第48頁  綺麗な人と言ってくれますか

「この姿を見ても、まだ綺麗なと言ってくれますか?」


 今まで頑なに取らなかったマフラー、手袋、ローブが次々に外されていく。そして、下から現れたのは……


「こんな姿……人間とは呼べないですよね」


 僕がさっきアサヒさんの手を握って覚えた違和感。その答えがそこにはあった。魚のような鱗。指と指の間には水かきのような膜。そして長さと色の違う指。

 手だけじゃない。前髪で隠していた左の瞳は真っ黒に染まり、頬にかけて無数の小さな目玉がギョロリとこちらを向いていた。額には小さな角、口には左右の長さが違う牙、舌は蛇のように細長く二本に割れている。


「私は元はちゃんとした人間だったんですよ。でも今では身体中、切って貼り付けた皮膚ばかり。お腹には瞳があるし、お尻には尻尾も。足は左右の長さが違います」


 シャツを捲れば、彼女の言う通り色形様々な皮膚が並び、腹部にギョロリと大きな瞳があった。腰の辺りからはライオンのような細長い尻尾がパタパタと動いている。右足は馬のような蹄のある足で、左足は象のようなしっかりとした足だった。


 ずっと僕と距離を保っていた理由はこれだろう。視線さえも翻し、一定の距離内に入らせなかったのは、僕に触れられたくなかったから。継ぎはぎだらけのその皮膚を、僕に悟らせたくなかったから。

 極寒ブリザードの対応も、冷たく刺すように見つめる瞳も、全部全部……自分自身を隠すために身につけた、いや、身につけさせてしまった寂し過ぎる習慣。


「外側だけでなく、内側もぐちゃぐちゃです。今生きているのが不思議なくらいに。唯一弄られていないのは、この右目だけ。両親と同じ緑色の瞳。以前、陸奥さんが綺麗だと褒めてくれて嬉しかったです」


 好きな色は何色ですか、そう聞いた時の彼女の表情が自然と僕の頭に浮かぶ。あの時『緑色』と答えたアサヒさんの声は、とても温かかった。彼女にとって、緑色は、両親との繋がりを感じられる大切な色。そして、人間として生きたことを証明する唯一の色。


「心臓も私の物ではありません。いつ死んでもおかしくないくらいの身体なのに、もう1500年も生きています」


 先ほども告げられた1500年という年月。だけどよく考えればすぐに分かったことだ。エルが語るアサヒさんの過去は、いつも異形たちが世の中を我が物顔で歩いているような時代の出来事。そんなのは今よりずっとずっと昔、異形が出現した初期のこと。


「私は両親が異形に殺されまして。路頭に迷っていた所を研究所に連れて行かれました」

「研究、所……?」


 アサヒさんの言葉で今まで点として浮かんでいたことが、一本の線に並び始める。1500年前、研究所……僕の背中に嫌な汗が流れ落ちた。


「最初の異形がこの世に現れた後、少しは世界が落ち着いた頃の話です。当時は今よりもっと異形に対する恐怖が強くて、何としても異形を駆逐したいと、必死でした」

「……」

「鉛で弱体化させた異形を用いて、毒、熱、放射能などを投与し、様々な実験がなされました。そして、私のようなキメラを作り出すという研究も、その中の一つです」


 服を元通りに整えたアサヒさんが遠くを見つめながら、話してくれる。彼女の瞳は今までで一番寂しい色をしているような気がした。


「鉛以外に、異形と戦える兵器が欲しかったんです。全ては、この世の異形を駆逐するために」


 兵器、と表現したアサヒさんの言葉が胸に刺さった。人間と肉食の異形たちの戦いの真っ最中。たくさんの人が食べられ、たくさんの異形が撃たれて、多くの命が消えていたそんな時代。鉛以外の対抗手段は、人類にとって光だろう。


「毎日が実験で、切って貼って混ぜての繰り返し。私の他にも同じような子がたくさんいましたが、異形の身体と馴染めず倒れたり、自我を失って殺されたり……とても苦しい日々でした」


 当時のことを思い出し、身体が痛むのだろう。アサヒさんは自分の腕で身体を抱くように小さく縮こまる。


「だけど、そんな日々は突然終わりを迎えたんです……研究所の、爆発によって」

「爆、発……」

「元人間なので、私たちは異形特有の祈りの力は使えません。ですが『地獄の日々から抜け出したい』大勢でずっと祈ったのが届いたのでしょうか。はたまた捕らえていた異形が暴れたのでしょうか。真相は分かりません」


 あぁ、やっぱり……やっぱりそうなんですね。


『ロッカス研究所北東支部、研究員全員死亡の大爆発事故』

『陸奥は何者なの?』

『ロッカスってあの爆発事故の所だよね? 1500年前の』


 今までの言動が頭の中を駆け巡り、一本の線に並んだ。


「ロッカスなんですね、アサヒさんをその姿に変えたのは」

「はい」


 震える声で尋ねる僕に返ってきたのは、彼女からの肯定の言葉。自分の所属する研究所がそんなことをしていたなんて。衝撃的な事実に気が遠くなりそう。


「陸奥さんが責任を感じる必要はありません。キメラなんていう非人道的な実験、公にはできないので秘密裏に行われてきました。それに加えてあの爆発事故。資料もデータも、そして実験を行っていた研究者たちも、全て灰になったんです。何も知らなくて当然です」


 僕の動揺を悟り、優しく声をかけてくれるアサヒさん。その声に誘われて、彼女の方へ顔を向ければ、あたたかい緑色の瞳。その瞳には、僕を責める感情も、怒りも悲しみも呆れも、何も浮かんでいなかった。ただ包み込むように見つめてくれるだけ。だから尚更苦しくなる。その優しさに。


「爆発の後、気がついたら森で倒れていました。近くに生き物の気配はなく、ただただ全身が燃えるように痛かった」

「……」

「この痛みを何とかしてほしくて、誰かに助けて欲しくて、必死に森の中を進みました。すると、近くに村があったんです。あの時程、人の姿が見えて安心した時はありませんでしたね。『あぁ、やっと苦しいことから解放される』と、自然と涙が溢れました」


 だけど……


「そんな私に向けられたのは銃口です」

「……」

「『撃たないで』と声にしたかったのに、私の口からは金属が擦れたような音しか出てこなかった。バカですよね、声帯を弄られているんです。発語するための舌も自分の物ではありません。きちんとした発音をするなんて、不可能なのに」


 もちろん発砲されました、と彼女は告げる。


「幸い村人の撃った弾は私には当たらず、森へと入れば追っては来なかったので何とか逃げ延びました。だけど、撃ち抜かれたかのように、胸が痛かった。私は生きていてはいけないのだと、世界に言われたような気がして」

「……」

「その後、池に映った自分の姿を見て、初めてこんな形をしていたのだと知りました。とてもじゃないけど、人とは呼べないこの姿。その時村の人の行動の意味がようやく分かりました。目の前にいきなり異形が現れたら、取る行動はたった一つ」


 彼女は指で拳銃の形を作り、自身の胸に突き刺した。

 僕はその動作で、最初に彼女と出会うきっかけとなった骸骨のお母さんを思い出した。ただ娘を返してほしかった母親に対して、僕は彼女が異形だという理由だけで撃ち殺そうとした。当時のアサヒさんに向けられた銃口もそういう理由だろう。人間は『異形がそこにいる』という理由だけで、弾丸を撃ち込む大義名分を得るのだから。


「それから言葉を練習し始めました。私が元人間であること、害するつもりがないことを伝えれば、きっと何かが変わると思ったので。それに……」

「?」

「以前もお話しましたが、人の近くは心地よいのです。身体の芯からポカポカと温かくなるような感じがします」


 黒猫さんと出会った時に、アサヒさんが説明してくれたこと。今思えば、あの時「~そうです」「~と言っていました」という他者の代弁ではなく、自分自身の感情として語っていた。


「言葉を練習し始めた頃、エルと出会いました。彼女は元人間である私を受け入れてくれた。隣に居てくれたんです。それだけじゃなくて、自分も練習に付き合うと言ってくれました」


 以前エルが話してくれた、異形である彼女が言葉を話せる理由。

『人間に伝えたい言葉がある子が居て、その子と一緒に練習したの』

 その子が誰だったのか疑問だったが、アサヒさんのことだったのか。


「エルを通じてたくさんの異形に出会いました。幸い耳の器官も弄られていましたから、他の異形の方たちと意思疎通が可能です。特に不自由は感じませんでした」


『アサヒさんは、どうして異形の言葉が分かるんですか?』

 僕の脳裏に以前無邪気に問いかけた問いが浮かんできた。答えは簡単だ。彼女自身の身体が異形だから。だから、言葉を理解することが出来る。そして彼女の驚異的な聴力の良さも異形由来の耳故だろう。


「彼らはみんな、私に優しくしてくれた。人間に対して憎しみの感情を持つ子も居たはずなのに。それでも私を家族だと、そう呼んでくれたんです」

「アサヒさん……」

「嬉しかった。こんな私を受け入れてくれる存在なんて、居ないと思っていましたから」


 あたたかい時間を過ごしたのだろう。アサヒさんの言葉に温度が灯った。そしてその温度のまま言葉を続ける。


「それから少しして、原始の異形に会ったのです」


 原始の異形。異形の始まりであり、厄災の原因として憎まれている存在。


「彼から教えてもらいました。異形誕生の物語を」

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