第10頁 棘を抜いてほしくて
2月4日、午後4時、ひまわり畑。
「お聞きしたいことがあるのですが」
鳥さんと戯れている時、僕はふと思い立って聞いてみる。声をかけるとアサヒさんと一緒に、鳥さんも首を傾げていた。シンクロした二人の仕草に少し口元が緩む。仲良しですねぇ。
「アサヒさんには、どうして異形たちの声が届くんですか?」
出逢ってからずっと気になっていたこと。アサヒさんが異形との意思疎通が可能な理由。
何か言語のような法則があるのかなと思い、ずっと鳥さんの話す言葉に耳を傾けていたけれど、一向に分からない。僕にはただ金属を擦っているような不快な音にしか聞こえなかった。だけどアサヒさんには、意味を持つ言葉として聞こえているようで、意思疎通をいとも簡単にこなしている。その理由は何なのだろうか。
「……」
「アサヒさん?」
「……答えたく、ありません」
『分からない』ではなく、『答えたくない』と返ってきた言葉。それと同時に、彼女の瞳に寂しそうな、今にも泣き出してしまいそうな、そんな切ない感情が浮かんだように見えた。僕はまた彼女を傷つけてしまったのだろうか。
「そう、ですか」
本当はなぜ答えたくないのか、その理由を聞きたかったけれど、僕は静かに口を閉じる。このまま質問を続けると、彼女を泣かせてしまうような、そんな気がしたから。
「shbbs:」
「すみません、お引止めしてしまって」
「huispgn」
「そうなのですね、おめでとうございますと伝えていただけますか?」
「ao:gjev」
「お気をつけて」
僕がアサヒさんになんて声をかけたらいいか迷っていると、彼女の腕に乗っていた鳥さんが頭をすりすりしながら、何か話しかけていた。その言動で、アサヒさんの表情が元通りに戻る。
「uvdsb」
「陸奥さん、鳥さんが『さようなら』とおっしゃてますよ」
「あ、はい! さようなら」
鳥さんは僕の肩に乗って、先ほどアサヒさんにしたようにすり寄ってくれた。頬に伝わる優しい体温と、心地よいモフモフ。モフゥ……
「pdifaspna」
しばらく堪能させてもらうと、鳥さんは一声上げて天高く飛び立った。びゅーと飛行機のような速さで上空へと進んでいき、その姿がどんどん小さくなっていく。速いなぁ。鳥さんは飛べるから境の柵とか関係ありませんよね。羽根のない子たちはどうしてるのかな。あ、そう言えば、鳥さんはどこかに行く予定でした? 境の内側から向こう側方面へ飛んでいきましたが。
「お母様の誕生日会に行くそうです」
僕が首を傾げていると、アサヒさんが教えてくれる。誕生日会という微笑ましい言葉に思わず口元が緩んだ。仲睦まじい親子の姿が脳裏に浮かぶ。
鳥さんのお母さんはどんな形をしているんだろう。鳥さんのお母さんも燃えているんだろうか。
異形の身体は多種多様。親子でさえも形が大きく違っていることもあり、一人として同じ固体がいない、と学者の先輩に教えてもらったことがある。
だけど、どうしてそういう身体の構造になっているのかは不明。1500年くらい前には、鉛で弱体化させた異形を用いて、研究をしていた施設もあったらしいけど、結局分からなかったみたい。異形には不思議なことが多過ぎる。
「記念すべき2000歳のお誕生日だそうです」
おぅ……それはかなり記念すべきパーティーですね。おめでとうございます。
異形はかなり長命だって聞くけれど、あまりにもスケールが大きい。2000年生きてるって大ベテランじゃん。それだけ長い時を生きてきて、仲良しな親子。いつまでもそんな関係で居てほしい。あ、親子と言えば……
「あの、アサヒさん」
異形の親子の場所を知りませんか? そう言葉を続けようとして、何かが喉に引っかかったように言葉が出てこない。僕は静かに口を閉じた。
居場所を知って、何がしたいんだろう。無事を確認して罪の意識を軽くしたいだけなんじゃないか。そんなの自分勝手が過ぎる。相手にしてみれば、僕は命を奪おうとした恐怖の対象な訳で。もう金輪際関りたくないと思っているかもしれないのに、僕はまた自分勝手な理由で誰かを傷つけようとしている。
「何ですか?」
「いえ、何でもないです、すみません」
不思議そうに見つめてくるアサヒさんを、苦笑いしながら交わす。無事を確認して、撃ってしまったことを謝って、スッキリしたいのは僕だ。謝って許されることじゃないことは分かってる。だけど、心の奥で引っかかっている棘を抜きたくて。このどうしようもない胸の痛みを、何とかしてほしいだけ。
※※※
2月4日、午後6時、宿屋。
「陸奥さん、手紙が来てるよ」
「はい?」
アサヒさんと別れ宿に戻ると、楓さんが封筒を持ってきてくれた。差出人の欄には「ロッカス研究所」の文字が。部屋に戻り、早速封を切ってみる。
「調査進捗報告書……」
封筒の中には世界各国に散らばっている学者たちからの調査報告が入っていた。不思議な超常現象を調査するために世界中に旅立った学者たち。月に一回程度、調査の進捗を報告するように依頼されている。ちなみにその義務は当然僕にもある訳で。一カ月後までには、報告書を書けるくらいには調査が進んでいるといいなぁ。
「謎を解明できた箇所はナシか」
布団に寝っ転がりながら、書類をぼんやりと眺める。先輩学者の中には5年近く前に調査を開始した人も居ると聞く。それなのに、今だ解明できず撃沈。どれだけ難解な仕組みをしているのか、底が知れない。
そもそもこれらの超常現象は解明できるものなのだろうか。人間の知識を越えた何かが隠れているような気がする。
異形の仕業だって、みんな怖がっているけど、異形たちは無害な存在かもしれないし、仮にあのひまわり畑を作ったのが異形だとしても、恐ろしいことなんて起きないんじゃないかな。
……謎は謎のままとして、置いておいてはダメでしょうか。ダメですよね、そうですよね。学者の僕がこんなことを思ってはいけないんだろうけど。それにこのままだと楓さんたちが困るもんなぁ。
「はぁぁ」
難題を僕は解けるのか。解けるまでにどれほどの時間がかかるのだろう。自然と心が重くなり、布団の中に沈み込んだ。
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