第31頁  冷たい真実

「こちらお納めください」

「ご丁寧にどうも」


 スライムさんがログハウスを後にした頃、僕はここに来た本来の目的を果たした。スイーツを手渡し、改めてこの前のお礼を告げると、アサヒさんはマフラーをもにゃもにゃしながら、受け取ってくれる。そして、すぐに棚にしまわれたので、ご相伴にはあずかれない。

 彼女が棚を開けた時にチラッと見えたんだけど、先ほどスライムさんが渡してくれた綺麗な石たちもしまわれていた。聞きそびれていたけれど、あれは何なんだろう。


「スライムさんが持ってきた、その宝石みたいな石は何なんですか?」

「異形にとって栄養価の高い飴のようなものです。境の外側、奥深くにしかないので、定期的にスライムさんが届けてくれます」


 へぇ、栄養補助食品みたいなもの? 木の実や花の蜜が主食って前に聞きましたが、こういう物も食べるんですね。

 そしてそれを届ける道すがら石に突き刺さったのか。帰り道も突き刺さっていないといいけど。そう言えば……


「あのスライムさんのことなんですけど、僕は何かしてしまったでしょうか?」

「?」

「最初に驚かせてしまったのは、大変申し訳なく思うのですが、終始怯えられていた気がしまして」


 目が合う度に怯えたように反らされていたし、アサヒさんの身体に隠れるような位置にずっと居たような気がする。でも、招いてくれたのはスライムさんの方だし、どうしたのかなと少し不思議だったのだ。


「すみません、陸奥さんに対する配慮が欠けていました。不愉快な想いをさせてしまってごめんなさい」

「え、いや、不愉快とかではなくて……えっとぉ?」


 僕の話を聞いて、アサヒさんは深々と頭を下げてくれる。彼女の突然の行動に、僕は戸惑いを隠せない。

 不思議に感じただけで、不愉快だった訳ではない。むしろ僕の方がスライムさんに不愉快な想いをさせてしまったんじゃないかなって心配だったけど。


「彼女は以前人間に撃たれて生死の境を彷徨ったことがあるんです。人間を見るたびに、その時のことを思い出してしまうと以前聞きました」

「それじゃあ、最初に僕と出会った時の反応は……」

「はい。撃たれた時のことがフラッシュバックしたんだと思います」


 生死を彷徨うほどの大怪我を負ったスライムさん。その時のことを忘れろという方が無理だろう。恐怖も痛みも、そして苦しさも。彼女だけでなく、そういう経験をしたことがある異形全てが人間に対して恐怖心を抱いていると思う。もちろん、恨みも。……きっと、僕が撃ち殺しかけたあの骸骨のお母さんも。スライムさんと姿が重なって、胸がひどく痛くなった。


「落ち着いてから、陸奥さんは大丈夫だとお伝えしました。しかし、害する意識がないと分かっていても、どうしても心で怯えてしまったのですね。陸奥さんが悪い訳ではないです。すみません、先に説明しておくべきでした」


 説明をしながら、再びアサヒさんが頭を下げる。心の奥深くに染みついた恐怖心は、頭では理解していても簡単に消える類の物ではないだろう。それでも僕に歩み寄ろうと、部屋に招いてくれたスライムさんの心が嬉しかった。


「謝らないでください、アサヒさんは悪くないですよ。もちろんスライムさんも」


 悪いのは、スライムさんを撃った人間だ。何も悪いことをしていない彼らを撃ち殺そうとした人間が全て悪い。


「一つ、聞いてもいいですか」

「はい」


 そして、アサヒさんの話を聞いて、僕の頭の中に疑問が浮かんでくる。どうしてもっと早く疑問に思わなかったんだろうか。今では不思議で仕方ない。


「スライムさんのように、人間を怖がったり、恨んだりしている異形はたくさんいるんですか?」

「……」


 今まで何人もの異形たちと出会ってきたけれど、スライムさんのような反応をする子は一人も居なかった。むしろその反対で、人間に対して好意的な異形が多かったように思う。黒猫さん然り、雪だるまさん然り。

 僕の問いかけに、アサヒさんは何かを探すように視線を彷徨ませた。そして、たっぷりと間を取ったのち、口を開く。


「多くは、ないと思います」

「どういうことですか?」

「……人間に発砲されて、生き延びている異形が少ないんです」


 彼女の言葉を聞いた瞬間頭に浮かんできたのは、何発も銃弾を浴びていたケルベロス。アサヒさんの治療のおかげで、片足を失うだけで命を取り止めることが出来た訳だけど、もしあの時彼女の到着が遅れていれば? もしこの山にアサヒさんと言う存在が居なければ? あのケルベロスはあのまま腐りながら死んでいったのだろう。


「鉛は異形の身体を腐敗させていきます。致命傷ではない箇所に銃弾を受けたとしても、弾を取り除かなければそこから腐敗が全身に広がり命を蝕みます……ですが、異形は自分で撃たれた弾を取り除くことができません」

「え?」

「取り除こうと触れた指先から、腐り落ちていきますから。そして、触れた指先からも腐敗の浸食が始まります」


 彼女のその言葉を聞いて、背筋に嫌な汗が滴り落ちた。確かに彼女の言う通りだ。異形の身体は鉛に弱い。触れた瞬間から皮膚が焼けただれ、腐敗していく。僕も実際に見て来た。

 それは指だって例外ではなくて。弾を取り除きたいと、触れたそばから指も腐り落ちる。つまり撃たれたが最後、命が消えるその瞬間までただ待つしか道がないということだろうか。


「腐敗箇所を切り落として、生き残っている方は居ますがそれも少数。人間は大量に弾丸を浴びせてきますから、出会ったが最後ほぼ殺されます」


 大量の銃弾に貫かれて死ぬか、身体がどんどん腐っていくのを感じながら死ぬか。異形は人間に出会ったら、この二つしか選択肢が用意されていないということか。ひどく残酷なその結末に、一気に心が冷え寒くなる。


「……っ」


 そして、頭に浮かんできたのは、僕が撃ち殺そうと拳銃を構えた骸骨のお母さんの姿で。

 もし、あの時……アサヒさんの到着が数瞬でも遅ければ、僕は異形の母親に銃弾の雨を降らせていたかもしれない。命を刈り取るために、必死になって。

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