第二章

第7頁  第一歩

 2月4日、早朝、瑞穂山の山中。


「仲直りは、失敗したのかな」


 ひまわり畑までの道すがら、僕は昨日の出来事を思い返している。

 謝って、お礼を伝えることはできたんだよな。でも、その後速攻の極寒ブリザード。あれは、結局許しませんよってことの意思表示? それとも僕はまた何かして怒らせてしまったのかな。


 はぁ、少しは距離が縮まったかもしれないって思ったのに、僕の思い違いだったのかな。むしろ溝が深まってしまったのかもしれない。女の子って難しいね。

 本当は今日もアサヒさんの所に行きたい。だって結局聞きたいことは何も聞けてないし。でもこれ以上嫌われるのは避けたいんだよね。

 とりあえず、僕はひまわり畑の調査でしばらくはここに居るんだから、ゆっくりアサヒさんとの距離を詰めていけばいいよね。うん、そうしよう! 二日連続の極寒対応は風邪を引く! 明日以降の僕が頑張ってくれることでしょう!


 と、今後の方針が決まって気分高揚していた僕だけど、そんな気分を突き落とす出来事が……


「うそぉ」


 この前異形に負われた時に落としちゃったんだね、僕の瓶が転がっている。しかも粉々に割れた状態で。中にサンプルを採取していた訳だけど、瓶が割れたので、中の物質が土と混ざってしまった。これじゃあ、サンプル採取がまた一からだ。


 ガラスの破片で怪我をしないように欠片を回収し、僕はひまわり畑への道を急ぐ。




※※※




「ズビビッ」


 やっとひまわり畑にたどり着く。破片が至る所に散らばってたから、思ったより時間を取られてしまった。寒空の下での作業で、鼻水が止まらない。本当は今すぐ宿に戻って、温かいお風呂に入りたい所だけど、そんな悠長なことは言っていられない。なぜなら、調査がゼロからのスタートだから! 楓さんたちに早く良い報告を届けたいしね!


「頑張るぞ! えいえい、おー!」

「%#(F0ik」

「⁇」


 僕が意気込んでいると、すぐ近くから金属音が発生。何事かとそちらの方へ目線を向ければ、そこには立派な角を何本も生やした鹿っぽい異形が。大小様々な角で、色彩も鮮やか。体躯は2メートルは越えており、口元には立派な牙が生えている。もしあんな牙で噛まれたらひとたまりもないだろう。


「ひぇ、異形⁉」


 『異形は人類の敵』『やられる前に撃ち殺せ』

 その姿を見た瞬間、僕の頭の中に長年言い聞かされてきた言葉たちが浮かんだ。それと同時に、その鋭い牙に噛み殺される自分を想像してしまい、腰元の拳銃に手が伸びた。


『異形は人間を襲いません』


 だけど、次に頭に響いたアサヒさんの声が僕の動きを止める。淡々と冷たい温度で再生された言葉が、焦っていた僕の心を落ち着けてくれた。

 まだ信じられない気持ちの方が大きいし、異形全員が無害だとは思えない。だけど、この子は僕を害すような子じゃないと思う。だって、今も結構な至近距離で目が合っているけれど、僕に飛びついてくる気配はない。食べる気があるなら、僕はとっくにお腹の中だろう。

 だから、僕がこの子に向けるのは銃口なんかじゃない。僕はつい動いてしまった手を静かに下す。そして心を落ち着けるように、ふぅと一つ息を吐いた。大丈夫、彼らは敵じゃない。これから身を持って、真実を体験することになる。今日はその第一歩だ。


「ど、どうも、こんにちは!」


 震える声と身体で精一杯のお辞儀をし、手を差し出す。

 見よ、この90度に綺麗に折り曲げられた僕の腰を! 身体に沿わせて、綺麗に揃えた左手と指を! 友好の印に握手を求めた右手を! 見よ!

 緊張と恐怖でほんの少し震えてしまっているけれど、それにしても綺麗なお辞儀が出来ていると思う。こんなに相手に対して敬意とへりくだりを見せている姿を見たら、もし仮に異形が凶暴な存在だったとしても、襲う気をなくすこと間違いなし! さぁ、どうだ‼


「)’UWFV」


 僕が異形の出方をうかがっていると、小さく発せられた金属音と共に、僕の右手にトンと感触が。チラリと顔を上げれば、手のひらに鹿の異形の鼻先。そして、触れた後はそのままトコトコと歩いて行く。


「へ?」


 呆気なく終わった異形とのエンカウント。思わず口から変な声が漏れてしまった。あれで終わり? いや、何もないに越したことはないんだけど、緊張していた分、肩透かしを食らったような気分。


「……」


 だけど、本当に異形は僕たち人間を襲わないんだ。今まで怖がっていたのがバカらしく思えてくる。

 アサヒさんの言葉を信じていなかった訳ではない。だけど、それでも信じられない気持ちが胸の中に溢れていて。多分この感情を消すのには、だいぶ時間がかかると思う。でも、真実は真実のままそこにある。

 牙や角を持っていたり、大きい体だったり、見た目が怖いから恐怖を感じるけれど、彼らにそれを振るう気がないのなら、何も怖がる必要はないんだ。




※※※




「bwjis」


 僕が複雑な心持ちで胸を触っていると、鹿の異形はひまわり畑の中心地へ。そして何本かひまわりの花を物色し始めた。何をしているのかな?

 あ、そう言えば、アサヒさんが「異形は花や木の蜜が主食で」と言っていた。ひまわりの花の蜜を吸いに来たのだろうか。


「……」


 僕は食事の邪魔にならないように、大きな木の陰に隠れてその様子を見学させていただくことにする。

 鹿の異形は何本か花の香りを嗅いだ後、長い舌を出して中心部に差し込んだ。そして、そのままチュウチュウと吸っている。


「bir@hw」


 しばらくすると、金属音が発生。そして、鹿の異形が満足げに角を揺らしていた。どうやら食事を終えたらしい。

 もう帰るのかなと見守っていると、比較的小さめの角が一本ポロッと落ちる。そして、落ちた角は丁寧に鼻先を使ってひまわりの根元に置かれた。


「角が落ち……いや、置いた?」


 僕が混乱している間に、鹿の異形はスンッと姿を消してしまった。一部始終を見ていたのに、異形の行動が全く分からない。花の蜜を吸いに来たところまでは分かった。でも、その後何で角? 落とした? いや、あれは自分で置いていったって感じだったな。でも、何でだろう。

 僕は周りを見渡して、鹿の異形が完全にいないということを再度確認してから、角の元へと行ってみた。


「角、だね」


 指でツンツン突いてみたけど、角である。固くて立派な角である。

 何か意味がある角なのだろうか。もしかして、他の異形が取りに来るとか? とりあえずこのままにしておいた方が良いよね。


 それにしても、ここって境の内側だよね? 柵ちゃんと機能してる? こんなに異形と遭遇するなんて、やっぱりどこかに穴でも開いているんじゃないかな。

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