第三章

第14頁  夜のお出かけ

 2月11日、午後10時、宿屋玄関。


「あら、陸奥さん、こんばんは」


 僕が玄関で靴を履いていると、後ろから声が響いた。振り向けば宿の女将、楓さんが。


「こんばんは、楓さん」

「こんな時間にお出かけかい? 外、寒いよ」


 楓さんが目を丸くしながら問いかける。彼女の言う通り、外では雪がシンシンと降るほどの寒さ。本当は部屋の中でぬくぬくしていたい。心からそう思う。だけど……


「何か手がかりを掴めればと思いまして」


 はい、ひまわり畑の調査が全く進んでませんので! ぬくぬくしている訳にはいかないのですよぉ……

 言い伝えとは違う様子の、異形たちの謎も重なってしまったけれど、僕はひまわり畑の調査のためにここに来ている。いつも昼間に調査をしていたが、夜だけ変化することがあるかもしれない。暗闇に反応する何かがあったり、月明かりに関係したりとか。と、思い立ち出かけてきます!


「あら! ダメだよ、そんな恰好じゃ風邪引くよ。これ付けて行きなさい。ちょっと屈んでおくれ」

「え、いいんですか。ありがとうございます」

「気にしなくてもいいんだよぉ。陸奥さんは私たちのために頑張ってくれてるんだから、これくらいはさせて」


 屈んだ僕に、楓さんは自分のストールを巻き付けてくれる。優しい若葉のような香りを感じるとともに、胸の中がポカポカと熱を持った。

 寒いのは嫌だけど、僕が頑張って手がかりを見つけることが出来たら、みんなのためになるもんね。


「まったく、異形たちが居なければ、陸奥さんが寒い思いをすることもないのに。異形に会ったら、すぐに銃を撃つんだよ」

「……」


 だけど、温かい感情はすぐに温度を失った。

 怖い思いをした。死ぬんじゃないかって覚悟もした。でも、まだほんの少ししか関わりを持てていない僕だけど、異形たちは出会ってすぐに発砲されていいような存在じゃないと思う。


「あの……」

「ん?」

「……いえ、何でもないです。行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 異形たちは僕たちが思っているような存在じゃないかもしれません……そう、伝えようと思ったのに、声が出なかった。

 伝えた時の楓さんの反応が怖かったから。彼女の笑顔が歪んだ物に変わると思ったから。臆病な僕の心が、声を上げるのを邪魔した。


『異形は人間の敵である』

 ずっと言い聞かされてきた、この事実。少なくとも、僕が出会った異形たちには、この言葉は当てはまらない。

 アサヒさんは『人肉を食べる異形はもう存在しない』そう断言した。だけど、僕はまだそう断言できない。どこかに肉食の子が隠れていたり、あまり考えたくはないけれど本当は肉食で油断させるために害のないフリをしていたり、そういうこともあるんじゃないだろうか。だから正直、まだ信じられない気持ちの方が大きい。

 こんな中途半端な状態で、しかもはっきりとした根拠もないのに、世間に公表したらどうなるか。ただ混乱させて、不安を掻き立てるだけだろう。


「はぁ……」


 これからもっとアサヒさんの話を聞いて、異形たちと触れ合うことが出来たら、確信を持って打ち明けられるようになるだろうか。

 楓さんの温かい視線を背中に感じながら外に出れば、吐いた息が白く染まった。吐息に誘われて上を見上げると、モヤモヤとする僕の心とは対照的に、夜空はどこまでも澄み渡っていた。




※※※




 2月11日、午後11時、ひまわり畑。


「ヘックション」


 モヤモヤとした感情を抱えながら、僕はひまわり畑にやって来た。とりあえず調査をしなくては! 僕はこのひまわりたちの謎を解明するためにここに来たんだ。異形の謎は、今は置いておこう。


 まずは角の観察から取り掛かる。以前鹿の異形が置いていった角。あれからずっと観察を続けているけど、今日も特に変化なし。角は角としてそこにある。何か目的を持って置かれたように感じたけど、僕の思い違いだったかな。

 そして、角だけじゃなくて、ひまわり畑にも昼間と違う所は見つけられなかった。一応、花と土を採取したから、ここから何か見つかるといいんだけど。


「それにしても、綺麗だな」


 暗い気持ちを吹き飛ばすため、目線を上げればため息が出るほどの美しい光景が。目の前に広がるひまわり畑は、昼間とはまた雰囲気を変えていた。

 彼らを照らしてくれているのは、優しい月の光だけ。雪の白が光を反射して、幻想的な空間を形作っている。


「山頂の方に行ってみようかな。月も綺麗だし」


 普段とは異なる雰囲気の山に、寒さを忘れて気分が高揚した。そして、空を見上げれば満月が。天から優しく見ていてくれる存在に、あと少し近づきたいと思った。




※※※




「わぁ」


 山頂にたどり着くと同時に、声が漏れた。ひまわり畑で見たよりも、大きく近く輝いている満月と、それに負けないくらいに立派な大木が一本。がっしりとした幹と、大きく手を広げ包み込んでくれるような枝。そして……


「あれ、アサヒさん? こんばんは」

「こんばんは」


 そこにはアサヒさんの姿も。予想外の人物の登場にびっくりとしたけど、アサヒさんもお月見来たのかな?


「こんな時間にまだお仕事ですか? ご苦労様です」

「あ、はい、ありがとうございます。アサヒさんは何をされていたんですか?」

「木の実を取っていたんです」


 その言葉と共に彼女の手元を見ると、籠いっぱいの木のみが。わぁ、綺麗な木の実。大小様々、色彩も様々の木の実たち。初めて見た、こんなカラフルな木の実。


「彼の実らせてくれる木の実が美味しいんです。異形たちの間で人気なんですよ」

「へぇ」


 やっぱり異形たちにあげる木の実なんだ。この寒い夜の下、山頂まで来て準備してあげるなんて、本当にアサヒさんは異形想いだよな。

 ……ん、待って。今アサヒさん『彼の実らせてくれる木の実』って言った? 彼って、まさか……


「アサヒさん、もしかしてこの木って……異形ですか?」

「はい、そうです」


 ですよねぇ。こんなにカラフルな木の実を実らせる木なんて聞いたことないもん。何となくそんな気がしていたけど、やっぱりそうなんだ。


「brtbhj@」


 発された金属音に誘われて、僕が大木の方に目を向けると、一つの幹にギョロリとした目が見えた。そして、反対側には口も存在する。ずらりと生えている鋭い歯に少し怖いと思ってしまったけど、僕と目が合うと人懐っこそうな笑顔を浮かべて、フリフリと枝を揺らしてくれた。


「2500年前の、最初に出現した異形の頃からここに居るそうです。人間が近くに居る時は、普通の木のフリをして過ごしているとおっしゃっていました」


 大きい木だから、何年も生きてるんだろうなって思ってたけど、想像以上に長生きだった。そして、堺の内側でそんなに長く生きてこれたのは、目を閉じ口を開かなければ、普通の木とあまり変わらないからだろう。


「こんばんは」

「gisbnsm」


 僕が挨拶をすれば、先ほどよりもっと大きく枝が揺れた。そして、ニッコリと大木の異形は笑う。


「あ……」


 その笑顔を見て、僕の中に温かな感情が流れ込んできた。長い時の間、人も動物も植物も異形も、全てをずっと見守ってきた大木。彼は好きなんだろうな、この世界に生きている全ての命のことが。そう、感じさせてくれる優しい笑顔だった。


「uhs@nbb」

「『出会えたことを祝して、いいものを見せてあげる』だそうです」

「いいもの?」


 僕が首を傾げていると、アサヒさんが三歩ほど下がり僕を手招きしてくれる。下がってみると、木の全体が見える位置取りとなった。

 そして、大木の異形からはどこか楽しそうな雰囲気が。彼は何を見せてくれるんだろうか。緊張半分、ワクワク半分で見つめていると、次の瞬間……


「ぁ」


 大木になる果実一つ一つが光り、イルミネーションのように輝いた。だけど、人工的に作られた電飾とは異なり、そこには血の通った温かさが感じられる。温かくて、優しくて、だけど少しだけ切なくて。そんな幻想的な景色。


「凄く、綺麗です」


 ありきたりな言葉しか出てこないけれど、とても綺麗。夜なのに、昼間と錯覚するほどの明るさと温かさがそこにはあった。


「どうやって、光を生み出しているんですか?」

「気合と根性で光っているみたいです」

「……」


 そんなことあります? 『光るぞぉ』って気合を入れたら、根性で光っているってことになりますけども?

 全然納得できないけど、実際に目の当たりにしている訳で、アサヒさんは嘘言わないと思うし。


「ugrbp」


 僕が一人難しい顔をして考え込んでいると、大木の異形がクスクスと笑うように枝を揺らした。彼の生み出すその音が、雪が静かに降り積もるように、僕の心の中にも降り積もる。


『異形は人類の敵である』『やられる前に撃ち殺せ』

 世界は彼らを悪だと言うが、こんなに心を動かしてくれる彼は、本当に悪だろうか。温かくて優しい景色を作り出してくれる彼は、駆逐しなくてはいけない危険な存在なのだろうか。


 胸の奥深くにある傷が、ズキンと疼いたような気がした。

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