彼の方に震える手を差し出してみる。すると、握手しようとした僕の手を交わし、天狗さんは小さなその指で、ツンッと僕の手のひらに触れた。


「!?」


 それと同時に僕の全身に風が駆け巡る。頭のてっぺんから足先まで、ぶわぁと凄い勢いで走った。そして……


「乾い、た?」


 ほんの数秒前までずぶ濡れだったのが嘘のように、パリッと乾いていた。天狗さんの起こした風が水分を飛ばしてくれた? え、今のどうやったんだろう。魔法みたいだった。

 そして、改めて天狗さんのことを見てみると、彼は全く濡れていなかった。彼の着ている着物も、その皮膚も水滴一つついていない。水を弾く性質でも持ってるの? 


「uhndm」


 僕がびっくりしながら彼のことを見ていると、天狗さんは腰に手を当てて先ほどより、どやぁ感を出しながらドヤ顔を披露してくれる。うん、今のは確かにドヤッてもいい行為だと思います、はい。


「乾かしてくれて、ありがとうございました」

「8hwb-!」


 拍手を送りながら僕が頭をさげると、天狗さんの顔がぱぁぁぁと輝いた。そして、徐に袴の中に手を突っ込んで、テッテレーと巾着袋を取り出す。表面には顔が描かれており、ピンク色をした可愛らしい巾着袋。

 紐をほどいて手を突っ込んでいる天狗さんの表情は、買ってもらったおもちゃを友達に見せびらかしたくて仕方のない子供の様。フンフンと鼻息荒く、瞳がキラキラと輝いていた。可愛い。

 無邪気な天狗さんのその様子に僕は頬が緩むのを感じる。きっと他にも魔法の様な力を僕に見せたいんだろうな。風の次は何を見せてくれるのだろうか。ワクワクしながら様子を観察していると……


「m?」


 短い金属音を発しながら、天狗さんの顔が曇った。彼は今、巾着袋の中身をごそごそと探っていた訳だが、外に取り出した手には何も握られていない。首を傾げながら、巾着袋の口を大きく開いて中を覗き込んでいるが、その表情は晴れない。そして今度は巾着袋を逆さまにして、ブンブンと振っている。しかし、巾着袋は空っぽのようで、何も出てきてくれない。


「guhaemg」

「えぇ!?」


 一体どうしたのだろう、と眺めていたんだけど、天狗さんの瞳がじわぁと涙でいっぱいになってしまった。さっきまでキラキラの笑顔だったのに、この変化。僕は混乱を隠せないのだが、天狗さんはえぐえぐしながら、ボロ泣きである。


「どうしたんですか?」

「9jb@w」


 僕が駆け寄れば、泣きながら足にしがみついてきた。その様は、ソフトクリームを落としてしまった子供が如く。何この子、愛おしい!

 とりあえず彼を宥めるために、抱き上げて背中をポンポンしてみる。だけど天狗さんは鼻水グズグズで、しばらくは泣き止んでくれそうにない。どうしよう……

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