第3頁  散った赤色

「u@dhvf」

「うわっ⁉」


 パンッ!


 近づいてきた鋭い爪を見て、僕は咄嗟に拳銃の引き金を引いた。ほとんど無意識で引いてしまった引き金。だけど、銃弾は異形の足に当たったようだ。


「ugpgerarog@!」


 再び不快な音を出して、コロンと後ろに倒れた異形。その足からはドクドクと真っ赤な血が滴り落ちていた。

 その赤を見て思った、次に赤色に染まるのは僕自身なのだろう、と。





※※※




「はぁ、はぁ……」


 僕は夢中で山道を駈け下りた。汗が滴り落ちて、冷たい空気で肺が痛くても、走る足だけは止めない。無我夢中で山を駆け下りる。

 早く、早く……村の人たちに知らせて避難を、それにハンターさんたちの派遣を。この世界が、また異形に支配される。頭の中が恐怖でいっぱいになり、不規則に息が乱れた。


「%&#&#!+‘」

「うそ、でしょ」


 突如聞こえた金属音に後ろを振り返ると、先ほどの異形が追いかけてきていた。辺りに生い茂っている木々を避けて走る僕に対して、大型の異形はなぎ倒しながら走ってくる。障害となる大岩もその巨体で打ち砕いていた。足を負傷しているのに、何なのそのスピード! そんなの逃げ切れるはずないじゃん!


「反則、でしょ……はぁ、っ……うわっ!?」


 異形との距離が縮まってきた頃、僕は雪に足を滑らせて盛大に転んでしまった。すぐに立ち上がろうとしたけど、大型の異物はもう目と鼻の先。僕を食べようと手を伸ばしてきている。


「くっそ」


 ズルズルと後ずさりをしながら、僕は手に持っていた拳銃を構える。さっきは驚いて咄嗟に引き金を引いてしまったが、今回は違う。

 きちんと「殺す」という意識を持って放つ一発。


「ふぅ……」


 拳銃を持つ手が震えて仕方ない。心臓がうるさく脈を打ち、息が上手く吸えない。だけど、相手を殺さないと僕が死ぬ。だから撃ち殺す。

 大丈夫、ちゃんと殺せる。乱れる心を納得させて、引き金に指をかけた。
















「撃たないでください」


 僕が引き金を引こうとしたその刹那、鋭い声と共に紺色のローブに身を包んだ女性が茂みから飛び出してきて、僕と異形の間に立った。あれ、この人、昨日のハンターさん? 僕は慌てて拳銃を下した。


「動かないでください。大丈夫、娘さんは取り返しますから」


 ハンターさんの登場に安心したのも束の間、彼女は異形に手を触れて、安心させるように声をかけている。えっと、どういうこと? 何をしているの? 早く撃ち殺さないと危ないのに。


「‘*?=!”」


 だけど彼女の言動を受けて、異形は僕に伸ばしていた手を下し、足を止める。心なしかその瞳が潤んでいるように見えるのは気のせいだろうか。その涙は痛みからか、それとも……


「太い血管が傷ついていますね、出血が多い」


 女性は傷口に顔を寄せて凝視し始める。そして、肩にかけていたポーチをごそごそと探った。中から出てきたのは、ピンセットにガーゼ、それとあれは消毒液かな? まるで治療をするようなその物品たちに、僕は戸惑いを隠せない。


 どうして撃ち殺さないのだろう? 彼女はハンターではないのだろうか。異形は凶暴で残酷な生き物。関わってはいけない存在。なのに、あんなに近づいて、声をかけて、触れて……


「!#%””&”」


 僕が考え込んでいると、突然異形から苦しそうな声が漏れた。彼女の手元を見れば、傷口にピンセットをぐりぐりと押し込んでいる。うわ、痛そう……


「ふぅ、取れました。よく頑張りましたね、後は消毒をしてお終いです」


 女性は額の汗をぬぐいながら、ピンセットを置く。そこには僕が先ほど打ち込んだ弾丸が。異形の傷口を見てみると、体内に弾丸があったのが短かったためか、腐敗は組織の一部のみで済んでいた。そして女性は手際よく包帯を巻いていく。


「?>~|>?」

「大丈夫です、ここで待っていてください」


 包帯を巻き終わると、ひどく焦ったような異形の金属音が聞こえた。そして、女性がつかつかと僕の方に歩いてくる。彼女の纏う空気の冷たさに、ひゅっと喉の奥が締まる感覚がした。


「ひまわりの花をお持ちではありませんか?」

「え、あ、はい。持っていますけど……」

「出してください」


 有無を言わせない圧で僕に詰め寄ってくる女性。いろいろ説明してほしいと思ったけど、この人の目が早く寄こせと告げていた。この人、異形より怖いかもしれないぞ。


「ど、どうぞ」

「ありがとうございます」


 僕は大人しく鞄の中から先ほど採取したひまわりの花の瓶を手渡す。女性は僕に素っ気なく感謝を述べると、また異形の元へと戻った。


「はい、娘さんは無事のようです、良かったですね」


 女性が異形にひまわりの花を渡すその声音は、先ほど僕に詰め寄って時とは一変、優しさが滲み出ていた。異形は両手でそれを受け取り、頬に擦りつけている。そして、瞳からはポロリと涙が。


「もう、目を離してはいけませんよ」

「&#&%$’$」

「傷は一週間もあれば塞がると思いますが、痛むようでしたらこの先の小屋に来てください。私はそこにいますので」


 彼女がぺこりとお辞儀をすると、異形の姿が徐々に薄れて消えて行く。とりあえず安心していいのかな。助かったの、かな。ふぅと息が漏れるとともに、僕の身体から力が抜けた。


「瓶、お返しします」

「あ、どうも……」


 僕がぺしゃんと地面に座り込んでいると、ローブさん(仮)は瓶を返してくれた。異形に話しかけていた声音とは一変、突き放すような冷たさを感じる。声だけでなく、彼女のその風貌からも近づきがたい雰囲気が物凄く漂っていた。

 昨日と同様、赤茶色の髪は低い位置で一つに結ばれており、前髪が長くて左目が完全に隠れていた。そして、マフラーが鼻まで覆っているので、顔のほとんどが確認できない。

 この人は一体何者なんだろう。どうして、異形を撃ち殺さなかったんだろう。ハンターさんじゃないの?


「異形に、何をしたんですか」


 彼女の纏う空気に怯えながらも、恐る恐る尋ねれば……


「治療です」


 即答で返ってきた彼女の言葉。はっきりと言い切られたその言葉に、戸惑いの感情を抱く。


 生まれてからずっと言い聞かされてきた、異形は凶暴で残虐な生き物だと。駆逐しなくてはいけない人類の敵なのだと。それなのに……


「どうしてそんなことを。なんで、助けたんですか?」

「助けたいと思ったからです」

「え」

「助けたいと思う感情に、理由が必要ですか?」


 彼女の透き通った翡翠色の瞳が僕を見つめた。そんな純粋な瞳を前に、僕は何も言葉を返せない。

 『助けたい』という気持ち。それ以外に必要な物はないと思う。だけど、それは人間相手の条件だろう。異形にも同じことが言える?

 凶暴で残虐で、人類の敵で……助けた異形が誰かを殺すことだってあるんじゃないか。それでも助けることは正義なのだろうか。


「え、あれ、ちょっと待って!」


 僕がジッとローブさんを観察していると、彼女はくるりと踵を返して森の奥へと消えた。静止の声をかけたのに、無視ですか、そうですか。少し傷つく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る