第四章

第21頁  好きなんです

 2月17日、午後3時、ひまわり畑。


「……」


 いつものように僕は、あの場所で骸骨の親子への祈りを捧げ、自分の調査に取り掛かろうと動き出す。そして、背中には今日も狐さんからの視線。

 昨日アサヒさんに言葉をもらったからだろうか。今日は昨日とは違い、狐さんの視線から嫌な熱を感じない。いや、元々狐さんはそんなものを込めていないはずだ。全部僕が勝手に妄想して作り上げた、嫌な虚像に過ぎない。


 待っています、いつかお話しできるその時を。たとえ、あなたから怒りや憎悪を向けられたとしても、待っています。


 狐さんを緊張させないように心の中で呟き、

僕は自分の調査を開始する。


 ここに来てから約2週間が経過。だけど超常現象を解明する手がかりが全く見つかっていない。この前、夜に採取したサンプルからも何も見つからなかった。

 手がかりかもしれないものと言えば、鹿の異形が置いていった角だけだけど、今日もちゃんと角でした。何の変化もなくそこに存在している。と、いうことで調査の進展はなし。非常に由々しき事態だと思う。


「よし!」


 今日こそは、と気合を入れなおし、僕はひまわりたちと向き合った。いつもよりも念入りに、一本一本を丁寧に調べていく。だけど……


「ねこ?」


 突然猫ちゃんと出会った。しゃがみこんで調査していた僕の横を、優雅な顔して通り過ぎていく黒猫さん。

 こんな山奥に猫っているんだって思ってたけど、良く見たら普通の猫じゃなかった。尻尾が三本あるぞ、この子異形だ。


 黒猫さんは僕の存在に気がついていないのか、僕のすぐ近くにあるひまわりの匂いを嗅ぎ始めた。

 きっと食事に来たんだね。よっぽどお腹が空いているのかな、僕、真横に居るんですけども。あ、そういえばアサヒさんが『異形は目が悪い』って言ってたっけ? 見えてないのか。最初に会った骸骨のお母さんも僕の至近距離まで来てたし、みんな相当目が悪いんだな。


 猫さんは僕に気がついていないみたいだから、このまま作業を続けていても良さそうだけど、食事をしている隣でガサゴソされるの嫌だよね。そもそもそんなことするのは、僕が嫌だ。場所を変えようかな。音を立てないようにゆっくりと立ち上がって……


「p!?」

「あ……」


 立ち上がったその瞬間、近くのひまわりに触れ揺らしてしまった。その動きに反応した黒猫さんが僕の存在に気がつき、視線がぶつかる。やっぱり僕の存在に気がついていなかったみたいで、目を見開いてびっくりされてしまった。驚かせてしまって大変申し訳ない。


「こんにちは」


 完全に目が合ってしまった訳なので、とりあえず挨拶しながら頭を下げる。すると、黒猫さんはビックリした顔のまま、すぅとその姿を薄れさせていった。まるで『僕は最初からそこに居ませんでした』とでも言うように。


「いや、流石に無理があるのでは?」


 あまりにも強引で、あからさまなその誤魔化し方につい突っ込んでしまった。

 すると今度は消えた時と反対で、すぅと身体が浮き出てくる。その表情は先ほどの驚きの表情とは一変、『よくぞ見破った。貴様、なかなかやるではないか』と言っていた。この猫、面白い! というか、愛おしい!


 だけどよく見れば、微かにその身体が震えていた。もしかして、僕に撃たれるかもしれないと怯えてる?


「驚かせてすみません。あなたを害するつもりはないので、ご安心ください」


 僕は両手をあげてアピールする。傷つけませんよぉ。大丈夫ですよぉ。

 だけど僕の必死な無害ポーズに、猫さんはまた驚いたように目を見開いた。そして、今度はぴたりと固まってしまう。あれ、僕は何か変なことを言っただろうか?

 しかし、しばらくするとまたすぅと姿を消した。『さらばじゃ』とその表情で言いながら。何だったんだろう。












「どうしたの陸奥。いつにも増して間抜け顔よ」


 黒猫さんが去った後、しばらく放心状態だった僕の耳に、コロコロとした笑い声が響いた。意識を現実に引き戻し、声のした方へ顔を向けるとエルとアサヒさんの姿が。


「陸奥さん、こんにちは。どうしましたか、また何かあったんですか」

「こんにちは、アサヒさん。猫ちゃんに会ったのです」

「……はあ」


 あ、やらかした。話の切り出し方を間違えてしまった。順を追って説明するつもりだったのに、いろいろ省いてしまった。いやでも、これから僕が話したいことをギュギュっとまとめると、ある日森の中で猫ちゃんに出会った、って感じなんですけどね。

 だけどアサヒさんを見つめていれば、心配そうな光を瞳に宿し見つめ返してくれた。そう言えば、アサヒさん今日は蜜を入れるための瓶を持っていない。いつもは大きな瓶を抱えているのに。もしかして昨日相談した狐さんのことを心配で来てくれた?


「えっと、猫さんがどうしたんですか?」

「……」

「陸奥さん?」

「……ごめんなさい、詳しく説明しますね」


 アサヒさんの優しい心遣いに熱い感情を堪える。声が震えないように注意しつつ、僕は先ほどの黒猫さんのことを話し始めた。




※※※




「と、いうことでして、僕は何かしてしまったんでしょうか」

「いえ、大丈夫ですよ」


 僕が不安げに打ち明ければ、それとは対照的にアサヒさんがクスクスと楽しそうな笑い声を響かせた。


「怖がらせてしまったんですかね?」

「むしろその反対です」

「反対?」


 反対、とは一体どういうことだろう。僕は首を傾げることしかできない。


「私も以前、その黒猫さんに会ったことがあります。陸奥さんと同じように姿を消されてしまいました。後から話を聞いてみると、姿を消したのは私を怖がらせないためだった、と」

「怖がらせないように?」

「はい。普通、人間は異形を見たら怯えます。だから、『自分はそこには居ませんよ』とアピールしたんだと思います」


 知らなかった。僕はてっきり、僕に撃たれないために姿を消したんだとばかり。自分のためじゃなくて、僕のために……あんなに震えて怖かっただろうに。


「彼の異形らしい部分は、三本に割れた尻尾だけ。その部分を隠して、よく村に降りているそうです」

「え、でも、もし異形だとバレたら危ないんじゃ?」

「そうですね、でも……」


 アサヒさんはそこで一度言葉を区切り、大切な宝物を取り出すようにそっと続きを声に乗せた。


「人間が好きなんです」


 ポツリと語られた、『好き』という純粋な感情。どこまでも綺麗で美しく透明なその感情に、心があたたかくなった。


「人の近くは心地よいのです。胸の奥深くからじんわりと温かくなるような感じがします」

「柵のこちら側に来ている子たちは、もしかして」

「はい。遠くに見るだけでもいいから、少し近づきたいのだと思います」


 今までたくさんの異形たちと出会ってきた。鹿の異形、ケルベロス、狐さん、天狗さん……彼らはみんな人間が好きで、危険を承知で歩み寄ろうとしてくれていたのか。

 だけど、純粋に好意を寄せてくれる相手に対して、僕たちは拳銃を向ける。ただ好きでいたいだけなのに、その感情の代償はあまりにも大きすぎないだろうか。


「もし、また黒猫さんに会えたなら、ぜひ撫でてあげてください。喜んでくださると思います」

「……はい」


 優しい感情と冷たい感情が、ごちゃ混ぜになった心で、僕はコクリと頷いた。

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