第2頁 静かな空間
2月2日、午前6時、ひまわり畑。
「寒い!」
鼻をズビッと鳴らしながら、僕はひまわり畑で震えている。今目の前には、太陽の光を雪が反射して、幻想的な光景が広がっているのだが、そんなことを楽しんでいる余裕は全くない。とにかく寒い。凍え死んでしまいそう。冬の早朝の寒さを舐めてました。
宿を出発した時には、やる気十分出ったんですよ。それはもう胸いっぱいに、ぱんぱんに。だって、楓さんを始めとする村の人たちは、この超常現象に対して物凄い不安を抱えている。だから、少しでも早く謎を解き明かして不安を解消したいと思って、早朝から意気込んで来た……んだけど、寒い! とっても寒い!
「よっし、やるぞぉ!」
大声を出して、飛散してしまったやる気を無理矢理かき集める。
寒さに出鼻を挫かれてしまったけれど、仕事はやらねば終わらない。この幻想的な光景の謎を解明するのに、どれくらいの時間がかかるか分からないけれど、それでも始めないことには終わらない。
千里の道も一歩からだもんね。僕はふぅっと息を一つ吐いて、気合を入れなおす。
「……」
そして改めて、目の前に広がる景色を観察してみた。
一面のひまわりの花。眩しい位の黄色の上に、雪が降り積もる。静かな空間、静かすぎるほどの空間。雪が音を吸収して、より一層その静けさを加速させていた。その不気味さにぶるっと背筋が震える。
「頑張ろう!」
自分の弱い心を追い出すように、握りこぶしを作る。どんな謎が隠されているのか分からないが、未知のことを怖いと思う感情は当然だ。怖いと感じることは、何も悪いことじゃない。僕たち学者はその恐怖に立ち向かい、知らないことに手を伸ばす。
※※※
ぐぅぅぅ
鳴り響いたお腹の音で、ハッと気がついた。もうお昼ごはんの時間ではありませんか。
「帰ろう」
即決だった。何の迷いもない決断だった。だって、今朝食べた楓さんが作ってくれた朝食、とても絶品だったよ。昼食を逃すわけにはいきませんとも!
僕はそそくさと帰宅準備を始める。これまでで土やひまわりの花など、サンプルをたくさん瓶に詰めることができた。この後顕微鏡で見てみたり培養などして、一般的なひまわりとの違いを探し出す予定。何か分かるといいんだけど。
「あらら」
息を吐き出しながら立ち上がると、ひどすぎる自分の姿に苦笑いが零れた。夢中になって作業をしていたので、服が泥だらけなのだ。しかも、じっとりと汗もかいており、服の中が蒸れていて気持ち悪い。ご飯の前にまずシャワーかな。
僕はパンパンと、服についた土を軽く払って、物品の入ったリュックを背負う。おっとっと、予想以上に重いな。土とか花とかたくさん採取したもんね、そりゃ重くなりますとも。
ガサッ、ガサッ
「?」
下山しようとしていると、雪を踏みしめて何かがこちらにやってくる音がする。不気味がってこの山には誰も近づかないって、楓さんが言っていたけど、誰だろう。あ、もしかして昨日のハンターさんだろうか。今日もお仕事ご苦労様であります。でも、ハンターさんにしては体重の乗った重い足音のような……
何の音もしない空間に長い時間居た故か、その足音はひどく異質な物に聞こえた。ガサッ、サクッと不思議な音を響かせながら、こちらに近づいてくる。そして、その音の正体は静かに姿を現した。
「え……」
と、声が漏れかけて僕は慌てて口を押える。そして、ひまわりの影に隠れるように、さっと身をかがめた。
「@ruhbn」
その口から発せられた、金属を引っ掻いたかのような不快な音。耳がキーンと痛くなる。
木の間から現れた存在は、骸骨の化物。その体躯は5mを優に超えているだろう。頭には大きな角が三本、鋭い牙と大きな口。瞳からは鋭い視線が放たれていた。
実際に見るのは初めてだけど、間違いない、あれは異形と呼ばれる存在だ。
「なんで、異形が……」
異形はまだ僕の存在に気がついていないだろうか。キョロキョロとひまわり畑に目を走らしているだけで、襲ってくる様子はない。だけど彼の視界に入ったが最後、言い伝え通りにあの鋭い爪と牙でバラバラに切り裂かれてしまうのだろう。
ここは境の内側。異形が入り込めないように天敵である鉛で作った柵が設置してあるはずなのに、どうして入ってこれたんだ。昨日ハンターさんがこの山に来てたし、柵の点検はバッチリなんじゃないのか。あ、そうだ拳銃。
僕は思い出して、腰に刺していた拳銃を静かに取り出す。だけど……境の内側に居るってことは、鉛の効かない新種? だとしたら、大変だ。人類が唯一対抗できる手段は、銃弾なのに。また世界が異形に支配されてしまう。
早くみんなに知らせて、とりあえず避難とハンターさんに連絡……を……?
頭を抱えて考え込んでいた僕だけど、ふと、気配を感じた。そして、目線を地面から正面へ向ける。そこには……
「⁉」
ぱっくりと大きな真っ暗闇が、口を広げて待っていた。鋭い牙がずらりと並んでいるのが見える。顔にふわりとかかった生暖かい風。その瞬間、死を悟った。
「…………あ、れ?」
衝撃に身構えて目を閉じていたけれど、一向に食べられる気配がない。もしかして僕は、痛みもなく一瞬で天に旅立ったのだろうか。痛いとか苦しいがないことに越したことはないけれど、これは流石にあっさりと死に過ぎなのでは?
疑問を感じ、僕は恐る恐るゆっくりと目を開けてみる。すると……
「……」
異形は口を閉じて、そのまま僕の目の前に居た。ギョロリとしたその瞳で、僕のことを見つめている。え、どういう状況なのこれは。
数秒、お互いに無言で見つめ合っていたけれど、何も起こらない。異形は人間を見つけると、すぐに飛び掛かって食べるはず。なのに、僕は飛びつかれてもいないし、食べられてもいない。ただ彼は目の前で佇んでいるだけ。
もしかして僕の存在に気がついていない? いや、そんなことはないよね、だって息がかかるくらい至近距離なんだもん。それにさっき大きな口を開けていたし。
どうしたらいいんだろう。とりあえず逃げたい、すっごく逃げたいんだけど、変に動くとパクリといかれそうな気もする。ゆっくりと、ソロリ、ソロリ、後ずさりして……
「u@dhvf」
「うわっ⁉」
僕がゆっくり動いていると、異形は再び金属を擦ったような不快な音を出した。耳がキーンと痛くなり、その痛い音につい足が止まってしまう。異形の方を見れば、僕へ手を伸ばしてきていた。鋭く尖った爪が、太陽の光を反射してキラリと光る。
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