第34頁  教えてください

 3月6日、午前10時、アサヒのログハウス。


「あんたいい加減にしなさいよ! そんなに気になるなら自分から陸奥の所に行けばいいじゃない」

「だって、エル、そんなに簡単なことじゃないんです。私は昨日彼を傷つけてしまいました。もう私なんかに会いたくないかもしれません」

「そんなことないって、大丈夫だから行ってきなよ」

「嫌です」


 アサヒは布団の中に籠城して、先ほどからずっとうじうじしている。そして、そんな彼女の態度にエルがキレて、口論勃発中である。


「はぁ」


 励ましても慰めても怒ってもこの状況。アサヒを布団の城から出すのは、もう無理なのかもしれない。諦めかけていたそんな時、エルは口元に笑みを携える。この状況を打開できそうな足音が聞こえて来たのだ。


「来たわね」

「え!?」

「足音がする。このトントン歩く感じは陸奥の足音よ」


 耳の良いエルが、こちらに近づいて来ている足音を聞き取った。軽快に雪を踏みしめて、ずんずんと突進してくるような足音。こんな足音を響かせるのは、彼だけだ。


「こ、ここ、ここに来るんですか!?」


 エルは満面のにんまり笑顔なのだが、陸奥の接近を知り慌てだしたのはアサヒだ。ガバッと布団の城を崩して、ベッドから身体を起こす。


「そうだと思うわよ。良かったわね、ずっと待ちわびていた陸奥の登場よ」

「待ちわびてなんかいません」

「どうだか、昨日からずっと『陸奥さん、陸奥さん』ってうるさかったくせに」

「そんなこと言ってません!」


 いや、言っていた。何なら夜中寝ている最中ですら、彼の名前を呟いていたくらいだ。それを知っているエルは、夢中で否定してくるアサヒの姿が面白くて仕方ない。


「ほら、反論している暇があるならさっさと準備しなさいな。もう来ちゃうわよ」

「待って、ちょっとだけ待ってください」

「私じゃなくて、陸奥に言わなくちゃね」


 エルが笑いを噛み殺す間にも、陸奥の接近は止まらない。ずんずんと鼻息荒くこちらに歩いて来ているのが、もうログハウスの窓から見える位置に居た。

 今日の彼は何かを決心してきたらしい。いつにも増して真剣な表情をしているのが確認できる。


「エル! エル!」


 彼は何を話すのだろうか、とぼんやりそんなことを考えていると、切羽詰まったアサヒがエルを呼んだ。

 その声に誘われて部屋の中に視線を移すと、肩で息をしながら身支度を整えたアサヒの姿が。


「ど、どこか、変な所は、ありませんか……ハァ」

「大丈夫よ、いつも通り完ぺき」


 本当は後ろ髪に少しだけ寝癖がついてしまっているが、それは教えないでおこう。可愛らしいその部分を除けば、ローブ、マフラー、手袋と完ぺきなアサヒの姿である。陸奥が到着する前に何とか身支度が間に合ったようで良かった。


 トントントン


「アサヒさーん!」


 そして、タイミングを見計らったかのように、小気味よく扉を叩く音がする。昨日ぶりに聞く彼のその声に、アサヒの肩がピクリと揺れた。その感情は恐怖か、緊張か、それとも……


「早く出てあげたら?」

「分かってますよ、急かさないでください」


 ふぅと一つ息を吐き、心を落ち着けるアサヒ。恐る恐ると陸奥の元へ出ていく彼女の背中を、エルは静かに見送った。




※※※




 翌日、僕は再びアサヒさんのログハウスにやってきた。相変わらず開けっ放しの扉。彼女を呼ぶために声を張り上げる。


「アサヒさーん!」


 しばしの沈黙。雪が辺りを埋め尽くす世界で、何も音のしない空間がひどく寂しく思え、心が震えた。


「陸奥、さん」


 そして、僕の心に入り込んだ寂しさを追い出すように、アサヒさんが部屋からひょっこりと顔を出す。普段とは異なってどこか怯えたような彼女の雰囲気に、胸がキュッと痛くなった。


「あ、の、陸奥さん、昨日は……」

「あぁ、ちょっと待った!」


 僕が胸の痛みに気をとられているうちに、アサヒさんが謝ろうと頭を下げかけてしまった。彼女の頭が完全に下がりきる前、間一髪の所で食い止める。危ない、危ない。僕は今日、彼女に謝ってほしくてここに来たわけじゃない。


「昨日は突然の申し出、大変申し訳ありませんでした」


 僕がアサヒさんに謝りに来たんだ。僕は深々とアサヒさんに頭を下げる。

 いきなり過ぎるあんな提案、戸惑うのは当然だ。突然提案し、答えを求めてしまった僕の方に非がある。そして……


「僕は、アサヒさんのことが知りたいんです!」


 今日は彼女に伝えたいことがある。


「世界に発表するとか、異形との未来を変えるとか、そういう大きいことはなしにして。ただ単純に、僕はあなたという人を教えてほしい」


 アサヒさんに断られてから、一晩考えた。どうして断られたのか、これからどうしたらいいのか、どうしたいのか、たくさんたくさん考えた。だけど、どの気持ちも何だか違う気がして。そういうのを全部取り除き残った感情は、もっと彼女のことが知りたいという、純粋で単純なただ一つだった。


「あなたの話を聞かせてください!」


 僕はじっとアサヒさんの言葉を待つ。

 正直、今回の行動は賭けだ。自分自身、かなり恥ずかしいことを言っている自覚はある。多分今耳が真っ赤だと思う。

 だから、もしアサヒさんがあのゴミを見るような瞳で僕を見たら、完全に心が折れる自信がある。それはもう綺麗に真っ二つで、もう修復できないくらいに。


 だけど、どうしても僕はアサヒさんのことが知りたい。この感情に嘘はない。

 出逢ってからずっと、距離を保たれていて、二人の間に高い壁を建造されてきたけれど、そんなの全部乗り越えて、僕はもっとアサヒさんのことを知りたいと思う。教えてほしいと思う。












「少し、時間をいただけますか、考えたい、ので」


 しばらく待っていると、消え入りそうな声で返事をしてくれた。もにゅもにゅとしながら、口元のマフラーを更に上げている。んだ、その仕草、可愛いぞ。めっちゃ可愛いぞ。

 胸の高鳴りを覚えながら見惚れていると、アサヒさんは静かにログハウスの中に引っ込んでしまった。もう少し見ていたかったんだけど、ちょっとだけ残念。

 ……あっ! 僕返事してない!


「アサヒさーん! 僕、いつまででもお待ちしますので!」


 彼女との壁を消すのに、一歩前進できただろうか。少なくとも「考えてくれる」ということは、速攻で拒否されることよりは上な気がする。

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