第8頁  祈りをあなたに

 2月4日、正午、ひまわり畑。


 とりあえず、角のことは見ないフリして、自分の作業に取り掛かろうと思ったんだけど……


 怖い


 綺麗なひまわり畑を前にして、少しだけ思う。多分、このひまわり畑は、異形との距離がとても近い。何となくだけど、そう感じた。

 最初に出会った大型異形の親子、そしてさっきの鹿の異形。どうやって境の内側に入ってきているのかは謎だけど、この空間には他にも異形が居るかもしれない。またお子さんを誘拐してしまうことや、向こうにその意志がなかったとしても、うっかり切り裂かれてしまうことだってないとは言い切れない。


 僕がこれから踏み込もうとしてるのは、そういう緊張感の漂ってる空間。辺りを注意深く見ながら、ひまわりの花に触れ、手に取ってみた。

 何も変わった所のない花に見える。花びらも、葉も、茎も。何も変わらない、普通のひまわりの花。異質なのはこの花じゃなくて、周りの雪景色なんじゃないかって錯覚しそうになるほどだ。


 一面に広がる雪景色。どこまでも続く白。幻想的でとても綺麗。だけど、そんな真っ白の中に、赤色が見えたような気がした。その場所は、僕が……銃を撃った場所。


 蘇る銃を撃った時の衝撃。真っ赤な血液。異形の悲鳴。

 僕は娘を取り返したかっただけの母親を、撃ち殺そうとしたんだ。ちょうどこの場所で。


「……」


 しゃがみ込み、地面に触れる。雪の上に鮮血はもうない。だけど、僕の目にはまだドクドクと流れ続けている赤が見えるようだった。

 母親の怪我は治っただろうか。もう痛くないだろうか。娘さんに怪我はなかっただろうか。あの時だいぶ乱暴に走ってしまった気がする。


「ふぅ」


 一つ息を吐き、大きく深呼吸してみる。肺いっぱいに冬の新鮮な空気が広がった。それと共に手を合わせ、静かに祈りを捧げる。


 どうか、あの親子が幸せでありますように。健やかに過ごせますように。


 ここに来るたびに、あなたたちに祈りを捧げます。害してしまった僕なんかに、資格はないのかもしれないけれど、どうか祈ることを許してほしい。何をしたとしても過ちは消えなくて、僕にはこれくらいしかできなから。









「ん?」


 僕が祈っていると、ふと背中に視線を感じた。振り向いてみるけれど、そこには誰も居ない。気のせいだっただろうか。


 ガサガサッ


「ひっ!?」


 と、思っていれば、今度は反対方向から物音が。 

 あ、ヤバい! さっき取ったひまわりの花を持ってきてしまっていた! 僕はまた異形の子供を連れ去ろうとしてる⁉ え、この花に乗ってるの? 全然分かんないんだけど⁉ アサヒさんから子供の乗ってる花の見分け方とか聞いておけば良かった。そもそも米粒くらいの大きさって言ってたけど、お子さんってどんな形状してるの? 色は何色なの!


 ガサッ、ガサッ


 僕が焦っている間にも、音はこちらに近づいて来ている。ヤバいヤバい。流石に二度目のお子さん連れ去りはキレる。どんなに温厚で優しい異形だって、切り裂きたくなっちゃうよ。どうしよう、どうしよう。

 ええぃ、こうなったら最初に謝った者勝ちだ!


「あの! この前に引き続き大変申し訳ございませんでした。こちらあなた様の娘さまでございます。僕は指一本触れておりませんので、何卒よろしくお願いいたします」

「何をしているんですか?」

「へ?」


 僕が土下座をしながらひまわりの花を差し出すと、ため息混じりの声が返ってきた。あれ、この気怠そうな声って……


「アサヒさん! こんにちはー!」

「うるさいです、こんにちは」

「……すみません」


 そこには相変わらず、鼻まで覆ったマフラーとローブと手袋の完全防備なアサヒさんが居た。良かった、異形じゃなかった。

 僕が安心しながら胸を撫で下ろしていると、アサヒさんの手元が目に入る。その手には、大きな瓶を持っているのだが、何に使うのかな。僕がしげしげとその瓶を見つめていると……


「花の蜜を取りに来たんです。お邪魔してもいいですか?」

「あ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 僕のひまわり畑ではないので、許可なんか要らないんだけど、アサヒさんは律儀にお辞儀をしてくれる。そして、鞄からスポイトを取り出し、慣れた手つきで花の蜜を瓶の中に採取していた。結構大きな瓶に入れているけど、そんなに大量に何に使うんだろう。


「その蜜は何に使うんですか?」

「ひまわりの蜜が好きな異形が多いんです。怪我をした異形が訪ねてくることがあるので、少しでも元気を出してほしくて」

「なるほど」


 人で言うと、病気の時に食べる大好物みたいな感じかな。嬉しい心遣い。

 ……異形にはすごい優しいんだよな、アサヒさん。彼女に好かれたい訳ではないけど、適度な優しさがほしい。というか、普通に接してほしい。


「何ですか?」

「ナンデモナイデス」


 ほらぁ、またそのゴミを見るみたいな瞳で僕を見ないでくださいよ。

 確かに、じっくりとアサヒさんの手元を観察してしまったのは、不快だったかもしれませんが、もう少し不快感をオブラートに包んでいただきたく。

 でもこれ以上何か言うとますます嫌われそうなので、僕は黙々と自分の作業に……


 戻るつもりだったんだけど、アサヒさんに聞きたいことがあったのを思い出した。異形の乗っていない花の見分け方を聞きたい。


「……」


 チラリと彼女の様子を確かめると、先ほどの不機嫌な様子は消えていた。怒りは長続きしないタイプらしい。これはありがたい。

 僕はなるべく彼女を怒らせないようにへりくだりながら、話題を繰り出す。


「あのぉ、お聞きしたいことがあるんですけど、いいですか?」

「はい、何でしょう」

「異形の子供って米粒くらいって言ってましたけど、乗っているひまわりと乗っていないひまわりの見分け方ってありますか?」

「よく耳を澄ましていると『ギーギー』と鳴き声が聞こえるかもしれません。採取する前に一度音を確かめた方がいいですよ」

「なるほど」


 めっちゃ役に立つ情報をゲットした! これで誘拐未遂する心配がぐんっと減るぞ。

 僕は彼女に言われた通り、先ほど採取したひまわりの花に耳を澄ます。しばらく聞いてみたけど、無音。全く音はしない。と、いうことは異形の子供はおそらく乗っていないのだろう。

 でもちょっと心配だから、花の蜜を採取しているアサヒさんの目元で花を数回ちらつかせてみた。


「その花は大丈夫です、心配ありません」


 案の定彼女は乗っていないことを確かめてくれた。もちろん、すっっっごく不機嫌な顔全開で。

 調子に乗ってすみませんでした。こういうことしてるから、僕嫌われるのかな……

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