第35頁  僕に出来ること

 陸奥と別れ、ログハウスの中に引っ込んだアサヒ。まだほんのりと頬が赤く、恥ずかしそうな表情をしている。


「余程嬉しかったみたいね。陸奥がスキップで走ってるわよ」


 ふわふわと浮かびながら、窓の外を眺めるエル。そこには満面の笑みでスキップをして、数秒後にはずっこけている陸奥の姿が。雪の中でスキップをしてはいけない。良い子の皆様にはぜひとも覚えておいていただきたい。


「初めて言われました、あんなこと」


 先ほどの陸奥の言葉を思い出したのだろう。アサヒはまたマフラーを持ち上げて、もにょもにょし始めた。その仕草はまるで恋する少女のよう。

 アサヒのあまり見ないその様子に、エルはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。


「陸奥もなかなかやるじゃない? 少しキュンときたんじゃないの?」

「きゅん? きゅん、とは何ですか?」

「んーと、胸が苦しいというか、締め付けられるというか?」

「……少し、したような気がします」


 胸に手を当て考えると、確かにそんな感じの動きを覚えたような気がしなくもない。アサヒのその返答を受けて、エルのニマニマが加速した。


「恋じゃない?」

「私が? 陸奥さんに対して?」


 エルの言葉に対して、目を見開いたアサヒ。ぱちくりと数瞬またたいて、再び自分の胸に手を当てる。彼女の手の先に、胸のその奥に感情はあるのだろうか。エルがわくわくしながら答えを待っていると……


「ありえませね。1%もその可能性はありません」


 清々しいほどに恋という感情を切り捨てたアサヒ。ここまでバッサリと切られてしまっては、何だか陸奥が可哀想である。

 エルが苦笑いしながら、窓の外を見てみると、ちょうど陸奥が服に着いた雪を払いながら立ち上がった所だった。

 彼はアサヒのことをどう思っているのだろうか。本人から直接聞いたことはない。しかし、接し方を見ている限り、アサヒのことを好いてはいるのだろう。でも、それは恋愛感情ではなく、二人の関係は……


「友達、と名前を付けたら怒るでしょうか」


 エルが考え込んでいると、ほんのりと頬を赤くしたアサヒが恥ずかしそうに呟いている。


 友達。

 たった二文字のその言葉。彼らの関係を表すのに、適しているのではないかとエルは感じた。


「本人に言ってみたら? 喜ぶと思うけど」

「そう、でしょうか」


 返答に対して口ごもるアサヒ。その表情は嬉しそうにしているのに、対照的に寂しい感情も見えたような気がした。


「友達なら、少しは自分のことを話してみてもいいのかもね」

「……そう、ですね」


 二人の間に沈黙が訪れて、何とも言えない気まずさが漂った。しかし、そんな空間もすぐに消える。トントントン、とログハウスの壁を叩く音が響いた。


「どうぞ」

「irgbj」

「こちらへおかけください」

「じゃあ、私少し森の中散歩してくるから」

「気をつけてくださいね」


 怪我の治療のために訪れた異形とすれ違い、エルがログハウスの外へと飛んでいく。手を振ってくれるアサヒに片手で答え、ふわふわと舞った。


「はぁ」


 季節は2月が終わり3月になったばかり。しかし、温かくなるにはまだ日にちがかかるだろう。口から吐き出された息が白くなり、静かな空間に溶けていく。


「このままでいいのかしら」


 息と共に吐きだされた、エルの小さな呟き。誰に届くこともなく、真っ白な雪の中に溶けていった。




※※※




「あ、エル。こんにちは」


 アサヒさんと別れ、僕がひまわりの花を調査していると、エルが飛んできた。そして、僕の肩の上にストンと座る。


「あのぉ、アサヒさんの様子ってどうでしたか?」

「普通よ、いつもと変わらない。今も怪我した異形が来て、治療してた」

「そうですか」


 エルのその言葉に、張りつめていた糸が改めてふっと緩むのを感じた。あの時の仕草が不快感を表しているのだとしたらどうしようかと思っていたけれど、大丈夫なようだ。良かった良かった。


「調査は順調なの?」

「んー、順調と言えば順調ですかね」


 エルの問いかけで僕は目の前の光景に向き直る。一年中咲き誇るひまわり畑。調査を開始して約1カ月が経過した。

 だけど、何が原因なんだろう。おそらく茎の内部にあった謎の物質が鍵なんだろうけど、正体が全然分からない。時間経過で現れる物質もあれば、採取してすぐでも見つけられる物質もあった。更に、中の物質の形にも法則性は全然ない。謎が謎を呼んで、解決の糸口が見えない今の状況。あはは、もう笑うしかないですよ。


「ねぇ」


 僕が苦笑いを零していると、肩に座っているエルの空気が変わった。スッと背筋が自然と伸びるような空気感。だけど、それは嫌な緊張をもたらすものではなくて、むしろその反対。どこか縋り付くように放たれる雰囲気に、手を差し伸べたくなる空気感だった。

 なぜそんな変化をしたのか、不思議に感じていたが、エルの紡いだ言葉の先でその意味が分かった。


「陸奥は、ひまわりの調査が終わったら、元居た場所へ帰るのよね?」


 寂しいと悲しいの丁度真ん中くらい。そんな声音で紡がれた言葉。切なく残ったその余韻と共に、エルの表情を伺えば、彼女は迷子になった子供のような表情をしていた。こんな表情のエル、初めて見た。


「そう、ですね。いつ調査が終わるか分かりませんが、いつかは帰ることになると思います」

「そう」

「あ、だけど、調査が進んでないので、何年かここに滞在するかもしれませんよ」

「それは賑やかになりそうね」


 いつものエルに戻ってほしくて、少しおどけながら放った言葉も、彼女の表情を回復させることはできなかった。


 だけど、良く考えれば、エルにそういう表情をさせてしまうのは必然なのかもしれない。

 エルは異形だ。生まれてから今まで2000年の時を生きている。そして彼女の時間はこれからも長く続いていく訳で。ほんの数年、僕の調査が長引いたところで、それは何の慰めにもならないだろう。


 出会いの数だけ別れがあって。その別れの度に、エルの中に悲しい気持ちや寂しい気持ちが蓄積していくんだと思う。

 そんな彼女だからこそ、触れ合った者たちとの別れには敏感なのだろう。たとえ、僕のように吹き去る風のように一瞬の関わりだったとしても。


「邪魔してごめんね、調査頑張って」

「あ、はい。ありがとうございます」


 明るく繕ったエルが、またふわふわと舞い上がっていく。僕はその小さな背中を見送ることしかできなかった。


 いつかは訪れる最期の瞬間。自分より早く逝くと知っている者たちとのかかわりは、彼女の中にどう残るんだろう。

 ほんの100年くらいしか生きられない僕は、残されるエルに何かできるだろうか。

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