第30頁  切なくて苦しい音

 3月3日、午後3時、アサヒのログハウス。


「不用心が過ぎる」


 相変わらず扉を開けたままのログハウス。本当に不用心。真冬だし、こんなに開けっ放しにしておいて寒くないのだろうか。ずっとマフラーと手袋で完全防備な理由ってこういうことなんじゃないの?


 僕は疑問を感じるも、いつも通り壁を叩いて来訪を告げた。先日倒れて迷惑をかけてしまったので、今日はお詫びとして街で話題のスイーツを持ってきた。若い女の子たちに人気の品らしく、きっとアサヒさんも気に入ってくれるはず。いや、絶対に気に入るはず! なぜなら、片道2時間の道のりを頑張って歩き、更に女の子たちで行列ができる中、男の僕が一人並んだんだ! 「彼女さんにあげるのかな」「仲良しだね」などと、周りが勝手な妄想でキャッキャッし出して、とんでもなく恥ずかしかった! だから、喜んでくれなければ困る!

 そして、ちょうど3時のおやつの時間だし、僕も一緒に食べたいなぁ。いいよって言ってくれるかなぁ。話題のスイーツ気になる……


 トントントン


「こんにちはー」


 そんな不純な動機も持ちながら、僕はいつも通り壁を叩く。だけど返事がない。いつもは奥から顔を出すなり、声を出すなり反応があるのに、今日はとっても静か。明かりはついているし、部屋にいるんだろうけど、どうしたのかな? 異形の治療でもしてるんだろうか。


「あのぉ、アサヒさん、スイーツを……」


 僕はゆっくりとログハウスの中に足を進めながら、彼女に呼びかけてみる。だけど一向に返事はなくて。

 寝てるとか? アサヒさんはお昼寝をするタイプの人なんだろうか。でもお昼寝っていいよね、僕も好き。めっちゃ気持ちいいよね。


 お昼寝をしているに違いない、というのほほんとした結論にたどり着き、至福の時間を邪魔するのは良くないので帰宅しようと思ったその時……


「え」


 ちらと視線の端で捉えた赤色に、瞬間息が止まった。ログハウスの一番奥の部屋。その部屋に向かって、廊下に血痕がついている。

 怪我をした異形が尋ねてきたのだろうか。いや、それなら僕が声をかけた時に、アサヒさんから反応があるはずだ。それがないってことは……

 最悪のシチュエーションが頭をよぎり、サーと血圧が下がっていくのを感じる。僕は慌てて奥の部屋へ踏み込んだ。


「アサヒさん!」

「……陸奥さん?」


 僕が部屋に入ると、そこにはアサヒさんが。だけど、倒れていたり、怪我をしている訳ではなく、いつもと変わらず元気そうだった。そして、耳には聴診器が。呼びかけても反応がなかったのは、それ故だったみたいだ。


「無事で良かったぁ」


 最悪の状況にはなっていなかったようで、僕はへなへなと床に座り込んでしまった。だけど、だったらあの廊下から続いていた血痕は一体誰の……


「陸奥さん外に出てください」

「へ?」


 安心していたのも束の間、いつにも増して鋭いアサヒさんの声が耳を刺す。ただならぬ彼女の様子に、僕は慌てて外に出た。それと同時にバタバタと物が落ちる音や、アサヒさんが必死に宥めている声が聞こえた。そして、今まで聞いた金属音の中で、一番切なくて苦しい音が聞こえたような気がする。


 部屋から出る時、一瞬だけスライムのような異形を見た。血痕はきっとあの異形の物だろう。診察中に僕が入室してしまったことで、異形を驚かせてしまったのかもしれない。申し訳ないことをしてしまった。




※※※




「お騒がせしましてすみません」

「いえ、勝手に入ってしまった僕が悪いんです、すみませんでした」


 しばらく待っていると、アサヒさんが呼びに来てくれる。心なしか彼女のその表情が疲れているように見えた。僕、今日はもう帰った方がいいですね。スイーツだけ置いて大人しく退散することにしよう。


「今日はもう帰ります、本当にすみませんでした。部屋に居る異形さんにもお伝えください」

「いえ、陸奥さんを呼んでほしいと頼まれています。一緒に来てくださいませんか?」

「え、いいんですか?」


 思ってもみなかった提案に、僕はポカンと口を開けてしまった。怪我をしているようだし、あまり刺激しない方がいいんじゃないかと思ったけれど、呼ばれているなら行った方がいいのかな? それに直接謝れるなら、その方が僕としてもありがたい。


「失礼します」


 アサヒさんの案内のまま足を進め、部屋に静かに入室する。すると、部屋にはやはりスライムの異形が。水のように透き通った水色の丸い体をプルルンと揺らしている。


「先ほどはすみませんでした」

「8yqghup」

「『こちらこそ、驚かせてごめんなさい』だそうです」


 僕が謝罪をすると、スライムさんも申し訳なさそうに頭を下げてくれる。頭には包帯が巻かれていた。廊下にあった血痕の正体だろう。結構な血の量に見えたんだけど、スライムさんは元気そう。だけど、その怪我は人間に撃たれてしまったんだろうか。


「スライムさんはここに来る途中で、石に突き刺さったそうです。人間に撃たれた訳ではありません。安心してください」


 僕が暗い顔をして包帯を眺めていると、アサヒさんがこっそりと教えてくれる。人間に害された訳ではないと知って安心したけれど、今石に突き刺さったって言いました? 大丈夫なのですか? 頭の辺りに包帯が巻かれているってことは、頭に石が突き刺さったのですか? 結構な大事故のように思うのですが、本当に安心していいのですか。


「us@hb」

「今の季節は特に滑りやすいですからね」


 一人と一匹が楽しそうに笑っている。いや、笑い事ではないと思うのですが?

 なに? これは僕がおかしいのかな、僕も笑っておいた方がいいの? もうよく分からないや。

 素直に安心できない状況ではあるけれど、当の本人は元気そうだし、アサヒさんも治療を終えた訳だから、きっと大丈夫なんだよね?


「……」


 苦笑いを零しながら、スライムさんの様子を観察していると、一瞬だけ目が合った。だけど、すぐに反らされてしまう。

 気のせいだろうか、僕を見たその瞳に恐怖の色が濃く出ていたのは。最初に驚かせてしまったから、その恐怖がまだ消えていないだけかな。


「:iha:」

「いつも気にかけてくださり、ありがとうございます」


 アサヒさんと会話をする時には、その恐怖の色が減ったような気がする。そして、プルルンと身体を揺らすと、コロン、コロンと綺麗な石がたくさん出てきた。手のひらサイズの宝石のような石たち。結構な数が出てきましたけど、どうやって持ってたんですか。スライムさんの身体の体積よりも多い数が出てきたような気がするのですが、どうやったんですか。


「isr[」

「そうなのですね、よろしくお伝えください」


 僕はその謎が気になるんだけど、アサヒさんとスライムさんは全く気にしないらしい。楽しそうに会話を続けていく。

 ……まぁ、でも多分、気合と根性で何とか持ってきたんだろうな。身体を光らせた大木の異形みたいに。

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